つづきです。
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ところで、清宮先生は、憲法改正限界論を採る多くの学者が、その限界を画する際に、「大部分は単に規定の対象の政治的重要性乃至は事実上の変更困難性を以て直ちに区別の標識となし、いまだ確たる法的根拠に立脚するものとはいい得ない」(C一六六頁)、と批判している。それと関連して、C・シュミットのように憲法と憲法律の区別から改正の限界を画することを、「理論上も実際上も不可能である。かくして設けられる限界は実は極めて恣意的なものであろうから」(同上)、と評している。まさにその点で、戦後になってからの清宮先生自身の根本規範論・憲法改正限界論は首尾一貫しているかどうか、問題とされる余地がある。
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論文Cは「憲法改正作用」(1938年)ですね。
ここで、「戦後になってからの清宮先生自身の根本規範論・憲法改正限界論は首尾一貫しているかどうか」という極めて厳しい問題意識が明確化されます。
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というのは、帝国憲法下で根本規範とされていたのは、文字どおり「国家における始源的法創設の最高権威を設定」する規範、帝国憲法一条であった。ところが、戦後は、国民主権のほか人権と平和主義にわたる「三つの原理」、「さらにそれらの原理の根底にある原理として、『個人の尊厳』という原理」が、「日本国憲法における根本規範の内容」として示されることとなった(憲法Ⅰ、第三版三三頁)。戦前は、清宮先生の用語法でいう授権規範の窮極にあるものだけが根本規範とされることによって、「確たる法的根拠に立脚」していたとすれば、戦後は、先生のいう制限規範までを根本規範として性格づけたことによって、結局、「規定対象の政治的重要性」にもとづく区別にもどったのではないだろうか。
そして、そのこと自体、それぞれの実定憲法の性格の反映であるとすれば(帝国憲法にとって「憲法の憲法」(前出三三頁)が君主主権に尽きていたのに対し、日本国憲法の国民主権は単独で「憲法の憲法」とはなりえず、より窮極の「個人の尊厳」によって支えられなければならない、というちがい)、清宮根本規範論の軌跡も、それが実定憲法学の根拠づけであろうとする点からくる反映であると同時に、問題点をさし示すように思われる。
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「戦前は、清宮先生の用語法でいう授権規範の…」の「清宮先生の用語法でいう」に傍点が付されています。
樋口論文はこれで終わりですが、全体として、論文B=「違法の後法」を含む「清宮四郎先生の戦前の業績」に対する樋口氏の視線はかなり厳しいもののように感じられますね。
樋口氏の見解については、同じジュリスト964号に掲載された樋口氏と高見勝利・芦部信喜氏の鼎談での芦部氏の評価を紹介した上で、少し検討しようと思います。