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四条隆顕室は吉田経長の従姉妹

2017-12-14 | 小川剛生『兼好法師─徒然草に記されなかった真実』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年12月14日(木)11時30分15秒

今日初めて気づいたことを少し書いておきます。
四条隆親・隆顕父子の不和については、『とはずがたり』に次のような描写があります。(次田香澄『とはずがたり(上)全訳注』、講談社学術文庫、1987、p363以下)

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 さるほどに、四月の祭の御桟敷の事、兵部卿用意して、両院御幸なすなどひしめくよしも、耳のよそに伝え聞きしほどに、同じ四月の頃にや、内・春宮の御元服に、大納言の年たけたるがいるべきに、前官わろしとて、あまりの奉公の忠のよしにや、善勝寺が大納言を、一日借りわたして参るべきよし申す。神妙なりとて、参りて振舞ひまゐりて、返しつけらるべきよしにてありつるが、さにてはなくて、ひきちがへ経任になされぬ。さるほどに善勝寺の大納言、故なくはがれぬること、さながら父の大納言がしごとやと思ひて、深く恨む。当腹隆良の中将に、宰相を申すころなれば、この大納言を参らせ上げて、われを超越せさせんとすると思ひて、同宿も詮なしとて、北の方が父九条中納言家に、籠居しぬるよし聞く。
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次田訳によれば、

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 そうしているうちに、四月の賀茂祭見物の御桟敷のことを兵部卿が用意し、両院の御幸をお世話するなど、騒ぎ立っているということも、よそ事のように伝え聞いたが、同じ四月のころであろうか、主上(後宇多院)・東宮(伏見院)の御元服の儀式に、大納言で年齢の高い人が必要であるのを、前官では悪いというので、兵部卿があまりの奉公の忠義だてのつもりでか、子息善勝寺隆顕の大納言の官を、一日借り受けて奉仕すると申し出た。殊勝なことだということで、兵部卿は参内して、御元服の上寿の役に奉仕してのち、当然大納言を隆顕に返すということだったが、そうではなくて、引き違い経任が大納言に任ぜられた。善勝寺は、大納言の官を理由なくして剥奪されたことはまったく父の大納言のしわざと思い、深く恨んだ。兵部卿は現在の北の方の腹の隆良の中将の参議任官をしきりに申し入れていたころであるから、ここで経任を大納言に押し上げて、自分の地位を超えさせようとするつもりだと善勝寺は考え、父との同居も意味がないと、北の方の父九条中納言の邸に籠居したということを聞く。
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ということですね。
『とはずがたり』では「同じ四月の頃にや、内・春宮の御元服に」とありますが、前投稿で紹介したように『公卿補任』では建治二年(1277)十二月二十日に隆親の大納言還任と隆顕の権大納言辞退の記事、そして諸記録に翌建治三年(1277)正月三日に後宇多天皇(11歳)の加冠の儀が記されています。
ついで『公卿補任』に中御門経任(45歳)が正月二十九日に権中納言から権大納言に転ずる旨、更に四条隆親が二月六日に大納言を辞退する旨の記事があります。
最後に隆顕が五月四日に出家している訳で、実際には約半年間、ゴタゴタしていますが、大筋では『とはずがたり』の記述は史実を反映しているようです。
さて、全くの非宗教的理由で出家した隆顕は別に寺に入る訳でもなく、「北の方が父九条中納言家に、籠居」したとありますが、『尊卑文脈』を見ると、九条忠高の女子の一人に「大納言隆顕卿室」がいるので、「北の方が父九条中納言」とは九条忠高(1213-76)で間違いないですね。
そして、九条忠高の姉妹に「中納言為経室、藤経長」がいるので、四条隆顕室は吉田経長(1239-1309)の従姉妹となります。
ということで、隆顕と吉田経長は、中御門経任(1233-97)の被害者同士というだけでなく、近い親族でもある訳ですね。
もともとこうした関係がある以上、隆顕の娘が吉田経長の息子・定房(1274-1338)と結婚したのもごく自然と思われますが、ここまで材料が揃うと、『吉続記』の「顕空上人」は出家後の四条隆顕で間違いないようですね。

>キラーカーンさん
>堀川基具
『徒然草』第99段に「堀川相国は美男のたのしき人にて・・・」と登場してきますね。
この段は明かに次の第100段「久我相国は、殿上にて水を召しけるに・・・」とセットになっていて、配列に興味を引かれます。

※キラーカーンさんの下記投稿へのレスです。

駄レス 2017/12/14(木) 00:13:32
>>大納言正二位
この時代はまだ正官が機能していたのですね

>>吉田定房
個人的には名家の准大臣の嚆矢としての印象が強いです。

堀川といえば、儀同三司伊周以来、史上二人目の准大臣堀川基具しか思い浮かびませんでした
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