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『津地鎮祭違憲訴訟─精神的自由を守る市民運動の記録』(その5)

2019-08-29 | 石川健治「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 8月29日(木)06時27分38秒

1971年5月14日の控訴審勝訴を受けて行なわれた座談会は、

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  1 二審の勝因

司会 皆さん今晩は。いろいろな都合で来られない方もいらっしゃいますが、最高裁での連続勝訴をめざして、「回顧と展望」という題のもとに、しばらくの間、皆さんの自由な発言また決意といったものをいただきたいと願っております。
 私たちは皆、去る五月十四日において、文字通り、「名古屋の空は青かった」という大変うれしい思い出を持っているのですが、一体何が名古屋高裁において、あのような歴史的勝訴をもたらしたということについて、最初に皆さんからお話を承りたいと思います。原告の関口先生からまず最初に発言していただきたいと思います。
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という司会(西川重則氏)の高揚感に満ちた発言(p345)を受けて、関口精一氏が、

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関口 裁判に勝ったということですが、こういう機会を持てて、全国的な課題として深めていただくことに感謝しています。
 まず第一審の結果と比べましても、問題が全国的な問題と言いますか、全国に、そういう知的な高い水準の問題としてとらえられていたことと、それから「守る会」が出来てそのバック・アップが種々な専門家を結集する力となった。そういうことが非常に大きな力となったと、相手方と対比してみますと一目瞭然だと思います。第二に、もう一つの側面は、司法反動というか、靖国問題を含めてですね。このことは私は非常に一面的にとらえて、どの裁判官も最高裁の判決になびいて迎合的でないかと考えていましたが、むしろあの司法反動の空気そのものが真面目な裁判官の気風を引きしめさせ、判決という形で自分たちの姿勢を明らかにしていくという一つの機縁になったのではないかということですね。これは、ごく最近では、新潟の水俣病とかそのほかいろいろな判例を見ても何かそのような事を私は考えるわけですね。それから第三にはやはり、これは靖国問題、また、もっと底流と言えば軍国主義の復活に対する反対ですね。国民が具体的に日常生活の中であれこれということでは、わたしの提起した裁判という形ではやっていませんけれども、何かしらなじまない、こう戦争反対というか、根強い流れを社会も特にマスコミなどは敏感にとらえて、それが一つの表面の事象としてこれを批判し支持するという形、これがあったと思うのです。それだけに反動側、神社本庁側、こういう方はですね、非常にヒステリックになって、しかも、論理になっていないということが裏の現象となっていたと思うのです。【後略】
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と発言します。
地鎮祭のような地味な行事を扱い、金額的にも僅か7,663円という少額の事件が全国的な問題に発展した理由としては、やはり靖国問題と連動させた運動方針の的確さが挙げられるでしょうね。
そして、「最高裁があることですから、そんな有頂天になってはいけませんけどね」という「有頂天」な気分に溢れた感想で終わった関口発言を受けて、司会は、

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司会 この勝訴がもたらした要因の中で、この際改めて確認しておきたいと思うのですが、佐木先生が第一審の判決について、宗教学者として冷静に分析され、そして鑑定人の立場から、宗教の本質論と言いますか、相手側の習俗論に対して、真正面から対決をされたと承っておりますが、そのような鋭い理論的な掘り下げをされたことによって、その後の裁判に大きな影響を与えたという意味で、非常な重責を果たされたわけですね。そのような立場から、次に佐木先生からお話を承りたいと思います。
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と佐木氏に発言を促します。
佐木氏が理論面のみならず組織・運動面でも「守る会」の中で大きな役割を果たしながら役職にはついていないのは、鑑定人としての立場を優先させたからでしょうね。
一宗教学者として、あくまで客観的な立場から鑑定を行ないました、というイメージを損うのはまずい、という訴訟戦略上の判断だと思います。
さて、この後、佐木氏の非常に長い発言があります。(p346以下)

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佐木 私はこの事件を関口さんから連絡をいただいて初めて知ったのですが、その時はすでに名古屋高裁にかかっている段階でした。それを知りまして、非常に驚いてですね。これは大変だと思ったのです。というのはサンフランシスコ講和条約が発効するとまもなく、急テンポで国家神道を復活させる動きが起こってまいりました。【中略】これはいかん、と思って、いろいろな立場の方々と一緒になっていろいろやっておったことがあるのですが、なかなかはっきりした戦いにはならない。そうするうちにさっきおっしゃっていたような靖国神社問題が起こってきた。つまり、一九六六年にまず紀元節復活、その次の段階で靖国神社問題、次は伊勢だ、とこういうふうにわれわれは見た。ところが靖国神社、伊勢神宮を公的なものにするには、政教分離の条項をあいまいにしなければならないという絶対の条件がある。この地鎮祭の問題は、まさにここにぶつかっています。つまり神道行事を公的にやっても違憲ではない、という論理がここにあるわけですね。で、第一審判決はそれを認めている。これをこのままうっちゃっておいたら、えらいことになると非常に驚きました。
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途中ですが、長くなったのでいったんここで切ります。
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