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明るい「かのように」の宗教哲学

2016-01-05 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 1月 5日(火)10時26分26秒


>筆綾丸さん
>「フラート」
私にフランス語の知識を期待するのはやめてください。
ドイツでなくフランスをやろうと思ったのは、フランスだったら筆綾丸さんの知識・知恵を借りることができそうだ、というちゃっかりした計算も入っているのです。

>甘粕は狂信などとは縁遠い冷めた人間
その通りだと思います。
ウィキペディア情報ですが、西田勝氏は1928年生まれ、東大文学部国史学科卒、元法政大学文学部教授とのことで、「平和運動家」としての活動で有名な人ですね。
毎日新聞の記事にも「文芸評論家」とありますが、政治活動家で昔は文芸評論らしきものを主に共産党系の雑誌に書いていた人、程度の位置づけで良さそうですね。

>秀麿の言う als ob
筆綾丸さんから鴎外の「かのように」に言及していただいたので、「グローバル神道の夢物語」で予定していた投稿の十回分くらいが省略できそうです。
私も素晴らしい日本神道の思想をグローバルに広めよう、などと思っている訳では全くなくて、神道の輸出など無理であることは自明です。
神道こそ究極の「かのように」タイプの宗教であって、普通の国民はもちろん、神社の内側にいる人達だって、神の内実など何も知らず、何も信じておらず、ただ「伝統的」とされる儀礼を繰り返しているだけですね。
ただ、キリスト教など明確な教義のある宗教を基準にして、神道のような「かのように」タイプの宗教を冷ややかに、軽蔑的に見るのではなく、それもけっこう悪くはないし、あちこちで戦争ばかりしている現在の世界情勢にとって、意外に将来性のある明るい宗教かもしれないね、みたいなことを論じたいのです。
そして、日本だったら神々の輸出ではなく、輸入ができるのじゃないかな、てなことを考えています。
ま、そのような変てこな内容なので「夢物語」と題しました。

>ボアソナード
大学入学の年に読んだ大久保泰甫氏の『ボワソナアド─日本近代法の父』(岩波新書、1977)を去年読み直してみたのですが、ボアソナードはフランスの大学で教職を得ようと無理を重ねたけれども結局かなわず、苦い思いをかかえながら日本に来た人ですね。
まあ、当時としてはそれなりの論文を書いたのでしょうが、フランスでの評価はあまり高くなかった、というか殆ど無視され、そのまま現在に至っているのでしょうね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

「鶴岡八幡宮の鳩」 2016/01/04(月) 12:44:47

あけましておめでとうございます。

昨日、鶴岡八幡宮でおみくじを引くと、大吉でした。

こいつぁ春から縁起がいいわえ(お嬢吉三)。

小太郎さん
むかし、『怪帝ナポレオン?世』は拾い読みしましたが、鹿島氏の旺盛な執筆力には驚かされますね。
「フラート」とは flatter(フラテ:お世辞を言う、おもねる)のことでしょうか。辞書には、Vous me flattez(ヴ ム フラテ:私には過分のお言葉です、あまりいい気にさせないでください、お口がお上手なこと)、という例文などが載っています。

今日の日経に甘粕正彦の記事があり、「天皇が統治する日本への狂信的な信仰」(西田勝氏)とあるのですが、甘粕は狂信などとは縁遠い冷めた人間だったような気がします。それにしても、正月早々、甘粕正彦と樋口一葉とは、なんとも珍妙な組合せです。

甘粕には、秀麿の言う als ob が似合いそうな感じがしないでもない。

「法律の自由意志と云うものの存在しないのも、疾っくに分かっている。しかし自由意志があるかのように考えなくては、刑法が全部無意味になる。」と秀麿が言うとき、鴎外の脳裡には何があったのでしょうね。フォイエルバッハ、穂積陳重などは当然として。

追記
ボアソナードの仏語版ウィキは拍子抜けするほど短く、しかも胸像は法政大学所蔵の写真にすぎず、母国では忘れ去られた法学者なのかもしれません。
むかしパリ第一大学の校内をブラブラ散歩していたとき、たしか二階のフロアでしたが、ボアソナードの胸像があって、ビックリしたことがあります。駐仏日本大使館のゴリ押しで設置されたものにすぎないのかもしれませんが。
石塚智佐氏はパンテオン校舎の紹介をしていますが、明治政府の恩人ボアソナードの胸像への言及はなく、歴史にはたぶん興味はないのでしょうね。
コメント
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