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関口精一、かく語りき(その3)

2019-08-20 | 石川健治「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 8月20日(火)15時19分38秒

関口精一氏は「東ドイツも、例えば裁判で宣誓するときに共産党員でも「神に誓って」というのだそうですね」と言っていますが、これは本当なんですかね。
手元に東ドイツの宗教事情に関する資料がないので、とりあえずウィキペディアを見ると、

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信仰の自由は東ドイツでは憲法で公的に保証されていた。しかし政府は教会の影響力を抑え、特に若者を宗教から遠ざけようとしていた[62]。1953年に教会青年団(ドイツ語版)の活動が犯罪となり、学校や大学で退学者や逮捕者を出した。この措置は1953年6月には撤回されたものの、信仰を公言したキリスト教徒は、大学進学や国家のキャリアコースを歩む可能性が制限されることになった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD

などとあります。
こういう状況下では、もちろん裁判で宣誓するときに「神に誓って」という人はいたでしょうが、無神論者であるべき共産党員もそうだったのか。
少なくとも訴訟法に定められた正式の宣誓の手順で、共産党員を含む全ての人に「神に誓って」と言えと強制したとは思えないですね。
ま、そのあたりは後日調べるとして、関口氏のインタビューの続きです。
聞き手の佐伯氏は高野山真言宗・宝生寺の住職でありながら欧米のキリスト教事情にも詳しい人なので、次のようなやりとりもあります。(p301以下)

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─そのクリスチャンですがね。日本での神式の地鎮祭とか慰霊祭とかをきびしく批判するのですが、実は、それはそっくりアメリカにおけるキリスト教に対する批判として受けとることができるのです。定礎式や議会の開院式など、キリスト教の牧師はそのためにこそいる。新しい建物ができるときは、日本の地鎮祭にあたることをチャンと牧師がやって、まずキリスト教のお祈りを捧げる。公立高校であれ、船の進水式であれ同様です。
関口 大統領の宣誓式だってそうですね。日本でもお経をあげてやったら異様なものでしょうが、アメリカでは常識になっている。ただ、私は、「神」に対しては歴史的に好まないのですよ。
─その場合の「神」とは、日本の神道における神でキリスト教の神は含まないのですか。
関口 含みません。
─しかし、この「神のたそがれ」という、あなたの書かれた本の序文では、キリスト教批判をしておられますが……。
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長くなるので続きは省略しますが、このあたりは関口氏も些か苦しい対応が続きます。
そして、関口氏を「支援しているキリスト教の人々の気持ちが、どうしてもわからない」という佐伯氏とのやりとりの中で、関口氏の支援者であるキリスト教関係者の具体像が出てきます。

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関口 クリスチャンの若い弁護士さんは、戦争中の神社神道の横暴を問題にしている。だから同時に、キリスト教団の戦争中の行為に対しても、年配の牧師たちは恥ずべきだという考えをもっている。
 とくに山手教会の信者のみなさんたちが、訴訟を守る会には多いようです。
─山手教会は、場所がよいせいか、よく新左翼の過激派学生が集まって、逆に教会が占拠された形になり、大騒ぎしたり、それに内部の者もからんで、しばしば争ったりしているところです。ところでキリスト教自体がこんな問題と取り組むと宗派争いになると、私には思えるのですが─
関口 だから無神論者がやってよかったというわけですか(笑)。
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ここに出てくる山手教会は、横浜にあるカトリック山手教会ではなく、渋谷の日本基督教団東京山手教会ですね。

http://tokyoyamate.com/

いわゆる従軍慰安婦問題の活動家として著名だった朝日新聞の松井やより氏の父・平山照次氏が創立した教会です。

平山照次(1907-2004)
https://kotobank.jp/word/%E5%B9%B3%E5%B1%B1%20%E7%85%A7%E6%AC%A1-1653553
松井やより(1934-2002)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BA%95%E3%82%84%E3%82%88%E3%82%8A
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「宗教的人格権」

2019-08-20 | 石川健治「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 8月20日(火)14時10分14秒

>好事家さん
残念ながら私は好事家さんの主張にあまり共感できないのですが、好事家さんの主張を法的に構成すると、元号使用の強制は「国家神道」の強制であり、キリスト教信者の心の静謐を著しく害するので「宗教的人格権」の侵害だ、といったことになるかと思います。
とすると、類例としては自衛官護国神社合祀事件などが思い浮かびます。

自衛官護国神社合祀事件

争う手段としては、銀行の元号使用強制が「宗教的人格権」の侵害だとして、民法709条(不法行為)に基づく慰謝料請求を行なうことが考えられます。
銀行側も別に宗教的な信念に基づき元号使用を要求している訳ではなく、単に元号・西暦の混在による事務処理上の混乱を防止したい、といった程度の理由で契約条件を設定しているものと思われますが、これはこれで営業活動の自由という憲法上の権利(憲法22条1項)の発現といえそうですね。
好事家さん側にそのような銀行側の権利を凌駕するだけの、憲法上保護に値する利益があるかどうか、が問題となりますが、「国家神道」の定義ひとつをとってもクリアーすべき法的課題は山積しており、なかなか難しそうですね。
妻の同意なくして護国神社に合祀されてしまったとの、クリスチャンである妻にとっては相当に心の静謐を脅かされたと思われる前掲のケースでも、最高裁は「宗教的人格権」の侵害を認めませんでした。
結論として、好事家さんの主張が法的に正当なものとして認められる可能性はあまりないのではないかと思います。

※好事家さんの下記投稿へのレスです。
「小太郎さんまた教えて下さい」
「右の人とのやりとり」
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