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設問:一橋大学名誉教授・中村政則の「カラクリ」について

2018-11-27 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年11月27日(火)11時24分25秒

次の文章は、松沢裕作『生きづらい明治時代』(岩波新書、2018)が近代製糸業に関して唯一の参考文献として挙げる、中村政則『日本の歴史第29巻 労働者と農民』(小学館、1976)における「等級賃金制」の説明である。
「等級賃金制」を製糸業者が「女工を低賃金で、しかも長時間にわたって働かせることができるような賃金制度」であり、「能率上昇による利益はすべて自分のふところにはいるような、絶妙な」制度と批判する中村は、この制度の「カラクリ」を見破ったと称するのであるが、実はこの文章には、「等級賃金制」を導入した諏訪の製糸業者が女子労働者に支払った賃金は他地方より極めて高額であったことを隠蔽する巧妙な「カラクリ」が隠されている。
中村の「カラクリ」の内容と、中村がこのような「カラクリ」を「考案」した理由について考察せよ。
なお、引用は中村著の96ページ以下から行った。

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 つぎに、製糸業における労働関係の特質を象徴するものとして、女工の製糸賃金がどのようなカラクリをもっていたかを述べておくことにしたい。一般に製糸業の賃金制度は等級賃金制とよばれており、最近、この等級賃金制については大石嘉一郎・石井寛治・岩本由輝らのすぐれた研究があいついで発表されている。
 製糸業の作業機は、機械ではなく、器械と表現されていたように、ひじょうに簡便な構造をもっていた。昭和五年前後に多条繰糸機が導入されるまでは、良質の糸をどれだけたくさん取れるかは、もっぱら女工の手先の熟練度に依存していたといっても過言ではない。そのために製糸家は女工を低賃金で、しかも長時間にわたって働かせることができるような賃金制度を考案し、能率上昇による利益はすべて自分のふところにはいるような、絶妙な等級賃金制なるものを導入した。
 この等級賃金制というのは、繰目〔くりめ〕・糸目・デニール・光沢などについて工場全体の平均を決定し、その平均より上位の者から順に一等、二等というように順位をつけ、その等級の高低にしたがって賃金の多寡をきめる賃金制度である。工場によっては、これを五〇等級にまで細分しているところもあった。いうまでもなく、製糸資本家の最大の関心事は、安い賃金ですくない原料から良質の糸をたくさん引かせることにあった。そこでまず工場主は、一日の繰糸量(繰目)を賃金計算の基準とするが、いくらたくさん糸を引いても原料繭を無駄使いされては困るというので、一定量の繭からどれだけの糸を取ったか(糸目)を重視する。ついで糸の品位が問題とされ、太さが一定しているかどうか、糸に斑〔むら〕があるかないか(デニール=繊度)を検査して、これを賃金決定の重要な基準とした。女工は毎日、引いた糸を右の基準にしたがって検査され、点数をつけられる。検査にはずれれば逆に罰点をつけられて賃金からさしひかれてしまう。女工が罰点をなにより恐れていたのは、そのためである。
 この等級賃金制の巧妙な点は、製糸女工全体に支払う賃金総額をあらかじめ固定し、決定してあることである。つまり、すでにあたえられた賃金総額を、女工を相互に競争させることによって取りあいさせるわけである。一人がいっしょうけんめい働いたとしても、他人もそれにおとらず働けばそれだけ平均点が上昇するから、いっしょうけんめい働いたぶんだけ賃金もあがるというわけにはゆかない。とくになまけたということでなくとも、日々精進しないかぎり、むしろ等級=賃金はさがってしまうことになる。ちょうど、現代の小学校などでおこなわれている五段階相対評価を思いおこせばよい。3をとっていた者が4や5になろうとしても、4や5の比率はきめられているし、他の生徒ががんばれば、そう簡単に上昇できないのとおなじである。余談になるが、日本の教育の将来をまじめに考えている教員が五段階相対評価に反対しているのは、おおいに理由のあることなのである。
 ともあれ、この制度のもとでは、つねに他人以上に働いていないと自己の賃金が低下するという危険に、女工はたえず怯えていなければならない。しかも、資本家は意識的に優秀な女工を優等工女・一等工女としてもてはやした。身体を酷使できる若い娘たちにとって、この賃金制度は残酷なまでに効果的であった。すこしでも高い等級の賃金をもらえれば郷里の親にもよろこばれるし、自慢にもなる。他人に負けたくないという意地もある。こうして、娘たちは長時間の労働もいとわず、なんとかして点数をあげようと必死の努力をする。等級賃金制は、別名「共食い制度」といわれたが、まさにそのとおり、女工たちはおたがいを食いあいながら、身の細るようなはげしい労働を強制されたのであった。
 さらに工場主は賞旗をつくり、毎日または毎月末に各検番の監督下にある女工の成績を評定して、もっともよい成績をあげた検番にこの賞旗をあたえるなど、検番の競争心をあおることによって、女工の競争を奨励したりした。女工にとって検番は、直接の監督者で、もっとも恐れた存在であった。女工はつねに検番によく思われようと気をくばり、検番の歓心をかうために賞旗をもたらそうと必死の努力をする。

 工女ころすにゃ 刃物はいらぬ 糸目テトロ(繊度)で しめ殺す
 鬼の検番 閻魔の帳場 役に立たない 蛹〔さなぎ〕よせ

などとうたわれていたことが、その間の事情を、よく物語っている。「帳場」は事務所、「蛹」は繭のことである。だから、たまに親切な人のよい検番にでもめぐりあおうものなら、

 申しわけない 小巻さん つい引けました 罰糸が
 こんどの帳に 罰糸でたら
 天竜川へと 身を投げて おわびしますよ 小巻さん

と思慕もこめてうたった。これは前述の有賀このが記憶していた歌詞であるが、それほどに「小巻さん」のような検番はめったにいなかったのである。
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中村政則(1935-2015)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E6%94%BF%E5%89%87
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