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流布本も読んでみる。(その36)─「汝は此所の住人、案内者にてぞ有覧」

2023-05-17 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』

続きです。(p108以下)

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 武蔵国住人塩谷左衛門尉家友、押寄て戦けるが、被射倒ぬ。子息六郎左衛門尉家氏、親を乗越て、矢面に立て戦けるが、是も薄手負て、父を肩に引懸てぞ除〔のき〕にける。其後、各押寄々々戦けり。宮寺三郎・須黒右馬允・飯高小次郎・高田武者所・大高小太郎・息津左衛門尉・高橋九郎・宿屋二郎・高井小次郎、押寄て劣らじ負じと戦て、是等も手負て引退く。
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前段からの数え方に従えば、

六番:塩谷左衛門尉家友

となりますが、塩谷父子以下、続く連中も負傷して退きます。
他方、京方はというと、

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 京方より奈良法師、土護覚心・円音二人、橋桁を渡て出来り。人は這〔はひ〕々渡橋桁を、是等二人は大長刀を打振て、跳〔をどり〕々曲を振舞てぞ来りける。坂東の者共、是を見て、「悪〔にく〕ひ者の振舞哉。相構て射落せ」とて、各是を支〔ささへ〕て射る。先立たる円音が左の足の大指を、橋桁に被射付、跳りつるも不動。如何可仕共〔すべしとも〕不覚ける所に、続たる覚心、刀を抜て被射付たる指をふつと切捨、肩に掛てぞ引にける。
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ということで、奈良法師の「土護覚心」と「円音」が、普通の人は這って渡る橋桁を、この二人は大長刀を振るって踊るように、曲芸を振舞うようにやってきます。
それを見た坂東武者たちが、「憎らしい振舞だな、しっかり狙って射落とせ」と集中的に狙うと、そのうちの一本が先頭の「円音」の左の足の親指を橋桁に射貫きます。
「円音」が踊るように足を動かしても矢は抜けず、どうしようもないように見えたところに、後ろから来た「覚心」が刀を抜いて射られた指をあっさり切り捨て、「円音」を肩に引っかけて退きます。
さて、続きです。(p109以下)

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 武蔵守、「此軍の有様を見るに、吃〔きつ〕と勝負可有共不見、存〔ぞんずる〕旨あり、暫く軍を留めんと思也」と宣〔のたまひ〕ければ、安東兵衛尉橋の爪に走寄、静めけれ共不静〔しづまらず〕。二番に足利武蔵前司、馳寄て被静けれ共不静。三番に平三郎兵衛盛綱、鎧を脱で小具足に太刀計帯〔はい〕て、白母衣〔しらほろ〕を懸、橋の際迄〔きはまで〕進で、「各軍をば仕ては誰より勧賞を取んとて、大将軍の思召〔おぼしめす〕様有て静めさせ給ふに、誰誰進んで被懸候ぞ。『註〔しる〕し申せ』とて盛綱奉〔うけたまはつ〕て候也」と、慥〔たしか〕に申ければ、その時侍所司にてはあり、人に多被見知(ければ)、一二人聞程こそあれ、次第に呼〔よばは〕りければ、河端・橋の上、太刀さし矢を弛〔はづし〕て静りにけり。
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橋板をはずされた宇治橋で戦っていても埒が明かないと見た泰時は、いったん攻撃の中止を命じます。
しかし、みんな興奮しているので、「安東兵衛尉」(安東忠家)、ついで「足利武蔵前司」(義氏)が攻撃中止を呼び掛けても静まりません。
そこで「平三郎兵衛盛綱」が「白母衣」を懸けて目立つようにした上で、「お前たちは誰から勧賞をもらうつもりなのか。勧賞を下さる「大将軍」が攻撃中止を命じておられるのに、誰がそれを無視するのか。しっかり記録せよ、と私は「大将軍」から承っておるぞ」と叫ぶと、平盛綱は「侍所司」なので多くの人が見知っており、また「勧賞」の響きの効果もあって、最初は一人二人聞く程度だったのが、叫び続けるうちに河端の人も橋の上の人も、太刀を鞘に戻し、矢を弛めて静かになって行きました。

ということで、戦闘の中止を命ずるのも一苦労です。
この後、流布本の名場面の一つである柴田橘六と佐々木信綱の先陣争いの話となります。(p110以下)

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 武蔵守、芝田橘六〔きちろく〕を召て、「河を渡さんと思が、此間の水の程には一尺計も増〔まさ〕りたるな。此下〔しも〕に渡る瀬やある。瀬踏〔せぶみ〕して参れ」と宣〔のたまひ〕ければ、「承〔うけたまは〕り候」とて、一町計打出たりけるが、取て返し、「検見を給り候ばや」と申。「尤さるべし」とて、南条七郎を召て被指添。二騎連て下様〔しもざま〕に打けるが、槙嶋〔まきのしま〕の二俣なる瀬を見渡けるに、あやしの下臈の白髪なる翁一人出来れり。是を捕ヘて、「汝は此所の住人、案内者にてぞ有覧〔らん〕。何〔いづく〕の程にか瀬のある。慥に申せ。勧賞申行べし。不申ば、しや首切んずるぞ」とて、太刀を抜懸て問ければ、此翁わなゝきて、「瀕は爰〔ここ〕は浅候ぞかし。彼〔かしこ〕は深候」と教へければ、「能〔よく〕申たり」とて、後には首を切てぞ捨にける。又人に言せじとなり。其後、馬より下りて裸かになり、刀をくはヘて渡る。検見の見る前にては、浅所も深様にもてなし、早所をも長閑〔のどか〕なる様に振舞て、中嶋に游ぎ付て見れば、向には敵大勢扣〔ひかへ〕たり。さて此河はさぞ有覧と見渡して取返し、「瀬踏をこそ仕〔し〕をほせて候へ」と申ければ、佐々木四郎左衛門尉、御前に候が、芝田が申詞〔ことば〕を聞も不敢〔あへず〕、(う)つたち馬にひたと乗て、下様に馳て行。芝田橘六、あな口惜、是に前をせられなんずと思て、同馳て行。
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段落の途中ですが、いったん、ここで切ります。
北条泰時が「芝田橘六」を召して、「河を渡そうと思うが、前よりは一尺ほど増水しているな。下流に渡ることのできる瀬があるか、瀬踏して参れ」とおっしゃると、芝田は承諾して出発しますが、一町ばかり行ったところで戻ってきて、「検見(検査役)役の同行を願いたく」と言います。
泰時はもっともだと思って、「南条七郎」を検見に命じます。
芝田と南条が二騎連れだって宇治川の下流の方に行き、槙島(真木島)の二俣の瀬を見渡していると、身分の低い白髪の老人が一人出て来たので、芝田はこれを捕らえて、「お前はこのあたりの住人だな。地理にも詳しいだろう。どこが渡れそうな瀬だ。しっかり申し上げれば恩賞がもらえるように計らうぞ。言わなければ、その首を切るぞ」と言います。
老人が震えながら、「ここの瀬は浅く、あのあたりは深うございます」と教えたので、芝田は「よく言ってくれた」と言い、その後で老人の首を切り捨てます。
老人が別の者に言わないようにするためです。
その後、芝田は馬から降りて裸になり、刀を口に咥えて河を渡ります。
検見の見ている前では浅いところも深いように見せかけ、流れが速いところも遅いようにふるまって、中島に泳ぎ着いて見ると、対岸には敵が大勢控えています。
川の様子を把握した芝田は泰時の許に戻り、「瀬踏をしてまいりました」と報告すると、御前にいた「佐々木四郎左衛門尉」(信綱)が、芝田の報告を全部聞かないうちに立ち上がって馬にさっと乗り、下流に馳せて行きます。
これを見た芝田は、しまった、佐々木に先陣を取られてしまうと思って、慌てて佐々木を追いかけます。

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