投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 8月30日(金)22時46分51秒
それでは「Ⅲ 論稿」に掲載された小池健治「5 戦前戦中の国家神道による人権侵害─控訴審での「宗教弾圧」の立証を中心にして」(p286)を少し紹介してみます。
この論文は全部で24頁で、その構成は、
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1 はじめに
2 大本教に対する弾圧
3 ひとのみち教団に対する弾圧
4 日本基督教団に対する弾圧
5 むすび
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となっています。
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1 はじめに
国または公共団体が神道式地鎮祭を主催・挙行すること、それに公金を支出することが憲法に違反するか否かを争っている津地鎮祭違憲訴訟において、もっとも本質的な問題点は、国や公共団体と神道という特定宗教との癒着・結合を許すか否か、もしこれを許した場合国民の信教の自由を初めとする精神的自由が侵害される危険はないか、ということである。控訴人側は、この訴訟において、地鎮祭は日常行われている習俗行事である、といった表面的な見方で結局のところ国と特定宗教たる神道との結合を許容したとすれば、政教分離の憲法原則を冒すことはもちろん、国民の宗教の自由や精神生活の自由に多大の危険をもたらすであろうことを憂え、絶対にこれを許してはならないとの考えから、一見些事にみえるこの訴訟を戦い抜いてきたのである。
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途中ですが、いったんここで切ります。
小池氏も一般人からは「一見些事にみえる」であろうことを認めた上で、次のように続けます。
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それでは何故そんなに心配するのか。何を根拠に大騒ぎするのかと反問されるであろう。それに対する答えとして、われわれ弁護団は、国家と神社が一体化した戦前戦中の国家神道による人権侵害とくに他宗教に対する弾圧について生〔なま〕の事実を証人や書証(証拠書類)で立証し、裁判官にそれらの事実に対する直接の認識とそのような苦い体験を経たからこそ憲法で政教分離原則が制定されたのであり、だからこそその原理は、慎重にかつ厳しく、考えなければならないということの深い洞察と理解を求めたのである。以下私は、控訴審で立証した宗教弾圧を中心とする国家神道の人権侵害について述べようと思う。
初めに控訴審において、右の立証テーマで提出・採用された証拠の主要なものを列記しておく。
(証人)滝沢清(元日本基督教団総務局主事)
(書証)
(1) 加藤玄智著「神道精義」(甲第八号証)
(2) 河野省三著「神道読本」(甲第九号証)
(3) 米田豊、高山慶喜共著「戦時ホーリネス受難記、昭和の宗教弾圧」(甲第一一号証)
(4) 出口栄二著「大本教事件」(甲第一二号証)
(5) 出口栄二監修「写真図説民衆の宗教・大本」(甲第一三号証)
(6) 津田騰三著「ひとのみち教団の裁判」(甲第一四号証)
(7) 村上重良著「国家神道」(甲第五四号証の一)
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ということで、「2 大本教に対する弾圧」以下、「国家と神社が一体化した戦前戦中の国家神道による人権侵害」の実例が列挙されています。
それを読んでみると、まあ、各事例の関係者はそれぞれに大変だったのだろうな、とは思うのですが、「戦前戦中」、即ち明治維新から敗戦までの約八十年間に万遍なく宗教弾圧が起きていたかというと、そんなことはありません。
大本教に対する第一次弾圧が1921年(大正10)であることを例外として、大本教第二次弾圧は1935年(昭和10)、ひとのみち教団弾圧は1936年(昭和11)、ホーリネスへの弾圧は1942年(昭和17)という具合に、宗教弾圧の大半は昭和十年代ですね。
美濃部達吉の天皇機関説事件が1935年(昭和10)ですから、帝国憲法下の国家運営の仕組みが軍部の強大な圧力によって変容させられて以降の出来事です。
それでは「Ⅲ 論稿」に掲載された小池健治「5 戦前戦中の国家神道による人権侵害─控訴審での「宗教弾圧」の立証を中心にして」(p286)を少し紹介してみます。
この論文は全部で24頁で、その構成は、
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1 はじめに
2 大本教に対する弾圧
3 ひとのみち教団に対する弾圧
4 日本基督教団に対する弾圧
5 むすび
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となっています。
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1 はじめに
国または公共団体が神道式地鎮祭を主催・挙行すること、それに公金を支出することが憲法に違反するか否かを争っている津地鎮祭違憲訴訟において、もっとも本質的な問題点は、国や公共団体と神道という特定宗教との癒着・結合を許すか否か、もしこれを許した場合国民の信教の自由を初めとする精神的自由が侵害される危険はないか、ということである。控訴人側は、この訴訟において、地鎮祭は日常行われている習俗行事である、といった表面的な見方で結局のところ国と特定宗教たる神道との結合を許容したとすれば、政教分離の憲法原則を冒すことはもちろん、国民の宗教の自由や精神生活の自由に多大の危険をもたらすであろうことを憂え、絶対にこれを許してはならないとの考えから、一見些事にみえるこの訴訟を戦い抜いてきたのである。
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途中ですが、いったんここで切ります。
小池氏も一般人からは「一見些事にみえる」であろうことを認めた上で、次のように続けます。
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それでは何故そんなに心配するのか。何を根拠に大騒ぎするのかと反問されるであろう。それに対する答えとして、われわれ弁護団は、国家と神社が一体化した戦前戦中の国家神道による人権侵害とくに他宗教に対する弾圧について生〔なま〕の事実を証人や書証(証拠書類)で立証し、裁判官にそれらの事実に対する直接の認識とそのような苦い体験を経たからこそ憲法で政教分離原則が制定されたのであり、だからこそその原理は、慎重にかつ厳しく、考えなければならないということの深い洞察と理解を求めたのである。以下私は、控訴審で立証した宗教弾圧を中心とする国家神道の人権侵害について述べようと思う。
初めに控訴審において、右の立証テーマで提出・採用された証拠の主要なものを列記しておく。
(証人)滝沢清(元日本基督教団総務局主事)
(書証)
(1) 加藤玄智著「神道精義」(甲第八号証)
(2) 河野省三著「神道読本」(甲第九号証)
(3) 米田豊、高山慶喜共著「戦時ホーリネス受難記、昭和の宗教弾圧」(甲第一一号証)
(4) 出口栄二著「大本教事件」(甲第一二号証)
(5) 出口栄二監修「写真図説民衆の宗教・大本」(甲第一三号証)
(6) 津田騰三著「ひとのみち教団の裁判」(甲第一四号証)
(7) 村上重良著「国家神道」(甲第五四号証の一)
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ということで、「2 大本教に対する弾圧」以下、「国家と神社が一体化した戦前戦中の国家神道による人権侵害」の実例が列挙されています。
それを読んでみると、まあ、各事例の関係者はそれぞれに大変だったのだろうな、とは思うのですが、「戦前戦中」、即ち明治維新から敗戦までの約八十年間に万遍なく宗教弾圧が起きていたかというと、そんなことはありません。
大本教に対する第一次弾圧が1921年(大正10)であることを例外として、大本教第二次弾圧は1935年(昭和10)、ひとのみち教団弾圧は1936年(昭和11)、ホーリネスへの弾圧は1942年(昭和17)という具合に、宗教弾圧の大半は昭和十年代ですね。
美濃部達吉の天皇機関説事件が1935年(昭和10)ですから、帝国憲法下の国家運営の仕組みが軍部の強大な圧力によって変容させられて以降の出来事です。