学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「藤林の仕掛けは不発に終わった」─「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?」を読む。(その6)

2019-08-15 | 石川健治「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 8月15日(木)12時14分54秒

続きです。(p162以下)

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 もちろん、自衛官合祀事件判決の反対意見において、「『たとえ、少数者の潔癖感に基づく意見と見られるものがあつても、かれらの宗教や良心の自由に対する侵犯は多数決をもつてしてもゆるされない』という藤林裁判官の意見(多数意見引用の昭和52年7月13日大法廷判決における追加反対意見)は傾聴すべきものと思われる」と述べた伊藤正己裁判官のような、重要な例外は存在する(最大判昭和63・6・1民集42巻5号277頁)。しかし、専門家による判例評釈は、もっぱら法廷意見の「目的効果基準」に目を奪われて、本家レモン・テストとの異同に関心を集中させたため、藤林の仕掛けは不発に終わった。むしろ、法廷意見で採用された「制度的保障論」や「目的効果基準」は、地鎮祭への公金支出の合憲性を巧みに正当化したのみならず、本稿筆者を含む若い研究者たちの関心を、本件の背景にあった「靖国問題」の文脈から、欧米の理論動向に逸らせるのに大いに力を発揮し、<「日本」という問題>に対する思考停止を、もたらしたのではなかろうか。
 藤林による追加反対意見を、一己の信仰を告白した頗る個人的な文書であるかのように描くこの状況は、今日まで基本的には変わっていない。しかし、この読み方では、当の法廷意見が、一貫して藤林長官の訴訟指揮のもとで、彼への対抗言説として形成された、という側面を読み落とすことになる。他方で、名古屋高裁判決の論旨を引き継いだ反対意見の古典的自由主義と、矢内原=藤林のキリスト教的自由主義の対抗関係を切り捨てることで、本件と自衛官合祀事件とにおいて同時代的に現れた、日本近代史における或る共通の歴史的鉱脈を見逃してしまうだろう。本稿は、そうした研究動向へのプロテストとして草された、拙い一つの試行である。
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「藤林による追加反対意見を、一己の信仰を告白した頗る個人的な文書であるかのように描くこの状況」が何故生じたかというと、それは藤林が、担当調査官の越山安久氏にすら(あくまで石川氏による推定ではあるものの)「他人の文章の丸写しであって、論ずるに足りない」と思われるような、「出来の悪い学生」の「文献丸写しのレポート」のような追加反対意見を書いたからではないですかね。
仮に藤林が自分自身の言葉で「名古屋高裁判決の論旨を引き継いだ反対意見の古典的自由主義」に「対抗」する「キリスト教的自由主義」に基づく力強い立論をしたならば、「当の法廷意見が、一貫して藤林長官の訴訟指揮のもとで、彼への対抗言説として形成された、という側面」が明確に浮かび上がったはずです。
また、私は別に石川氏の問題関心に共感はしませんが、石川氏が懸念されているような「本稿筆者を含む若い研究者たちの関心を、本件の背景にあった「靖国問題」の文脈から、欧米の理論動向に逸らせる」事態を生じさせることも、「<「日本」という問題>に対する思考停止を、もたら」すことも、「本件と自衛官合祀事件とにおいて同時代的に現れた、日本近代史における或る共通の歴史的鉱脈を見逃してしまう」こともなかったのではないか、と思われます。
要するに、諸悪の根源は、(石川氏の解釈によれば)特別な意図に基づく「仕掛け」として、藤林が他人の論文の丸パクリである変てこな追加反対意見を書いたことにある、というのが私の見方です。

以上で「序 埋もれたテクスト構造」の紹介は終わり、次回投稿から「Ⅰ 津地鎮祭事件判決の形成」を検討して行きます。
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「他人の文章の丸写しであって、論ずるに足りない」─「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?」を読む。(その5)

2019-08-15 | 石川健治「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?」

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 8月15日(木)11時23分11秒

続きです。(p161以下)

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 かくして、本判決は、法廷意見・反対意見・藤林追加反対意見をそれぞれ頂点とする、トライアングルの対抗関係によって構成された、重層的なテクスト構造をもつことになった、はずであった。こうしたテクストの深層における対立構造に比べれば、既存のすべての判例評釈が注目する、法廷意見の目的効果基準とアメリカのレモン・テスト(Lemon v. Kurtzman, 403 U.S.602[1971])との対比は、あくまで副次的なものに過ぎない。
 けれども、裁判ジャーナリズムは、「アガペー長官」「クリスチャン長官」とのレッテル貼りのもとに、藤林長官が退官の記念に一己の信仰を率直に告白した、ある種微笑ましいエピソードとしてのみ、この追加反対意見を取り上げた。それ以上に、担当調査官の越山安久が、機敏な対応をみせた。判決直後のジュリスト誌上での解説では、テクストの形成過程を知り抜いた者にしかできない、法廷意見のすこぶる的確な内在的読解を示して、これと反対意見とを対比する一方、藤林追加反対意見を事実上黙殺したのである。この論調は、越山が古巣の東京地裁に戻った時分に発表した、いわゆる調査官解説でも貫かれている。彼は、同解説のフォーマットに従い、「本判決」の要点を摘示しているが、そこでは「多数意見」と「反対意見」だけが紹介され、判決書全体の3分の1を占める藤林追加反対意見には、その存在についてすら言及されていない。わずかに3点ほどの論旨が「説明」中に織り込まれているのみであり、それ以外の行論は、他人の文章の丸写しであって、論ずるに足りないと考えられたのであろう。
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「けれども、裁判ジャーナリズムは、「アガペー長官」「クリスチャン長官」とのレッテル貼りのもとに【中略】この追加反対意見を取り上げた」に付された注13には、

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13)参照、朝日新聞1977年7月13日夕刊11面、読売新聞同日夕刊9面。
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とあり、未確認ですが、おそらく読売新聞記事の筆者は滝鼻卓雄という人ですね。
藤林は『法律家の知恵─法・信仰・自伝』』(東京布井出版、1982)に、

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 ところで、皆さんに聞いて貰おうと思って、私が最高裁判所をやめてから出版された法学セミナーという雑誌の増刊を持って来ました。これは「最高裁判所」(昭和五二年一二月)という本ですが、これに歴代長官のプロフィールという四頁ずつの記事が出ていて、その中に私は「藤林益三─タカ派路線の総仕上げ」ということになっております。これは少し時間がかかりますが、読みますから聞いて欲しいのです。これが、私の言いたい一つの大事なことです。
 「このように藤林氏は、労働基本権や迅速な裁判を受ける権利などにかかわる裁判については、弁護士出身のわりには、保守的態度を堅持したが、津地鎮祭訴訟という宗教的テーマに対しては、異常とも思える情念を燃やして取り組んだ。」
異常とも思えたんだそうです。私は異常とは思わないのですが。
【中略】
この記者はよく私と会っています。読売かどこかの司法記者で、社会部の人です。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a7b3cb36ca408d744e5bb92a98d9eb3e

と書いていて、滝鼻記者には強い敵意を抱いていたようです。
また、「アガペー長官」云々については、山本祐司氏『最高裁物語(下巻)』(日本評論社、1994)の、

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ショートリリーフ─藤林益三

 変わった風が吹いた。ロッキードの影はますます濃くなり、深刻さを増しているが、国会近くの最高裁では明るい笑い声がはずんだ、陽気でおしゃべりで気さくな長官が誕生したのだ、昭和五十一年五月二五日夕、皇居での親任式を終えたばかりの藤林益三は初の記者会見にのぞんだが、終始にこやかで脱線しがちなそのデビューぶりは、厳粛で言葉少ないこれまでの長官のそれとは大分様子が変わっていた。
 「愛ですよ」と藤林は言った。「愛といっても恋愛じゃないよ。だいたい日本語には愛という言葉が少ない。ギリシャ語には四通りもあるのに。エロスの愛ではなく、アガペー。つまり汝の敵を愛する"愛"じゃがな」

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/59623e6975889e4bc6c5b4ab42de9383

という記述が参考になります。

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