学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「君達は独逸語をやるために生れて来たと思え」(by 岩元禎)

2015-05-11 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 5月11日(月)09時15分58秒

『我が青春 生い立ちの記/思い出の記』は岸信介が「戦犯容疑を受けて巣鴨に拘留されていた当時、すなわち終戦直後の昭和二十年暮れから、約三年半にわたった獄中生活の無聊を医すべく、幼少時の回顧より筆を起こして、出獄までの明け暮れに縷々書きためたもの」ですが、大正時代の旧制高校の様子は特に興味深いですね。(p133以下)

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濫読、耽読のひと頃

 高校時代の読書は、全くの濫読であった。何等の系統も組織もなかった。独逸語のものは南江堂や丸善にレクラム叢書がまだいくらでもあり、頗る便利であった。ゲーテ、シルレルのものからハウプトマン、それからイプセンやトルストイ、ドストエフスキーなどのものも独逸語の翻訳で読んだ。英語のものは余り読まなかった。「君達は独逸語をやるために生れて来たと思え」と言われた岩元先生の言葉に従い、一時は朝から晩までこれらの独逸書を辞書と首っ引きして読んだものであった。
 哲学書では西田博士の著書は一番頭に残って居る。又その頃我が国に紹介せられたベルグソン、オイケン等も邦訳でのぞいた。ショウペンハウエル、ヘーゲル、ニイチェ、カントなどのものも一通り目を通した。然し結局は只読んだに過ぎなく、哲学に必要な深い思索に沈潜することはなかった。
 小説では漱石の物は何でも読んだ。(中略)又谷崎潤一郎はその頃の流行作家で、中央公論に載せられるその作品は欠かさず読んだが、どうもあの悪魔主義的な傾向は好かなかった。それでも同氏の小説を読んだせいであったろうと思うが、その頃オスカーワイルドの『ドリアン・グレイの画像』を読んだ記憶が残っている。
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ベルグソンは翻訳で読んだとのことですが、蓑田胸喜を慶応に呼んだ広瀬哲士は大正3年(1914)に『笑の研究』を出しているので、岸信介も広瀬訳を読んでいるかもしれないですね。

広瀬哲士(その2)

岩元先生は「偉大なる暗闇」の岩元禎のことで、よほど強い印象を残したのか、少し前に「岩元先生の思い出」という項目も設けられています。(p131以下)

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(前略)独逸語は岩元、大津、上村の諸先生と独逸人のユンケル及瑞西(スイス)人のケールの諸先生で、岩元先生には三年を通じ特に一年生時代は猛烈にたたき込まれたものであった。動詞や形容詞の変化を次々に暗誦せしめられ、間違うと「馬鹿」と大喝せられ「豚の様に大飯を食うのが能ではないぞ」とか「近来稀なる知能劣等のクラスだ」とか、中々警句に充ちた罵倒を受けたものであった。又学期各人の成績を教室で発表せられ、百点満点で八点とか十五点とか言うひどい点数をもらった者、零点の者も時にあった。何んでも或る級では岩元先生に依って半数近くも落第せしめられたことがあったと伝えられ、恐慌を呈したものであったが、一年の終りには一人の落第もなかった。何と言っても独法に学び岩元先生に牛耳られた者は一生その風貌を忘れることは出来ぬ。先年老衰して寂しく死んで逝かれた。丁度先生の晩年をお慰めしようと言う企てが先生の教えを受けた者の間に企てられ、遂にその実現を見ようとしてその実現を見るに至らなかったことは返す返すも遺憾であった。
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岩元禎(1869-1941)

濫読、耽読の傍ら、寄席に入ったり、「その頃の人気のあった娘義太夫を聴きに行くことに趣味を覚えた」りして、なかなか優雅な学生生活を送ったようですね。

>筆綾丸さん
>邑楽町役場庁舎のコンペ
木村草太氏の論文で、この事例の法律的な問題点は一応押さえてありますが、ご紹介の山本理顕氏の著書も読んでみたいと思います。
伊達政宗の居城があった宮城県岩出山町に行ったとき、高台にずいぶん目立つ建物があったので何気なく寄ってみたところ、岩出山中学校の校舎だったのですが、これは山本理顕氏の設計だそうですね。
才能のある人なんでしょうが、文章はあまり洗練されていない感じですね。

建築マップ「岩出山中学校」

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

もうひとつのリケン 2015/05/10(日) 19:21:30
小太郎さん
岸信介とイプセンとは、なんとも不釣り合いで面白いのですが、「笈を負うて家郷を出」て、これほど成功した人も珍しいですね。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2015/04/102317.html
伊藤教授は、最近、回想録を出されて、所々立ち読みしましたが、敬遠しました。

http://riken-yamamoto.co.jp/index.html?page=ry_proj_detail&id=75&lng=_Jp
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784062586009
木村草太氏の著書で山本理顕氏の名を知りましたが、『権力の空間/空間の権力―個人と国家の“あいだ”を設計せよ』という本を出したのですね。(余計なことですが、理顕という名は僧侶のようですね)
空中分解した邑楽町役場庁舎のコンペに関して以下のような記述があって、著者の日本共産党への恨みは相当根深いようですね。(文中の「新市長」は「新町長」の間違いですね)
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ところが実施設計がすべて終わって、建設会社を決める直前の町長選挙でこのコンペに前向きに関わってきた町長が敗北してしまったのである。それからは大混乱に陥った。混乱の主な原因は議会の一部議員たちとその議員の意を受けた新町長だった。四七人の建設委員会は解散を命じられ、住民参加そのものが解体されてしまったのである。一部の議員たちはこうした住民参加による決定方式を代議制議会に対する挑戦だと感じたのである。その議員たちの中でも最も強硬な反対派議員が「共産党三期当選、О」と名乗った日本共産党所属の女性議員だった。彼女にとっては政治とは政党制による政治以外は全く考えられなかったのである。決定権は選挙によって選ばれた代議員にある。議会に呼ばれた私たちは、私たちの提案の内容を新市長や議員の前で詳しく説明した。でも、彼らは四七人の町民と共につくったその案の説明を聞こうともしなかったのである。その共産党議員は私に対して「もむんじゃないよ」と言った。「もむ」ということばがどのような意味なのか分からないが、住民を煽動するな、というような意味だったのだと思う。その議員にとって住民の自主的な活動は政党制的政治に対立するものでしかなかったのである。彼らにとっては、設計者は町民によって選ばれた議員や町長の命令に従う者でしかなかったのである。(216頁)
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「四七人の建設委員会」が赤穂浪士と同じ数なのは、ちょっと笑えますが、討ち入りにはならず、裁判になったそうです。
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その後、この事件は裁判になった。私自身が原告代表になって、このコンペに参加した多くの建築家と共に、町の決定を不服とする訴えを起こしたのである。邑楽町の積極的主導によって住民参加によるコンペを開催し、それに協力してきたにもかかわらず、それを途中で破棄するのは背任行為であるという訴えである。でも、結局、裁判長の調停によって邑楽町側が形式的に謝罪するということで裁判はあっさり終わってしまった。「コンペは営業ではないのですか」。東京地裁のその裁判長は私たちに言った。建築の設計という仕事が全く理解できなかったのである。その裁判長にとって建築の設計は単なる経済活動でしかない。今の社会の中では設計もまた金銭のために働く賃労働の一つにすぎないのである。発注者(行政)の命令に忠実に従うという労働が設計という行為である。単に金銭のために働く労働者である。今の社会においては、設計に限らずあらゆる労働は金銭的利益のための活動である。でも、邑楽町の四七人の建設委員会の人たちは金銭のために活動していたわけではない。彼らはこの建築を未来の住民に引き渡すという意志と共に活動したのである。私たち設計チームの意志も全く同じである。私たちはただ自分たちの金銭的利益のみを目的として設計しているわけではない。それは未来に対して「世界の物」をつくるという意志である。未来に向かう意志である。未来の住人に対して、今私たちが考え、そしてつくった建築を引き渡したいという意志である。(216頁~)
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「でも」や指示代名詞の多用にはイライラしますが、それはさておき、かくも高邁な理念を抱くのであれば、「でも、結局、裁判長の調停によって邑楽町側が形式的に謝罪するということで裁判はあっさり終わってしまった」などと他人事のようなことは言わず、裁判長の調停案など蹴飛ばして、徹底的に訴訟を続ければよかったはずで、四七人の建設委員会の面々も、酔狂であれ、赤穂浪士の辛苦でも追体験してみようか、という気にならなかったのか。要するに、だらしがねえ、としか思われない。「個人と国家の“あいだ”を設計せよ」などと、啖呵を切られても、やれやれ、という感じですね。
それにしても、邑(まち・むら)の楽しみ、あるいは、邑が楽しむ、とはとても象徴的ですね。
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