投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 1月 6日(水)11時22分23秒
東大名誉教授の佐伯彰一氏が元旦に亡くなられたそうですが、地元の北日本新聞はさすがに詳しいですね。
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佐伯彰一さん死去 立山町出身の文芸評論家、93歳
北日本新聞 1月6日(水)0時12分配信
立山町出身の文芸評論家で、米国文学研究や翻訳、比較文化研究で知られる日本芸術院会員の佐伯彰一(さえき・しょういち)さんが1日午後1時48分、肺炎のため東京都目黒区の病院で死去した。93歳。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男泰樹(やすき)さん。
立山町芦峅寺の神職の家に生まれ、1943年に東京帝国大(現東京大)英文科を卒業。戦後、米国留学を経て東京大教授、中央大教授などを長く務めた。客員教授として米国やカナダの大学でも日本文学を講義。日米の現代文学や、自伝を通しての比較文化研究に取り組んだ。作家の三島由紀夫研究でも知られる。晩年は神道を中心に日本人の宗教的心情にも関心を広げた。
東京大名誉教授。東京の世田谷文学館、山梨県の三島由紀夫文学館の館長などを歴任。文学の普及にも熱心で、日本文芸家協会、日本ペンクラブの役職も務めた。91年、立山博物館(立山町芦峅寺)開館に合わせて名誉館長に就任。93年度から7年間にわたって県芸術文化協会が主催する「とやま文学賞」の選者を務め、同協会の名誉会員。立山町名誉町民。
「物語芸術論」で読売文学賞、「自伝の世紀」で芸術選奨文部大臣賞。他の著書に「内と外からの日本文学」「評伝三島由紀夫」「日本人の自伝」など。【後略】
芦峅寺は霊峰立山の麓、神仏習合の名残を強く残す独特な土地柄で、「佐伯」は立山開山・佐伯有頼の末裔であることを示す名字ですね。
アメリカ文学翻訳者・文芸評論家として社会的地位を確立した後、佐伯氏は神道についてもしきりに論じられるようになりましたが、その関係の代表作は『神道のこころ─見えざる神を索めて』(日本教文社、1989)でしょうか。
昨日は筆綾丸さんが「かのように」を出してくださったので十投稿分くらい省略できたと書きましたが、久米邦武以来、「祭天の古俗」として神道を冷ややかに眺める知識人が多数を占める一方で、佐伯氏のように神道はけっこう素晴らしいよね、という立場の知識人もそれなりにいて、「グローバル神道の夢物語」を論ずる前提として、後者の知識人を中心にやはり十投稿くらいしようかなと思っていたのですが、まあ、私も神道そのものについてそれほど深い議論はできないので、思い切って省略したいと思います。
ただ、竹山道雄の神道論については、後で議論することがあるかもしれません。
竹山道雄を『ビルマの竪琴』の童話作家みたいに誤解している人はけっこう多いと思いますが、同時代においては視野の広さ、洞察の深さにおいて一頭抜きん出た存在だというのが私の個人的評価で、竹山晩年の神道に関するエッセイはなかなか興味深いですね。
>筆綾丸さん
神の名の下に目を吊り上げて殺し合いをしている人々に向って何を語っても無駄ですから、暫くは殺し疲れるのを待つしかないのでしょうが、今後の展開によっては世界が破壊されてしまう可能性だってゼロではないので、全くの傍観者でいることも難しいですね。
>大久保利通の末裔でしょうか
これは多分違うと思います。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「如神在」神学 2016/01/05(火) 13:55:50
小太郎さん
サウジアラビアとイランが国交を断絶し中東情勢はますます混乱してきましたが、スンニ派やシーア派の人たちに「祭神如神在」などと折伏しようとしたら、殴られるか、悪くすると、殺されますものね。
大久保泰甫氏は、通字の「利」がないものの、大久保利通の末裔でしょうか。
ウィキによれば、ボアソナアドの父は本国で成功した学者で、モンマルトルの墓地に眠っているようですが、あの墓地も何度か訪ねたものの未見です。息子は南仏のアンティーブで亡くなったので(1910年)、おそらく父の墓には入らなかったのでしょうね。帰国の折は、横浜を出港して紅海経由でマルセイユに着き、冷遇された寒いパリへは向かわず、親戚の住む暖かいアンティーブに居を定めたのかもしれませんね。
『ボワソナアド─日本近代法の父』を読んでみます。
以下は勝手な憶測です。
父の姓にある Fontarabie は arabie を含むので、先祖はアラブ系か。boisson は飲料とくに酒類を意味し、font は faire(=make)の活用形ながら fond(底)と音は同じだから、Boissonade de Fontarabie は「アラビアの底の酒(?)」くらいの意味か。
ボアソナアド家はガスコーニュ出なので、あの辺りでアラックの輸出入にでも携わっていたか。