学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

流布本も読んでみる。(その44)─「坊主無何心、物具傍に居たりけるを」

2023-05-23 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』

流布本と『平家物語』の関係については「小河太郎」エピソード以外にも気になる点が多数存在しますが、今はまだ検討の準備が整っていないので、後日の課題としたいと思います。
流布本の宇治川合戦に関する記事がまだ残っているので、それを見て行きます。(『新訂承久記』、p119以下)

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 又、京方より、「佐々木太郎左衛門尉氏綱」と名乗て懸出たり。叔父四郎左衛門尉、是を見て、「太郎左衛門、能敵ぞ。中に取籠、討や、者共」と下知しければ、太郎左衛門尉何とか思けん、かいふいて引所を、三浦秋庭三郎寄合て、押双べて組で落つ。秋庭三郎は十七に成けれ共、大力成ければ取て押へて首を取る。
 又、京方より萩野次郎、懸出たり。是も被組落て被討にけり。中条二郎左衛門尉は、奥州の住人宮城小四郎と河端にて寄合て、押双て組で落。何れも大力なりけるが、御方の運にや引れけん、次郎左衛門被組伏て被討けり。
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【私訳】また、京方より「佐々木太郎左衛門尉氏綱」と名乗る者が駆け出てきた。
叔父の「四郎左衛門尉」(信綱)はこれを見て、「良い敵だ。中に取り込めて討て。者ども」と下知すると、氏綱は何を思ったのか、逃げ腰になって引いたところを、「三浦秋葉三郎」に組み落とされた。
秋葉はわずか十七歳だったが、大力なので、氏綱を取り押さえて首を取った。
また、京方より「荻野次郎」が駆け出てきたが、これも組み落とされて討たれた。
「中条次郎左衛門尉」は「奥州の住人宮城小四郎」と河端で馬を並べ、組み落ちて戦ったが、共に大力であったものの、京方の運の悪さに引かれたためか、中条は宮城に組み伏せられて討たれた。

六連続京方エピソードの三・四番ですが、いずれも短いものですね。
「太郎左衛門尉」については、松林氏の頭注に、

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吾妻鏡・六月十四日条、および十八日、宇治川で敵を討った者の条の「佐々木四郎右衛門尉(信綱)」の注に「一人、手討、佐々木太郎右衛門尉」とある人物であろう。なお、信綱と叔父甥の関係にあって、しかも宇治川で戦死した者に氏綱なる人物はいないが、佐々木太郎左衛門ならば、広綱の子惟綱、定高の子時定が該当するが、いずれかは不明。
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とあります。
さて、続きです。(p120以下)

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 奈良法師土護覚心、散々に戦て、今は叶間敷〔かなふまじ〕とや思けん、落行けるを、敵三十騎計にて追懸たり。覚心元来〔もとより〕歩立〔かちだち〕の達者成ければ、馬乗をも後ろに不著、三室堂のある僧房へ走入て見れば、坊主かと覚敷〔おぼしく〕て、白髪なる僧あり。彼が前に物具脱で置て、髪剃〔かみそり〕の有けるに、水かめを取具して縁に出て、自剃して居たり。敵続て来りければ、坊主無何心、物具傍に居たりけるを、是が敵ぞと心得て、取て押ヘて首を取、無慙なりし事也。其後覚心は奈良の方へぞ落行ける。
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【私訳】「奈良法師土護覚心」は散々に戦って、もはや勝ち目がないと思ったのか、落ち行くのを鎌倉方は三十騎ばかりで追いかけた。
覚心はもともと健脚だったので、騎馬の連中にも追い付かれることなく、三室堂(三室戸)のとある僧房に走り入ると、その主かと思われる白髪の僧がいた。
覚心は鎧を脱いで僧の前に置いた後、剃刀があったので、それと水甕を持って縁側に出て、頭を自分で剃った。
追って来た敵は鎧の傍らにいる僧を見て、これを覚心と勘違いし、取り押さえて首を取ったのは無慙なことであった。
その後、覚心は奈良方向に落ちて行った。

とのことですが、「無慙なりし事也」という一言はあるものの、とぼけた味わいのあるコメディとなっています。
土護覚心は瀬田橋の場面でも、

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 京方より奈良法師、土護覚心・円音二人、橋桁を渡て出来り。人は這〔はひ〕々渡橋桁を、是等二人は大長刀を打振て、跳〔をどり〕々曲を振舞てぞ来りける。坂東の者共、是を見て、「悪〔にく〕ひ者の振舞哉。相構て射落せ」とて、各是を支〔ささへ〕て射る。先立たる円音が左の足の大指を、橋桁に被射付、跳りつるも不動。如何可仕共〔すべしとも〕不覚ける所に、続たる覚心、刀を抜て被射付たる指をふつと切捨、肩に掛てぞ引にける。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/524c15c5a95208e8070fb0e28ad7fa13

という具合に敵を挑発するのが大好きな悪僧ですが、「指をふつと切捨」の冷静過ぎる判断力と実行力がすごいですね。
こちらもどこかコミカルで、土護覚心は『太平記』の乾いた笑いの世界を先取りしているかのようなキャラクターです。

「からからと打ち笑ひ」つつ首を斬る僧侶について(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/991ec9ad3c8d2402ccd944273dbe413d

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