投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 8月10日(土)11時07分47秒
ちょっと休んでしまいましたが、またボチボチと投稿して行きます。
前回投稿で須賀博志氏の「戦後憲法学における「国家神道」像の形成」(『史学会シンポジウム叢書 戦後史のなかの「国家神道」』)に触れましたが、この論文の注で石川健治氏の「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?─津地鎮祭事件判決」(駒村圭吾編『テクストとしての判決』、有斐閣、2016)という論文の存在を知りました。
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テクストとしての判決 -- 「近代」と「憲法」を読み解く
近代立憲主義と判決の結節点を読む
判決に残された「近代的なるもの」の痕跡を読み解く,9人の研究者による挑戦的な論文集。判例を法テクストのみならず思想テクストとして扱い,時代と事案を振り返って日本法思想に肉薄する。今後の判例研究・判例学習に資する,新たな判例読解の手法を示す力作。
http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641131910
【編集担当者から】テクストって何,とお思いでしょう。本書は,最高裁の判決を素材として,一人一人の執筆者が,そこに隠されている「近代」と「憲法」の思想を探り出してみせるという試みに挑戦した,新しい判例研究の手法への取組みの成果です。憲法研究者を中心として,民法・法哲学分野からもご執筆をいただきました。
「判決を読む」ということ,それ自体は,本誌の読者が日頃向き合っているような,学習方法や実務の道具立てとしての「判決の読み方」よりも,もっと知的で深みのある作業となりうることを示したい。そう考えた執筆者たちは「近代」の手がかりとなる,思想・宗教・文学・歴史といった光を判決文に当てて,反射光に目を凝らしました。果たして判決文という一見硬直的なテクストの中に「近代」と「憲法」は見つかるのか。
学習や実務に少しお疲れのあなたと,もう一度,知的探求心に溢れる冒険に出たい。そんな思いの詰まった,珠玉の論文集です。(清田)
http://www.yuhikaku.co.jp/static_files/BookInfo201702-13191.pdf
須賀氏は「藤林追加反対意見とそのキリスト教的リベラリズムについて」、石川論文が「詳細な検討と緻密で刺激的な分析を展開している」(p133)と好意的に紹介されていたのですが、私は若干の戸惑いを覚えました。
というのは、津地鎮祭判決での藤林追加意見は矢内原忠雄の「近代日本における宗教と民主主義」という論文の丸パクリであって、それ自体がそれほど知的な価値のある見解ではなく、従ってそんなものを素材にして「詳細な検討と緻密で刺激的な分析を展開」したところでロクな成果は出ないのではないか、と思ったからです。
ただ、石川氏の論文はレトリックが極めて華麗で、読み物として楽しいので、まあ、暇つぶしにはなるかなと思って『テクストとしての判決』を入手してみました。
全部で73頁分もある長大な石川論文は、正直、予想通りのびみょーな内容だったのですが、しかし、これ自体が学問的にそれほど価値がないとしても、「国家神道」に関する歴史学と法律学の認識の食い違いを検討するための「素材」・「テクスト」としては手頃なのではないか、とも思われました。
そこで、暫くこの論文を検討してみたいと思います。
なお、清宮四郎に関する石川氏の研究については、以前、少し検討したことがあります。
石川健治教授の「憲法考古学」もしくは「憲法郷土史」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/cf4f5a44c409b736631232d49b35e0f1
石川憲法学の「土着ボケ黒ミサ」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5bf547fcd41f62a1df77cc76e0277f3b