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関口精一、かく語りき(その1)

2019-08-18 | 石川健治「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 8月18日(日)09時24分59秒

佐伯真光氏による関口精一氏へのインタビューも参考までに抜粋して引用しておきます。(p290以下)
なお、佐伯氏について、weblio には、

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高野山真言宗の僧。横浜市宝生寺住職。大正大・東北大・東大・ハーバード大などで学ぶ。湘南工科大教授。新興宗教の研究者。著『アメリカ式人の死に方』他。(一九三一~二〇〇〇)

https://www.weblio.jp/content/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E7%9C%9F%E5%85%89

とありますが、『アメリカ式・人の死にかた』(自由国民社、1973)を確認してみたところ、奥付の「著者紹介」には、

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昭和5年11月1日横浜に生れる。東北大学文学部印度学仏教史学科卒業。東京大学大学院博士課程在学中の昭和36年ハーバード大学世界宗教センターに留学。39年帰国。
現在宝生寺(高野山真言宗)住職。相模工業大学助教授。国学院大学講師。
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とあり、生年は weblio とは違って1930年とのことなので、関口精一氏より15歳下ですね。
インタビューがいつ行われたのかは書いてありませんが、名古屋高裁判決が1971年5月14日、『法と宗教』の刊行が1972年12月、そしてこのインタビューは雑誌「時の課題」七月号より引用とのことなので、1972年の春くらいでしょうか。

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〔参考〕「神様」へ抗議する─雑誌「時の課題」七月号より引用─

地鎮祭違憲訴訟をおこした共産党市議(当時)に
率直に問題点をただした核心に迫る一問一答─

語る人 関口精一
きく人 佐伯真光


天皇と伊勢神宮

─「公共機関主催の神式地鎮祭は信教の自由を侵し憲法違反だ」という訴訟を最初に提起されたのは、どんな動機からでしょうか。

関口 第一審で負けたときに私がまとめた「神のたそがれ」にも書いておりますように、基本的には明治いらいの神道国教化、とくに戦争中はこれが横暴なほどに進められ戦争政策とファシズム・天皇制護持に役立ってきている。これを何とかしなければという考えからです。
 当面の政治課題としては靖国神社国営化と、三重県民として地域的な責任としての伊勢神宮国家護持への反対があります。国会でとり上げる、デモや集会をやるのも大きな力になりますが、地方行政の面でとどめをさして成果を挙げる、判例として確定させる、そういう形で行動に参加することを考えたわけです。
 たまたま私は津市の市会議員だったので、地方自治の上でやりやすい立場にもあったということですね。

─地域的な責任、といわれるその伊勢神宮の問題では、具体的にどんなことがあるのですか。

関口 天皇や総理大臣その他の官僚が伊勢神宮に参拝する。厳密には天皇は自分のポケットマネー、つまり内廷費で来ていると思いますが、やはりこれは天皇制と神社神道の強化につながる政治的ページェントです。また、佐藤首相が来て神宮の宗教的建物の中で政治的会見をする。こういう慣習をつくりあげることは危険なことです。

─その天皇陛下の神宮参拝との関連ですが、去年の秋、天皇陛下がヨーロッパに行かれたときロンドンのウエストミンスター・アベイに参拝されたことについては、関口さんはどうお考えですか。

関口 ウエストミンスター寺院はイギリスの国教会で、いわば靖国神社的意味もあり無名戦士の墓や大臣宰相をまつってあるから、そこに儀礼的に行くのは止むをえないでしょう。アラブ諸国から来日したお客が伊勢神宮に行くこともあるし、これは信仰的な問題じゃない。思想的に私ども無神論者からいうと、無名戦士の墓に花輪をささげるのは無意味なことだと思いますが、人生には儀式というものがあって、そこまでいわなくてもよいでしょう。だが、靖国、伊勢神宮に対する天皇、政府のいまの態度は絶対許してはなりません。
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「思想的に私ども無神論者からいうと、無名戦士の墓に花輪をささげるのは無意味なこと」といったあたりに関口氏の思想の極端さが窺われますが、ここはまだ序の口です。
コメント
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