学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

川合康氏「鎌倉幕府研究の現状と課題」を読む。(その4)

2023-03-09 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』

私は川合氏の「超権門的性格」論は権門体制論としては論理的に破綻しており、その破綻は承久の乱の戦後処理に最も鮮明に現れていると思いますが、川合氏も承久の乱について若干の説明をされているので、その内容を確認しておきます。(p24以下)

-------
 承久の乱では、当初幕府は藤原秀康・三浦胤義ら上皇「逆臣」の追討を掲げて軍事行動を起こしているが、乱後に行われた戦後処理は、三上皇の配流、王家領の没官など、まさに上皇そのものを「謀叛人」としてあつかうものであった。王家没官領は幕府が擁立した後高倉法皇に返付されたが、ここで注目すべき点は、伴瀬明美氏や高橋一樹氏が指摘されたように、鎌倉後期になると、旧王家没官領をめぐる所職相論においては、王家内から「関東御口入」を積極的に望む動向があらわれていることである。つまり、承久の乱における幕府の軍事行動は、単に幕府の実力行使としてではなく、軍事権門による一連の「謀叛人」処分として貴族社会においても合意がなされているのである。そして、上皇が「謀叛人」として軍事権門によって処断された事実を合理化・正当化する論理として、天命思想・帝徳批判に基づく後鳥羽「不徳」観が公武両権力に浸透していくことになる。後醍醐の倒幕計画が公武双方で「当今御謀叛」「公家謀叛」と呼ばれ、「謀叛(反)」の語義そのものが明確に変質してしまうのも、右のような鎌倉期の捻れた公武関係を踏まえてはじめて理解しうると思われる。
-------

うーむ。
この部分、私には川合氏が何を言いたいのか、正直、よく分りません。
幕府に「超権門的性格」があるということは「捻じれた公武関係」と同義で、変に思うかもしれないけれども、そうした捻じれが鎌倉時代の「国家」の現実なのだから、それをそのまま直視せよ、という主張なのでしょうか。
幕府は「権門」、すなわち「国家」の内側の存在であるけれども、同時に「超権門的性格」があり、「国家」の外側の存在でもあって、まさに「メビウスの輪」そのものなのだ、この位相幾何学を理解しない限り幕府は正確に認識できない、という主張なのでしょうか。
ま、私自身は、承久の乱の戦後処理は「二つの国家」を前提とすれば非常に簡単に説明できると思っています。
以前、若干戯画的に書きましたが、西国国家(朝廷)と東国国家(幕府)の「二つの国家」が戦争したと考えれば、その戦後処理は、

-------
(1)西国国家(朝廷)は敗戦国、東国国家(幕府)は戦勝国で、東国国家は西国国家の法体系に従うことなく、承久の乱の責任者(上皇・天皇を含む)を処罰することができる。
(2)西国国家は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄」し、「戦力は、これを保持しない」、「国の交戦権は、これを認めない」。
(3)西国国家の皇位継承は東国国家の事前の承認を必要とし、東国国家は「不徳」の天皇を廃位することができる。また、東国国家は「不徳」の上皇を流罪に処することができる。
(4)承久の乱の責任者(上皇・天皇を含む)の所領は東国国家が全て没収し、自由に処分することができる。
(5)天皇家の所領は東国国家がいったん全て没収する。しかし、東国国家が希望すればいつでも返還に応じるという条件付きで、天皇家に返却する。
(6)東国国家は西国国家が「講和条約」を誠実に遵守することを監視するため、京都に監視機関(六波羅探題)を設置することができる。
(7)「講和条約」で定められた新しい「国際法秩序」は西国国家の法秩序(律令法の大系)に優越するものであって、この「国際法秩序」を乱すことは「謀叛」となり、上皇・天皇であっても「謀叛」人となり得る。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c6e725c677b4e285b26985d706bf344c

となり、論理的な矛盾は皆無です。
律令法の大系、そして権門体制論では天皇の「謀叛」は説明できませんが、「二つの国家」論では合理的な説明が可能であり、実際に元弘の変では後醍醐は「謀叛人」と認識されたのですから、当時の人々の法意識にも適合することになります。
なお、立教大学教授・佐藤雄基氏は「鎌倉時代における天皇像と将軍・得宗」(『史学雑誌』129編10号、2020)の注10で、

-------
(10) 現実の最高実力者が鎌倉幕府・得宗であることをもって権門体制論への批判とする類の議論が後を絶たないが、黒田も幕府が「権門政治の主導権」をもつことは認めている。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c17a2e0b20ec818c1ab0afd80862eb6f

と書かれていますが、権門体制論では幕府が「権門政治の主導権」を持つことまでは説明できても、幕府が律令法の大系を超えた戦後処理を行なったことは説明できず、承久の乱の結果生じた法秩序の変容も説明できないと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 川合康氏「鎌倉幕府研究の現... | トップ | 川合康氏「鎌倉幕府研究の現... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

長村祥知『中世公武関係と承久の乱』」カテゴリの最新記事