
津市岩田、国道23号から50mほど西に入ったところにあります、
大市神社です。
鳥居の脇に「郷社大市神社」という石碑が建っています。
津市安濃町妙法寺の大市神社と起源を同じくするもので、
日本書紀に伝わる「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)」という人物が
垂仁天王の時代に朝鮮半島の任那国から日本にやってきて、
その末裔が大市氏を名乗り、大市氏の氏神として大市神社を祀った、と伝えられています。

こちらの神社は、元々は「川松明神」と呼ばれていました。
大雨で岩田川が氾濫したとき、
安濃町村主にあった神社がここまで流れてきて、
川岸の松に引っ掛かっていたのを、地元の人が松から下ろして
大事に建て直した、ということです。
安濃町村主を流れているのは穴倉川であり、これは安濃川に合流するので
現在の河川の状況では、安濃から岩田に流れ着くことはありません。
以下、阿漕平八さんのご教示によると、
高虎さんが津城を固める以前は、安濃川と岩田川は
津新町駅あたりで、くっついていたそうです。今でも「古河」の地名が残っています。
で、安濃川の支流が岩田川に垂直に当たったが為に、
岩田川南岸はエグれて、岩田入江という湿地帯になり、明治にはそこに刑務所が造られるようになります。
刑務所と川松大明神さんは、スグ近くになりますから、
台風で流されて来たとしても、ありえない話ではありません。
ちなみに、刑務所のあたりから岩田川の河幅が急に広くなるのも、
安濃川支流の来ていた痕跡なのだそうです。
とのことです。

妙法寺にも村主にも大市神社があったとなると、
古代の安濃町には大市氏の一族が住んでいたのか、気になるところです。
「勢陽五鈴遺響」には、妙法寺の紹介として
此寺宇(妙法寺)存スルニ拠テ妙法寺村ト名ク。本邑ノ東三町計ニ大市ト称ス村落アリ、
今ハ廃シテ妙法寺村ニ相合シテ其名モ失ヒタリト村老ノ話ナリ。
寺号ニ大市山ト称スルモ此ニ孰レ村邑及大市神社モ此時ニ廃セシナリ。
と書かれていて、
かつては「大市」という村があったと記されていますが、
それが渡来人の大市氏と結びつくのかどうかは不明です。

(大市神社の拝殿)

大市神社の境内には、稲荷社があります。
旧津市内、旧久居市内にはこのように「お稲荷さん」を祀っている神社が多くあります。
現代では
「お稲荷さんの多数の鳥居を通り抜けると、願い事が叶えられる」として
商売繁盛の神様とされるのが一般的ですが、
元々は五穀豊穣の神様で、
京都伏見稲荷の神紋にも稲穂が描かれています。
三重三菱自販跡地(津市岩田)の石造物群
津新町駅あたりで、くっついていたそうです。今でも
「古河」の地名が残っています。
で、安濃川の支流が岩田川に垂直に当たったが為に、
岩田川南岸はエグれて、岩田入江という湿地帯になり、明治にはそこに刑務所が造られるようになります。
刑務所と川松大明神さんは、スグ近くになりますから、
台風で流されて来たとしても、ありえない話ではありま
せん。ちなみに、刑務所のあたりから岩田川の河幅が
急に広くなるのも、安濃川支流の来ていた痕跡なのだ
そうです。
本年も多くのUP有難うございます。来年も楽しみにし
ています。
ご教示ありがとうございました。
早速、記事に書き加えさせていただきました。
この「岩田シリーズ」は、
まだまだ書きかけの記事が残っていまして(苦笑、
前回ご指摘いただきました、岩田の昔のお寺の配置なども
最後にご紹介できればと考えています。