投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 8月15日(木)11時23分11秒
続きです。(p161以下)
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かくして、本判決は、法廷意見・反対意見・藤林追加反対意見をそれぞれ頂点とする、トライアングルの対抗関係によって構成された、重層的なテクスト構造をもつことになった、はずであった。こうしたテクストの深層における対立構造に比べれば、既存のすべての判例評釈が注目する、法廷意見の目的効果基準とアメリカのレモン・テスト(Lemon v. Kurtzman, 403 U.S.602[1971])との対比は、あくまで副次的なものに過ぎない。
けれども、裁判ジャーナリズムは、「アガペー長官」「クリスチャン長官」とのレッテル貼りのもとに、藤林長官が退官の記念に一己の信仰を率直に告白した、ある種微笑ましいエピソードとしてのみ、この追加反対意見を取り上げた。それ以上に、担当調査官の越山安久が、機敏な対応をみせた。判決直後のジュリスト誌上での解説では、テクストの形成過程を知り抜いた者にしかできない、法廷意見のすこぶる的確な内在的読解を示して、これと反対意見とを対比する一方、藤林追加反対意見を事実上黙殺したのである。この論調は、越山が古巣の東京地裁に戻った時分に発表した、いわゆる調査官解説でも貫かれている。彼は、同解説のフォーマットに従い、「本判決」の要点を摘示しているが、そこでは「多数意見」と「反対意見」だけが紹介され、判決書全体の3分の1を占める藤林追加反対意見には、その存在についてすら言及されていない。わずかに3点ほどの論旨が「説明」中に織り込まれているのみであり、それ以外の行論は、他人の文章の丸写しであって、論ずるに足りないと考えられたのであろう。
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「けれども、裁判ジャーナリズムは、「アガペー長官」「クリスチャン長官」とのレッテル貼りのもとに【中略】この追加反対意見を取り上げた」に付された注13には、
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13)参照、朝日新聞1977年7月13日夕刊11面、読売新聞同日夕刊9面。
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とあり、未確認ですが、おそらく読売新聞記事の筆者は滝鼻卓雄という人ですね。
藤林は『法律家の知恵─法・信仰・自伝』』(東京布井出版、1982)に、
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ところで、皆さんに聞いて貰おうと思って、私が最高裁判所をやめてから出版された法学セミナーという雑誌の増刊を持って来ました。これは「最高裁判所」(昭和五二年一二月)という本ですが、これに歴代長官のプロフィールという四頁ずつの記事が出ていて、その中に私は「藤林益三─タカ派路線の総仕上げ」ということになっております。これは少し時間がかかりますが、読みますから聞いて欲しいのです。これが、私の言いたい一つの大事なことです。
「このように藤林氏は、労働基本権や迅速な裁判を受ける権利などにかかわる裁判については、弁護士出身のわりには、保守的態度を堅持したが、津地鎮祭訴訟という宗教的テーマに対しては、異常とも思える情念を燃やして取り組んだ。」
異常とも思えたんだそうです。私は異常とは思わないのですが。
【中略】
この記者はよく私と会っています。読売かどこかの司法記者で、社会部の人です。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a7b3cb36ca408d744e5bb92a98d9eb3e
と書いていて、滝鼻記者には強い敵意を抱いていたようです。
また、「アガペー長官」云々については、山本祐司氏『最高裁物語(下巻)』(日本評論社、1994)の、
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ショートリリーフ─藤林益三
変わった風が吹いた。ロッキードの影はますます濃くなり、深刻さを増しているが、国会近くの最高裁では明るい笑い声がはずんだ、陽気でおしゃべりで気さくな長官が誕生したのだ、昭和五十一年五月二五日夕、皇居での親任式を終えたばかりの藤林益三は初の記者会見にのぞんだが、終始にこやかで脱線しがちなそのデビューぶりは、厳粛で言葉少ないこれまでの長官のそれとは大分様子が変わっていた。
「愛ですよ」と藤林は言った。「愛といっても恋愛じゃないよ。だいたい日本語には愛という言葉が少ない。ギリシャ語には四通りもあるのに。エロスの愛ではなく、アガペー。つまり汝の敵を愛する"愛"じゃがな」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/59623e6975889e4bc6c5b4ab42de9383
という記述が参考になります。