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私の好きな言葉─「愚民」

2016-01-28 | グローバル神道の夢物語
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 1月28日(木)09時47分16秒

井上勝生氏『幕末・維新 シリーズ日本近現代史①』から、前回投稿で引用した部分の続きです。(p200以下)

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 北条県で、白衣を着た「血取り」役人が来るという流言を流したのは、旧村役人で、県庁に徴兵・地券・学校・屠牛・斬髪・解放令などの反対を歎願し、ついで戸長、下級県吏、小学校、被差別への焼き討ちへと向かう。戸長への反発は特に激しかった。「戸長征伐」と称され、戸長宅がことごとく焼き討ちされた。
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流言は民衆の間に自然発生的に生じるのではなく、事情を詳しく知っている地域のそれなりのインテリ層から生まれるのは「耶蘇衆」も同じでしょうね。

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 北条県血税一揆では下級官吏と戸長五九戸、小学校一八ヵ所、被差別三一四戸が焼き討ちされた。一揆後、斬罪は一五名、全体で二万七〇〇〇名が処罰された。最大の蜂起となった筑前竹槍一揆では、官吏、戸長、豪農商一一三三戸が、さらに被差別一五〇〇戸も焼き討ちされた。この一揆は県庁に突入し、書類などを焼き捨てた。四名が死刑、最も軽い笞三〇以下を含めて全体で六万四〇〇〇名が処罰され、福岡県の総戸数の七一パーセントが処罰された。襲撃が多いのは、前述のように、上から政府の都合を先にして行われた解放令の問題と、民衆が差別意識を根強く持っていたことを示している。
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「上から政府の都合を先にして行われた」というのは、1871年8月の解放令(廃止令)が人道的な観点からではなく、地租改正の障害を除くために行われたことを示します。
若干分かりにくいので「前述」の部分を引用すると(p195以下)、

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 しかし廃止令が発令される直接のきっかけは、地租改正関連法案の発令だった。廃藩置県後、すぐに地租改正が政府の政策課題になり、土地売買を自由にして地券を出す政策がとられる。それまで「※※」や「※※」は「社会外」の存在とされ、その宅地も「土地外の土地」であった。下級の刑吏役や「弊牛馬」(牛馬の死骸)処理をつとめるかわりに年貢が免除されていた。いわゆる無租地であり、「※※」や「※※」の居住地も特定の場所に制限されていた。一方、明治政府はあらゆる土地に画一的に地券を発行して税をとるために、社寺地や武家地などを含めた無租地の自由売買を許可し、租税も負担させた。すべての土地の自由売買化こそが、人民の活力を引き出すのであり、それが旧弊の否定だという、きわめて単純な文明化の理解に基づいていた。こうして七一年八月、すべての無租地廃止が布告される。「※※」、「※※」の宅地も売買を認め、租税をかけた。同時に、「※※」、「※※」の居住制限の解除も必要になる。「社会外」という隔離支配は不可能になり、結局、無租地廃止の九日後に、身分自体の廃止令が出された。
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ということですね。
なお、伏字はその用語で検索をかけて来る人との無用な掲示板トラブルを避けるために用いただけで、知りたい人は井上氏の著書を読んでください。
さて、一揆関係の資料を読んでいると、「愚民を煽動して」云々、といった表現をよく見かけます。
私はこの「愚民」という言葉の力強い響きがけっこう好きなのですが、やはり新政府反対一揆の中でも「学校反対」や「解放令反対」を叫ぶ一揆の「愚民」度はひと味違いますね。
まあ、明治新政府の官吏も相当強引ですが、この種の「愚民」を相手にする苦労を考えると、若干の同情を禁じえなくもありません。
この種の一揆から比べると、詳しく見ればいろいろ問題の多い「護法一揆」すら、ずいぶん上品な、格調高い一揆のように思えてきます。
コメント
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