投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年10月15日(木)16時44分36秒
今日は鈴木竹雄編『田中耕太郎 人と業績』(1977、有斐閣)を読んでいて、読み終えたら田中の『増補 法と宗教と社会生活』(春秋社、1957、初版は1925)に進もうかなと思っているので、清宮四郎に復帰するのは暫く先になりそうです。
>筆綾丸さん
>「毎週一回の輪読」は東大構内
これはそうでしょうね。
参加者の一人、滋賀秀三氏(東大名誉教授、中国法制史、1921-2008)は、この研究会の様子について次のように語っています。(『田中耕太郎 人と業績』、p293以下)
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昭和十八年十月、大学院特別研究生として、十二人という前代未聞の数の若者が法学部の研究室に入った。なかに矢沢惇さん、加藤一郎さん等積極的な人士があって、先生にお願し、有志を集めて、ラートブルフ『法哲学』の輪読会が持たれることになった。副リーダーとして尾高朝雄先生、そして当時新進の助教授であられた野田良之先生も参加された。
研究生活の始めにおいて、しかも戦争末期のすさんだ世情の中にあって、かような輪読会に参加することのできた仕合わせは、終生忘れることができない。もっとも、ここでも先生は特に多くのことを語られたわけではない。むしろ尾高先生のさわやかな弁が座をひきたてていた感じである。わたくしのような参加者がラートブルフの哲学そのものを当時どれだけ理解し得たかはすこぶるおぼつかない。先生が、何度読み返してもその度に新たに得るものがある、とてひとり悦に入っておられるのを、ぽかんと見ていたこともある。しかし二年間、物を考える刺戟を与えられ続けたことは貴重であった。最終回、いつものようにメンバーが参集しつつあるとき、入り来った一人によって、いましがたソ連参戦のニュースを聞いた旨が告げられた。一瞬、そして一瞬だけ、先生は非常に厳しい表情に変られた。当時先生が、同志数教授と力を併せて、戦争の早期終結のために画策しておられたことは、ずっと後になって始めて知った。
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昭和20年5月に田中の椎名町の自宅は空襲で全焼し、田中は岳父の松本烝治宅に引っ越していたはずですが、空襲で自宅が焼けようがソ連が参戦しようが、研究会は行う訳ですね。
ちなみに昭和19年春、京城帝国大学から転じて田中の同僚となっていた尾高朝雄はもっと気の毒で、昭和20年4月に駒込の自宅が空襲で全焼し、追い討ちをかけるように5月末には召集令状が来て、46歳で甲府の連隊に入隊したので(久留都茂子『父、尾高朝雄を語る』、竜門社深谷支部、p26)、ラートブルフ研究会の終わりの方には参加できなかったはずですね。
>エンデルレ書店
キリスト教関係の書店については私も全く詳しくありませんが、ネットで検索してみると、店舗は2013年11月末で閉店してしまったようですね。
また、国会図書館サイトで「出版者」をエンデルレ書店として検索すると480件出てきて、そのうち、一番最初の時期(昭和18-22年)の7冊は「ルーペルト・エンデルレ書店」となってしますね。
この「ルーペルト・エンデルレ書店」で改めてネットで検索すると、「奥付検印紙日録」というブログに同社出版物の奥付と検印紙の例が出ていて、そこに「発行者 ルーペルト・エンデルレ」、「独逸ヘルデル出版社代理店」とありますね。
また、「daily-sumus」というブログには、
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詳しいことは分らないが、戦前、ルーペルト・エンデルレがヘルダーの代理店として東京に開業した出版社である。昭和十八年の住所は東京市四谷区三栄町三番地ノ一。哲学・思想書を中心に刊行していたようだ。
とあります。
「ルーペルト」は Rupert なんでしょうね。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
Enderle? 2015/10/14(水) 21:23:38
小太郎さん
戦時中の昭和十九年六月から二十年九月まで、ラードブルッフ法哲学の研究会が継続した、というのは驚きですが、「毎週一回の輪読」は東大構内で行われたのでしょうね。
http://tamutamu2011.kuronowish.com/sunagawasaikousai.htm
砂川事件最高裁大法廷判決の補足意見において、「いわんや本件駐留が違憲不法なものでないにおいておや」という文がありましたが、『法哲学』邦訳序においても、「況んや所謂社会科学や文化科学や政治経済を論ずる者においておや」とあり、この「おや」にはオヤッと思わせるものがありますね。
http://www2n.biglobe.ne.jp/~jysuzuki/syoten.htm
http://www.sunnypages.jp/travel_guide/tokyo_books_music/bookstores/Enderle+Bookstore+Yotsuya/4377/reviews
「東京エンデルレ書店」はカトリック書の老舗なんですね。カトリック関連の書店が四谷に集中しているのは、上智大学と聖イグナチオ教会の所在地と関係があるのでしょうね。Enderle とは人名でしょうか。
小太郎さん
戦時中の昭和十九年六月から二十年九月まで、ラードブルッフ法哲学の研究会が継続した、というのは驚きですが、「毎週一回の輪読」は東大構内で行われたのでしょうね。
http://tamutamu2011.kuronowish.com/sunagawasaikousai.htm
砂川事件最高裁大法廷判決の補足意見において、「いわんや本件駐留が違憲不法なものでないにおいておや」という文がありましたが、『法哲学』邦訳序においても、「況んや所謂社会科学や文化科学や政治経済を論ずる者においておや」とあり、この「おや」にはオヤッと思わせるものがありますね。
http://www2n.biglobe.ne.jp/~jysuzuki/syoten.htm
http://www.sunnypages.jp/travel_guide/tokyo_books_music/bookstores/Enderle+Bookstore+Yotsuya/4377/reviews
「東京エンデルレ書店」はカトリック書の老舗なんですね。カトリック関連の書店が四谷に集中しているのは、上智大学と聖イグナチオ教会の所在地と関係があるのでしょうね。Enderle とは人名でしょうか。