学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「興福寺五重塔二十五円売却説」の若干の問題点

2016-01-15 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 1月15日(金)10時12分42秒

別に学説上の争点ではありませんが、興福寺の廃仏毀釈については、ちょっと変な話がありますね。
またまた阪本是丸氏の「神仏分離研究の課題と展望」からの引用で恐縮ですが、阪本氏は太田暁子氏の「『廃仏運動』の社会的基盤」(中塚明編『古都論─日本史上の奈良─』、柏書房、1994)と安丸良夫氏の『神々の明治維新』(岩波新書、1979)の興福寺に関係する部分を摘記した後で、

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 この太田、安丸の記述をみても、いかに種本たる『明治維新神仏分離史料』の記述の影響が大きいかが知られよう。その「種本」を作成した大屋徳城は「奈良における神仏分離、延いては廃仏毀釈は、興福寺に於て、尤も激烈を極めたりき、されば、奈良の排仏及び神仏分離は、興福寺を中心として観察するを以て至当とし、且つ最も便宜なりとす」と述べ、「三輪の大御輪寺・石上の内山永久寺」も興福寺に比すれば「同日の談に非ず」と断言して、「奈良に於ける神仏分離」と題する史料紹介を兼ねた長大な報告を行ない、上記「興福寺五重塔二十五円売却説」を世に流布せしめたのであった(なお、どうでもいいことかもしれないが、大屋の報告が掲載されている同じ『明治維新神仏分離史料』の中巻に収録された水木要太郎の「明治初年の南都諸大寺」には「興福寺の五重塔を弥三郎とか云ふ者に売却せんとし、その価格は二百五十円であったそうです」と記されている。また高田良信も『「法隆寺日記」をひらく─廃仏毀釈から100年』(日本放送出版協会、昭和六十一年)で「二百五十円売却説」を明治三十八年の『新大和新聞』の記事によって紹介している。一体、どちらが本当なのだろう)。
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と書かれています。(p158)
大屋徳城(1882-1950)は早大卒の仏教学者で、福岡県柳川市の浄土真宗大谷派の寺に生まれた人ですから、仏教一般については詳しくても奈良には特別なゆかりはないようです。
他方、水木要太郎(1865-1938)は奈良で師範学校の教員を長く務めた人で、大和郡山市サイトによれば、<これら大和の歴史や文化に関する「博識」から、いつしか「大和の水木か、水木の大和か」と呼ばれ、大和を代表する研究者、文人としての地位を確立>したほどの人だそうですから、年齢が大屋より17歳上であることも考慮すると、少なくとも興福寺の一件に関しては水木要太郎の方が信頼できそうな感じがします。
しかし、話としては二百五十円説より二十五円説の方がずっと面白いので、結果的にこちらが「流布」することになったのでしょうね。

「水木十五堂賞」(大和郡山市サイト内)
http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/govt/torikumi/jigyou/002904.html

ちなみに佐伯恵達氏の『廃仏毀釈百年』では何の疑いもなく二十五円としており(p159)、松岡正剛氏も先に紹介したように何の疑いもなく二十五円としています。

松岡正剛氏の悲憤慷慨(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7dcfc06e6340821f7355bf5a32f3b089

コメント
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