投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 3月 8日(火)14時45分55秒
※teacup掲示板が8月1日に終了予定であることを受けて、今後、私自身の掲示板投稿にリンクを張る場合には、当掲示板ではなくgooブログ「学問空間」の記事の方に行うこととします。
早歌研究は外村久江氏(東京学芸大学名誉教授、1911生)を中心にして一時は相当な活況を呈したのですが、外村氏の業績をまとめた『鎌倉文化の研究-早歌創造をめぐって』(三弥井書店、1996)の出版以降、残念なことに研究の進展はあまりないようです。
中世芸能・歌謡史については、例えば辻浩和氏の『中世の〈遊女〉─生業と身分』(京都大学学術出版会、2017)のように相当の深化が窺えますが、辻著でも早歌への言及は僅少ですね。
https://www.kyoto-up.or.jp/books/9784814000746.html
早歌は作品の数が少ないので、国文学や芸能史研究者からは既に研究し尽くされた分野と見做されているのかもしれませんが、作者とその周辺については歴史学の観点からの更なる解明が必要ではないかと私は考えます。
辻浩和氏『中世の〈遊女〉─生業と身分』へのプチ疑問
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/aeef36b4177bef0d976fa1233363983b
『中務内侍日記』の「二位入道」は四条隆顕か?(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c5850662f4868da45f2944b72d381680
「女工所の内侍、馬には乗るべしとて」(by 中務内侍・高倉経子)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5b8c78ee2ad80ffe5eaf7137aaa9dee3
「夏のバカンスの北欧旅行から帰国して」(by 服藤早苗氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1421478cb6ceddbfc75dcba9cb949a12
さて、あまり注目されていませんが、『とはずがたり』と『徒然草』の登場人物はけっこう重なっています。
例えば「粥杖事件」で後深草院を羽交い絞めにし、二条に後深草院の尻を思う存分打たせた「東の御方」(玄輝門院)は、老いても記憶力抜群の知的な女性として(33段)、二条が父・雅忠の弔問に来なかったとして筆誅を加えている「堀川相国」基具は「美男の楽しき人」として(99段)、二条の祖父・「久我相国」通光は水を飲むにも一家言のある面倒くさい人として(100段)、二条の母方の祖父「四条大納言隆親卿」は「乾鮭といふものを、供御に」提供して非難される人として(182段)、二条の宿敵・東二条院は「竹谷乗願坊」へ仏教に関する真摯な質問をする思慮深い女性として(222段)、「北山太政入道殿」西園寺実兼は「さうなき包丁者」である「園の別当入道」のもったいぶった態度を批判する謹厳な人として(231段)、それぞれ『徒然草』に登場します。
http://web.archive.org/web/20150502075515/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-33-imanodairi.htm
http://web.archive.org/web/20150502062113/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-99-horikawano-shokoku.htm
http://web.archive.org/web/20150502055446/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-100-koganoshokoku.htm
http://web.archive.org/web/20150502065633/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-182-sijotakachika.htm
http://web.archive.org/web/20150502065658/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-222-takedaninojoganbo.htm
http://web.archive.org/web/20150502065708/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-231-sononobettonyudo.htm
こうした『とはずがたり』でお馴染みの人物の中でも、特に興味深いのは『とはずがたり』の最終場面、跋文の直前で二条と和歌の贈答を行う久我通基です。
久我通基(1240-1309)は「久我相国」通光の孫、二条にとっては十八歳上の従兄ですが、二条との歌の贈答は徳治元年(1306)の出来事と考えられているので、通基は六十七歳ですね。
しかし、『徒然草』では「久我の前の大臣」通基は精神を病んだ人として第195段に登場します。
-------
ある人、久我縄手を通りけるに、小袖に大口着たる人、木造りの地蔵を田の中の水におしひたして、ねんごろに洗ひけり。心得がたく見るほどに、狩衣の男二三人出で来て、「ここにおはしましけり」とて、この人を具して去にけり。久我内大臣殿にてぞおはしける。
尋常におはしましける時は、神妙にやんごとなき人にておはしけり。
http://web.archive.org/web/20150502062113/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-99-horikawano-shokoku.htm
旧サイトでは、私は兼好法師が『とはずがたり』を読んでいて、その虚偽に憤りを覚え、二条さん、気の狂った従兄弟と歌の贈答をするなんて、随分器用なことをなさいますね、と冷笑しているのではないか、と考えてみました。
そこで、兼好法師の周辺をいろいろ探ってみたのですが、金沢北条家との関係で二条の「社会圏」と兼好の「社会圏」は重なるな、ということが確認できただけで、結局、あまりすっきりしないまま検討を中断してしまいました。
ま、中途半端で終わってしまった原因は、私が当時の通説であった風巻景次郎説(「家司兼好の社会圏」)を一歩も超えることができなかったからなのですが、この風巻説を根本から覆した小川剛生氏の『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』(中公新書、2017)は、私にとって本当に衝撃的な本でした。
小川氏が解明された兼好の実像は武家社会と公家社会のはざまに生きる情報ブローカーみたいなものですが、ある意味では二条も同じタイプの人ではないか、というのが私の考え方です。
もちろん、二条が活動していたのは兼好などより遥かに上層の世界ではありますが。
以上、私の特別な関心から小川著に言及しましたが、小川著は国文学と歴史学の境界領域に踏み込んだ画期的業績ですので、是非読んでいただきたいと思います。
『とはずがたり』と『徒然草』に登場する久我通基
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bbca183556381323530d10235e6a82a0
『とはずがたり』・『増鏡』・『徒然草』の関係について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/62535f75170a4e3aae07abc9d453aee1
『兼好法師』の衝撃から三ヵ月
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9f8a40b01d861705b1c8291f30001971
※teacup掲示板が8月1日に終了予定であることを受けて、今後、私自身の掲示板投稿にリンクを張る場合には、当掲示板ではなくgooブログ「学問空間」の記事の方に行うこととします。
早歌研究は外村久江氏(東京学芸大学名誉教授、1911生)を中心にして一時は相当な活況を呈したのですが、外村氏の業績をまとめた『鎌倉文化の研究-早歌創造をめぐって』(三弥井書店、1996)の出版以降、残念なことに研究の進展はあまりないようです。
中世芸能・歌謡史については、例えば辻浩和氏の『中世の〈遊女〉─生業と身分』(京都大学学術出版会、2017)のように相当の深化が窺えますが、辻著でも早歌への言及は僅少ですね。
https://www.kyoto-up.or.jp/books/9784814000746.html
早歌は作品の数が少ないので、国文学や芸能史研究者からは既に研究し尽くされた分野と見做されているのかもしれませんが、作者とその周辺については歴史学の観点からの更なる解明が必要ではないかと私は考えます。
辻浩和氏『中世の〈遊女〉─生業と身分』へのプチ疑問
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/aeef36b4177bef0d976fa1233363983b
『中務内侍日記』の「二位入道」は四条隆顕か?(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c5850662f4868da45f2944b72d381680
「女工所の内侍、馬には乗るべしとて」(by 中務内侍・高倉経子)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5b8c78ee2ad80ffe5eaf7137aaa9dee3
「夏のバカンスの北欧旅行から帰国して」(by 服藤早苗氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1421478cb6ceddbfc75dcba9cb949a12
さて、あまり注目されていませんが、『とはずがたり』と『徒然草』の登場人物はけっこう重なっています。
例えば「粥杖事件」で後深草院を羽交い絞めにし、二条に後深草院の尻を思う存分打たせた「東の御方」(玄輝門院)は、老いても記憶力抜群の知的な女性として(33段)、二条が父・雅忠の弔問に来なかったとして筆誅を加えている「堀川相国」基具は「美男の楽しき人」として(99段)、二条の祖父・「久我相国」通光は水を飲むにも一家言のある面倒くさい人として(100段)、二条の母方の祖父「四条大納言隆親卿」は「乾鮭といふものを、供御に」提供して非難される人として(182段)、二条の宿敵・東二条院は「竹谷乗願坊」へ仏教に関する真摯な質問をする思慮深い女性として(222段)、「北山太政入道殿」西園寺実兼は「さうなき包丁者」である「園の別当入道」のもったいぶった態度を批判する謹厳な人として(231段)、それぞれ『徒然草』に登場します。
http://web.archive.org/web/20150502075515/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-33-imanodairi.htm
http://web.archive.org/web/20150502062113/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-99-horikawano-shokoku.htm
http://web.archive.org/web/20150502055446/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-100-koganoshokoku.htm
http://web.archive.org/web/20150502065633/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-182-sijotakachika.htm
http://web.archive.org/web/20150502065658/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-222-takedaninojoganbo.htm
http://web.archive.org/web/20150502065708/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-231-sononobettonyudo.htm
こうした『とはずがたり』でお馴染みの人物の中でも、特に興味深いのは『とはずがたり』の最終場面、跋文の直前で二条と和歌の贈答を行う久我通基です。
久我通基(1240-1309)は「久我相国」通光の孫、二条にとっては十八歳上の従兄ですが、二条との歌の贈答は徳治元年(1306)の出来事と考えられているので、通基は六十七歳ですね。
しかし、『徒然草』では「久我の前の大臣」通基は精神を病んだ人として第195段に登場します。
-------
ある人、久我縄手を通りけるに、小袖に大口着たる人、木造りの地蔵を田の中の水におしひたして、ねんごろに洗ひけり。心得がたく見るほどに、狩衣の男二三人出で来て、「ここにおはしましけり」とて、この人を具して去にけり。久我内大臣殿にてぞおはしける。
尋常におはしましける時は、神妙にやんごとなき人にておはしけり。
http://web.archive.org/web/20150502062113/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-99-horikawano-shokoku.htm
旧サイトでは、私は兼好法師が『とはずがたり』を読んでいて、その虚偽に憤りを覚え、二条さん、気の狂った従兄弟と歌の贈答をするなんて、随分器用なことをなさいますね、と冷笑しているのではないか、と考えてみました。
そこで、兼好法師の周辺をいろいろ探ってみたのですが、金沢北条家との関係で二条の「社会圏」と兼好の「社会圏」は重なるな、ということが確認できただけで、結局、あまりすっきりしないまま検討を中断してしまいました。
ま、中途半端で終わってしまった原因は、私が当時の通説であった風巻景次郎説(「家司兼好の社会圏」)を一歩も超えることができなかったからなのですが、この風巻説を根本から覆した小川剛生氏の『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』(中公新書、2017)は、私にとって本当に衝撃的な本でした。
小川氏が解明された兼好の実像は武家社会と公家社会のはざまに生きる情報ブローカーみたいなものですが、ある意味では二条も同じタイプの人ではないか、というのが私の考え方です。
もちろん、二条が活動していたのは兼好などより遥かに上層の世界ではありますが。
以上、私の特別な関心から小川著に言及しましたが、小川著は国文学と歴史学の境界領域に踏み込んだ画期的業績ですので、是非読んでいただきたいと思います。
『とはずがたり』と『徒然草』に登場する久我通基
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bbca183556381323530d10235e6a82a0
『とはずがたり』・『増鏡』・『徒然草』の関係について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/62535f75170a4e3aae07abc9d453aee1
『兼好法師』の衝撃から三ヵ月
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9f8a40b01d861705b1c8291f30001971
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