投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 3月21日(水)20時19分21秒
続きです。(次田香澄『とはずがたり(上)全訳注』、p192以下)
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かかるほどに、二十日あまりの曙より、そのここち出できたり。人にかくともいはねば、ただ心知りたる人、一二人ばかりにて、とかく心ばかりはいひ騒ぐも、亡きあとまでもいかなる名にかとどまらんと思ふより、なほざりならぬ志をみるにもいとかなし。いたくとりたることなくて、日も暮れぬ。
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【私訳】こうしているうちに、(九月)二十日過ぎの明け方から、出産が近いように感じられてきた。人には出産だと言っていないので、ただ事情を知った人一人二人だけで、いろいろと気持ちばかりはあせるが、このお産で死んだら後々までどんな浮き名を残すのだろうかと思われ、彼の並々ならぬ心遣いを見るにも、しみじみと悲しい。取り立てて言うほどのこともなくて日も暮れた。
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火ともすほどよりは、殊のほかに近づきて覚ゆれども、ことさら弦打などもせず、ただ衣の下ばかりにて、ひとり悲しみゐたるに、深き鐘の聞ゆるほどにや、あまり堪えがたくや、起きあがるに、「いでや、腰とかやを抱くなるに、さやうのことがなきゆゑに、とどこほるか。いかに抱くべきことぞ」とて、かき起さるる袖にとりつきて、ことなく生れ給ひぬ。まづあなうれしとて、「重湯とく」などいはるるこそ、いつならひけることぞと、心知るどちはあはれがり侍りしか。
さても何ぞと火ともして見給へば、産髪黒々として、今より見あけ給ひたるを、ただ一目みれば、恩愛のよしみなれば、あはれならずしもなきを、そばなる白き小袖におし包みて、枕なる刀の小刀にて、臍の緒うち切りつつ、かきいだきて、人にもいはず外へ出で給ひぬとみしよりほか、またふたたびその面影みざりしこそ。
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【私訳】灯をともす頃から、いよいよ出産が近づいたと思われるが、ことさら魔よけの鳴弦などもせず、ただ衣の下で一人悲しんでいたが、夜更けの鐘の音の聞こえる頃であろうか、あまりに苦しくて起き上がろうとすると、彼が「さて、腰を抱くとかするものだそうだが、そういうことをしないから滞るのだろうか。どのように抱いたら良いのか」と言って私をかき起こされる、その袖にすがりついて無事にお生まれになった。まずは、ああよかった、とほっとして、「重湯を早く差し上げなさい」などと彼が指図されるのを、どこで覚えられたことかと、事情を知っている者たちは感じあっていた。
「ところで赤児は」と彼が灯りをともして御覧になると、産髪が黒々として、今から目を開けておられるのをただ一目見れば、恩愛のよしみであるから、可愛くないはずはないが、彼は側にあった白い小袖に赤児をおし包んで、枕元に置いた守り刀の小刀で臍の緒を切って抱き上げると、人にもいわず外にお出になってしまった、と見たばかりで、再びその面影を見ることはなかった。
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ということで、数多くの古典文学の中でも出産の様相をここまで詳しく、というか露骨に描写した作品は非常に稀で、ここは『とはずがたり』の中でも屈指の名場面とされています。
また、雪の曙が生まれたばかりの赤ちゃんをどこかに連れ去ってしまい、その後二度と会うことはなかった、とここには書いてあるのですが、実際には巻二の「女楽事件」の後、再会の場面があります。
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「さらば、などやいま一目も」と言はまほしけれども、なかなかなればものは言はねど、袖の涙はしるかりけるにや、「よしや、よも。長らへてあらば、見ることのみこそあらめ」など慰めらるれど、一目見合はせられつる面影忘られがたく、女にてさへものし給ひつるを、いかなる方へとだに知らずなりぬると、思ふもかなしけれども、いかにしてといふわざもなければ、人知れぬ音をのみ袖に包みて、夜も明けぬれば、「あまりに心地わびしくて、この暁はやおろし給ひぬ。女にてなどは見えわくほどに侍りつるを」など奏しける。
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【私訳】「そういうことならば、どうしていま一目でも」と言いたいけれども、言ったところでかいのないことなので言いはしないが、袖の涙が私の気持ちを現わしていたからか、「まあ、よもやこれきりということでもない。長く生きていれば、きっとお会いになることもあるでしょう」などと慰められるけれども、一目眼を見合せた面影が忘れ難く、女の児であられたものを、どちらの方へ持って行かれたということさえわからなくなってしまったと思うのも悲しいけれども、何かできる訳でもないので、人知れず袖で顔を覆いつつ泣くばかりで夜も明けると、御所へは「大変体の具合が悪くて、この暁、流産でございました。女児と見分けがつくほどでありました」と奏上した。
巻二で再会した場面では、「雪の曙」の北の方がちょうどその頃出産したけれども、幼くして亡くなってしまったので、その代わりに二条の生んだ子を育てており、人はみな、北の方の子だと思っている、という話になっています。(p309以下)
続きです。(次田香澄『とはずがたり(上)全訳注』、p192以下)
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かかるほどに、二十日あまりの曙より、そのここち出できたり。人にかくともいはねば、ただ心知りたる人、一二人ばかりにて、とかく心ばかりはいひ騒ぐも、亡きあとまでもいかなる名にかとどまらんと思ふより、なほざりならぬ志をみるにもいとかなし。いたくとりたることなくて、日も暮れぬ。
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【私訳】こうしているうちに、(九月)二十日過ぎの明け方から、出産が近いように感じられてきた。人には出産だと言っていないので、ただ事情を知った人一人二人だけで、いろいろと気持ちばかりはあせるが、このお産で死んだら後々までどんな浮き名を残すのだろうかと思われ、彼の並々ならぬ心遣いを見るにも、しみじみと悲しい。取り立てて言うほどのこともなくて日も暮れた。
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火ともすほどよりは、殊のほかに近づきて覚ゆれども、ことさら弦打などもせず、ただ衣の下ばかりにて、ひとり悲しみゐたるに、深き鐘の聞ゆるほどにや、あまり堪えがたくや、起きあがるに、「いでや、腰とかやを抱くなるに、さやうのことがなきゆゑに、とどこほるか。いかに抱くべきことぞ」とて、かき起さるる袖にとりつきて、ことなく生れ給ひぬ。まづあなうれしとて、「重湯とく」などいはるるこそ、いつならひけることぞと、心知るどちはあはれがり侍りしか。
さても何ぞと火ともして見給へば、産髪黒々として、今より見あけ給ひたるを、ただ一目みれば、恩愛のよしみなれば、あはれならずしもなきを、そばなる白き小袖におし包みて、枕なる刀の小刀にて、臍の緒うち切りつつ、かきいだきて、人にもいはず外へ出で給ひぬとみしよりほか、またふたたびその面影みざりしこそ。
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【私訳】灯をともす頃から、いよいよ出産が近づいたと思われるが、ことさら魔よけの鳴弦などもせず、ただ衣の下で一人悲しんでいたが、夜更けの鐘の音の聞こえる頃であろうか、あまりに苦しくて起き上がろうとすると、彼が「さて、腰を抱くとかするものだそうだが、そういうことをしないから滞るのだろうか。どのように抱いたら良いのか」と言って私をかき起こされる、その袖にすがりついて無事にお生まれになった。まずは、ああよかった、とほっとして、「重湯を早く差し上げなさい」などと彼が指図されるのを、どこで覚えられたことかと、事情を知っている者たちは感じあっていた。
「ところで赤児は」と彼が灯りをともして御覧になると、産髪が黒々として、今から目を開けておられるのをただ一目見れば、恩愛のよしみであるから、可愛くないはずはないが、彼は側にあった白い小袖に赤児をおし包んで、枕元に置いた守り刀の小刀で臍の緒を切って抱き上げると、人にもいわず外にお出になってしまった、と見たばかりで、再びその面影を見ることはなかった。
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ということで、数多くの古典文学の中でも出産の様相をここまで詳しく、というか露骨に描写した作品は非常に稀で、ここは『とはずがたり』の中でも屈指の名場面とされています。
また、雪の曙が生まれたばかりの赤ちゃんをどこかに連れ去ってしまい、その後二度と会うことはなかった、とここには書いてあるのですが、実際には巻二の「女楽事件」の後、再会の場面があります。
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「さらば、などやいま一目も」と言はまほしけれども、なかなかなればものは言はねど、袖の涙はしるかりけるにや、「よしや、よも。長らへてあらば、見ることのみこそあらめ」など慰めらるれど、一目見合はせられつる面影忘られがたく、女にてさへものし給ひつるを、いかなる方へとだに知らずなりぬると、思ふもかなしけれども、いかにしてといふわざもなければ、人知れぬ音をのみ袖に包みて、夜も明けぬれば、「あまりに心地わびしくて、この暁はやおろし給ひぬ。女にてなどは見えわくほどに侍りつるを」など奏しける。
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【私訳】「そういうことならば、どうしていま一目でも」と言いたいけれども、言ったところでかいのないことなので言いはしないが、袖の涙が私の気持ちを現わしていたからか、「まあ、よもやこれきりということでもない。長く生きていれば、きっとお会いになることもあるでしょう」などと慰められるけれども、一目眼を見合せた面影が忘れ難く、女の児であられたものを、どちらの方へ持って行かれたということさえわからなくなってしまったと思うのも悲しいけれども、何かできる訳でもないので、人知れず袖で顔を覆いつつ泣くばかりで夜も明けると、御所へは「大変体の具合が悪くて、この暁、流産でございました。女児と見分けがつくほどでありました」と奏上した。
巻二で再会した場面では、「雪の曙」の北の方がちょうどその頃出産したけれども、幼くして亡くなってしまったので、その代わりに二条の生んだ子を育てており、人はみな、北の方の子だと思っている、という話になっています。(p309以下)
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