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『津地鎮祭違憲訴訟─精神的自由を守る市民運動の記録』(その7)

2019-08-30 | 石川健治「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 8月30日(金)22時46分51秒

それでは「Ⅲ 論稿」に掲載された小池健治「5 戦前戦中の国家神道による人権侵害─控訴審での「宗教弾圧」の立証を中心にして」(p286)を少し紹介してみます。
この論文は全部で24頁で、その構成は、

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1 はじめに
2 大本教に対する弾圧
3 ひとのみち教団に対する弾圧
4 日本基督教団に対する弾圧
5 むすび
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となっています。

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  1 はじめに

 国または公共団体が神道式地鎮祭を主催・挙行すること、それに公金を支出することが憲法に違反するか否かを争っている津地鎮祭違憲訴訟において、もっとも本質的な問題点は、国や公共団体と神道という特定宗教との癒着・結合を許すか否か、もしこれを許した場合国民の信教の自由を初めとする精神的自由が侵害される危険はないか、ということである。控訴人側は、この訴訟において、地鎮祭は日常行われている習俗行事である、といった表面的な見方で結局のところ国と特定宗教たる神道との結合を許容したとすれば、政教分離の憲法原則を冒すことはもちろん、国民の宗教の自由や精神生活の自由に多大の危険をもたらすであろうことを憂え、絶対にこれを許してはならないとの考えから、一見些事にみえるこの訴訟を戦い抜いてきたのである。
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途中ですが、いったんここで切ります。
小池氏も一般人からは「一見些事にみえる」であろうことを認めた上で、次のように続けます。

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それでは何故そんなに心配するのか。何を根拠に大騒ぎするのかと反問されるであろう。それに対する答えとして、われわれ弁護団は、国家と神社が一体化した戦前戦中の国家神道による人権侵害とくに他宗教に対する弾圧について生〔なま〕の事実を証人や書証(証拠書類)で立証し、裁判官にそれらの事実に対する直接の認識とそのような苦い体験を経たからこそ憲法で政教分離原則が制定されたのであり、だからこそその原理は、慎重にかつ厳しく、考えなければならないということの深い洞察と理解を求めたのである。以下私は、控訴審で立証した宗教弾圧を中心とする国家神道の人権侵害について述べようと思う。

 初めに控訴審において、右の立証テーマで提出・採用された証拠の主要なものを列記しておく。
(証人)滝沢清(元日本基督教団総務局主事)
(書証)
(1) 加藤玄智著「神道精義」(甲第八号証)
(2) 河野省三著「神道読本」(甲第九号証)
(3) 米田豊、高山慶喜共著「戦時ホーリネス受難記、昭和の宗教弾圧」(甲第一一号証)
(4) 出口栄二著「大本教事件」(甲第一二号証)
(5) 出口栄二監修「写真図説民衆の宗教・大本」(甲第一三号証)
(6) 津田騰三著「ひとのみち教団の裁判」(甲第一四号証)
(7) 村上重良著「国家神道」(甲第五四号証の一)
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ということで、「2 大本教に対する弾圧」以下、「国家と神社が一体化した戦前戦中の国家神道による人権侵害」の実例が列挙されています。
それを読んでみると、まあ、各事例の関係者はそれぞれに大変だったのだろうな、とは思うのですが、「戦前戦中」、即ち明治維新から敗戦までの約八十年間に万遍なく宗教弾圧が起きていたかというと、そんなことはありません。
大本教に対する第一次弾圧が1921年(大正10)であることを例外として、大本教第二次弾圧は1935年(昭和10)、ひとのみち教団弾圧は1936年(昭和11)、ホーリネスへの弾圧は1942年(昭和17)という具合に、宗教弾圧の大半は昭和十年代ですね。
美濃部達吉の天皇機関説事件が1935年(昭和10)ですから、帝国憲法下の国家運営の仕組みが軍部の強大な圧力によって変容させられて以降の出来事です。
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『津地鎮祭違憲訴訟─精神的自由を守る市民運動の記録』(その6)

2019-08-30 | 石川健治「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 8月30日(金)10時36分32秒

「回顧と展望」座談会における佐木秋夫氏の発言の続きです。(p347)

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そこでちょうど靖国神社国営化の反対運動に私もタッチしていた関係上、関口さんからご連絡いただくと、すぐにその集まりの中で発表し、皆さんの注意をよびおこそうとしました。そこで支援を訴えたのですが、靖国神社問題で戦っておりましたから、すぐ皆さんは理解されまして、これは大変だぞ、ということで支援の体制が始まったのです。それでそういうバック・アップを受けながら私は最初の鑑定人として、名古屋に行ったわけでございます。キリスト教は信教自由の問題では、明治以来ずっとたたかっておられるわけですね。靖国神社問題でも先頭に立っておられる。キリスト教だけでなく、宗平協の諸君、それだけではなくさらに一般の仏教、新宗教の方々─靖国問題に結集しておられる方々─が腕を組む。【後略】
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「宗平協」は「日本宗教者平和協議会」の略称で、共産党に近い団体のようですね。

http://n-syuhei.com/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%AE%97%E6%95%99%E8%80%85%E5%B9%B3%E5%92%8C%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A

佐木秋夫氏の獅子奮迅の活躍は今村嗣夫弁護士の発言の中にも出てきます。(p354)

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 それからもう一つ、この裁判の一番の功労者は佐木先生でしょう。あの田舎の三重県で起こった事件を靖国の問題と結びつけて中央へ持ってこられたのは実は佐木先生なのです。新宗連の清水さんが申していましたが、靖国の会合がある度に佐木さんは何とかの一つ覚えのように、「津、津」と言って説いて回ったそうです。その中に靖国の人たちが皆「津、津」と言うようになった……。(笑い)それでやがて弁護団ができ、「守る会」ができたわけです。ですから佐木先生こそ勝訴をもたらした最大の功労者ということになる……。(笑い)
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「何とかの一つ覚え」には傍点が付されています。
「新宗連」は「新日本宗教団体連合会」の略称で、いわゆる「新宗教」関係の教団の集まりですね。

http://www.shinshuren.or.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%AE%97%E6%95%99%E5%9B%A3%E4%BD%93%E9%80%A3%E5%90%88%E4%BC%9A

「新宗教」の教団の大半が民衆的・大衆的な基盤に根ざしているので、理屈っぽい人が多い共産党とはあまり相性が良くないように思われますが、宗教学者の佐木氏は従前から「新宗教」との人脈も豊富だったようですね。
さて、今村弁護士から「この裁判の一番の功労者は佐木先生」、「あの田舎の三重県で起こった事件を靖国の問題と結びつけて中央へ持ってこられたのは実は佐木先生」、「佐木先生こそ勝訴をもたらした最大の功労者」と持ち上げられた佐木氏はまんざらでもない気分だったでしょうが、

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佐木 私はメッセンジャーみたいなものですよ。この問題はなかなか分かりにくいですからね。
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と控え目な返答をします。
「守る会」の軍師として、かの黒田官兵衛並みに大活躍された佐木氏が率直に認めておられるように、確かに地鎮祭問題には分かりにくさがあります。
「靖国の問題」、すなわち当時具体化していた靖国神社国家護持法案のような問題であれば、誰もが憲法の政教分離原則と抵触する可能性を理解できますが、地鎮祭みたいな地味な習俗的儀式の場合、一般人にとっては「靖国の問題」との結びつきは自明ではなく、憲法を持ち出すこと自体があまりに大袈裟な感じがしてピンと来ません。
そこで「守る会」側としては、自己の主張をアピールするために、地鎮祭は「国家神道」と、従って「靖国の問題」と重大な関係があるのだ、という論証をする必要が生じます。
そのあたりを小池健治弁護士の「5 戦前戦中の国家神道による人権侵害─控訴審での「宗教弾圧」の立証を中心にして」(p286以下)に即して見て行くことにします。
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