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田中伸尚『政教分離─地鎮祭から玉串料まで』(その1)

2019-08-22 | 石川健治「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 8月22日(木)12時35分38秒

何故に当初は共産党関係者が関口精一氏を支援しなかったかですが、まあ、その理由のひとつは問題となった地鎮祭関係の出費があまりに少額で、共産党関係者にとってもどうでもよいような話だったからでしょうね。
田中伸尚『政教分離─地鎮祭から玉串料まで』(岩波ブックレット、1997によると、問題の発端は、

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〇一通の案内状 それは前ぶれなく届いた一通の案内状から始まった。

……かねてから関係各位の絶大なる御協力のもとに建設を計画中の津市体育館(仮称)につきましては、このたび着工の運びとなり、次のとおり起工式を執り行なうこととなりました
 つきましては御繁忙中まことに恐縮に存じますが当日貴台の御臨席を賜りたく御案内申し上げます
 昭和四十年一月六日    津市長 角永 清
津市議会議員 関口精一殿
 日時 昭和四十年一月十四日午前十時から
 会場 津市船頭町 建設現場(津球場北)……

 三重県・津市議として三期目の関口精一さん(当時五〇歳)がこの案内状の入った封書を受け取ったのは、一九六五(昭和四〇)年一月七日である。なかには、起工式への出欠を問う津市教育委員会社会教育課宛ての返信用はがきが同封されていた。一日おいた九日、関口さんは社会教育課に出向き、どんなスタイルの起工式をするのかを訊いた。
「はい、地元の大市神社の宮司さんにお願いしています」
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とのことで(p4以下)、この「大市神社は体育館の建設現場に近く、関口さん宅からも遠くはない。戦前の国家神道の下でランクづけされた社格では郷社に属し、それほど規模の大きな神社ではなかったが、れっきとした宗教法人だ」(p5)そうです。
検索してみると、その社殿は、

大市神社(津市岩田)(『美里町の探検日記GP』サイト内)
https://blog.goo.ne.jp/misatotanken/e/6e38fcfd4a6a0018c077c2a77de0aff7

といった具合で、失礼な言い方になりますが、ま、どこにでもあるような小さな神社ですね。
そして、地鎮祭は「宗教法人大市神社の宮司ら四名の神職主催のもとに神式に則り挙行され、上告人が、同市市長として、その挙式費用金七六六三円(神職に対する報償費金四〇〇〇円、供物料金三六六三円)を市の公金から支出」(「津地鎮祭最高裁大法廷判決」、『ジュリスト』648号、p60)したとのことなので、神職一人当たり1,000円という巨額の「報償費」が支払われた上に、「供物料金」も3,663円という巨額ですから、さぞかし立派な「供物」が捧げられたのでありませう。
ちなみに大市神社の規模からすると四名の神職を抱えていたとは思われず、おそらく宮司さんが近隣の神社の神職に応援を頼んだのでしょうね。
このように争われたのが合計7,663円と巨額だったので、「関口さんへの周囲の反応も冷ややかで、たかが八〇〇〇円足らずの「端金〔はしたがね〕」で裁判するなんて変わり者とよく言われた」(p7)のだそうです。
また、おそらく関口氏周辺の共産党関係者の間では、そんな訴訟は無駄に敵を作るだけで、選挙に結びつかない、という判断もあったでしょうね。
さて、意外なことに関口氏は、当初は靖国神社問題との関係は全く考慮していなかったのだそうです。
「一九六四年二月、自民党の遺家族議員協議会が国家護持を決議」(p8)するなど、「靖国問題」が政治的争点となる動きが始まっていたものの、

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 だが関口さんの提起した地鎮祭訴訟が、「靖国問題」と重なってとらえられるには、いま少し時間が要った。関口さん自身も、「あのころの正確な意識は言えませんが、最初は、靖国問題をにらんで訴訟を提起したのではなかった」と回想する。関口さんの訴訟当時の意識は、「靖国問題」というより「足元の政教分離問題」だった。
「以前から、市が水道の水源地に神社をつくり、そこで桜まつりをして、一杯やるんですね。市会議員を呼んで。それから、津市は競艇事業をやっていましてね。そこにも小さな競艇神社をこさえて、ときどき儀式をやるんです。私はいつもそれに反対してきたんです。そうしたら、同僚議員からも関口はウルサイことばっかりいう、と批判されていました」
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とのことです。(p8)
ま、「靖国問題」のような派手な話題とも結びつかないのでは、共産党関係者も応援への意欲は削がれたことでしょう。
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「国家神道」と村上重良

2019-08-22 | 石川健治「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 8月22日(木)10時57分59秒

>好事家さん
好事家さんは「国家神道に毒された憲兵」という具合に「国家神道」との関係を強調されますが、ご説明を聞いても、また『キリスト教よもやま話』ブログを見ても、当該憲兵には、少なくとも通常の意味での「神道」との関係は見られないようですね。
戦前の日本において、憲兵は陸軍省の管轄下に置かれており、内務省神社局が管轄した神社神道とは組織上の関係はありません。
また、個々の憲兵も、神官の家系に育ったような人が皆無ではないでしょうが、まあ、普通は「神道」とは特別な縁はないと思われます。
私の受けた印象では、好事家さんが用いておられる「国家神道」は、左翼的な学者が好む「天皇制イデオロギー」や「天皇制ファシズム」と同義語のようですね。
確かにそのような「国家神道」の用法は広く見られるのですが、実はそのような用法を一般化させたのは村上重良という共産党系の研究者です。
村上の『国家神道』(岩波新書、1970)は多くの読者を獲得し、刊行翌年の津地鎮祭訴訟控訴審判決に著しい影響を与え、更に控訴審判決を覆した最高裁判決においても村上理論の影響を受けた裁判官が相当います。
ただ、現在の歴史学の水準に照らすと村上の国家神道論は実証面での欠陥が多く、少なくとも研究者の世界では村上の影響力は減退していますが、一般読者層にはそうした動きは殆ど伝わっていません。
また、津地鎮祭訴訟の最高裁判決で目的効果基準が示された後、後続の政教分離をめぐる裁判例でも「国家神道」の歴史認識そのものを問うことはなくなり、司法関係者の歴史認識と研究者の認識の間にかなりズレが生じてしまっています。
ま、このあたりは難しい話なので、少しずつ説明して行きたいと思います。
ウィキペディアの説明にも飛躍があって分かりにくいのですが、参考までに一応リンクを貼っておきます。

村上重良(1928-91)

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国家神道は,近代天皇制国家がつくりだした国家宗教であり,明治維新から太平洋戦争の敗戦まで八十年間,日本人を精神的に支配しつづけた.本書は,国家神道の成立から解体までの過程を詳細にたどり,その構造と思想を分析して本質的性格を明らかにすることによって,神道が日本人にとっていかなる意味をもったかを追求する.


※好事家さんの下記投稿へのレスです。

ブスケ神父の逮捕 2019/08/21(水) 14:43:43
当時の憲兵はブスケ神父がフランス人で同盟国ドイツの敵国なのでスパイ容疑で逮捕したようです。
国家神道とキリスト教から離れたいようです。
戦後この憲兵は、自分の行為を深く反省し生存していたら100歳近く。
70歳前後の子供もいるようですがカトリック夙川教会の神父は、どこに住んでいるか知っているようですが個人情報として教えてくれません。
コメント
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