学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

石山寺蔵「天川弁才天曼荼羅」

2011-02-05 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 2月 5日(土)12時04分10秒

2008年に行われた展覧会の図録『石山寺の美 観音・紫式部・源氏物語』(大本山石山寺)を入手し、石山寺蔵の「天川弁才天曼荼羅」を確認しましたが、目の周りに黒い隈があって、あまり愛嬌のない顔をしていますね。
とりあえず「黒蛇様」と呼んでおきます。
画面上方、蛇頭の二人の眷属が口から吐き出している宝珠の列が直線状で、しかも平行線となっているのが珍しい感じがします。
谷口耕生氏の作品解説(p195)によると「室町時代も早い時期の作」だそうですが、白蛇様と2世紀もずれてしまうものなのかな、という感じがしないでもありません。

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18 天川弁才天曼荼羅 一幅

絹本着色
縦一〇三.七 横三八.一
室町時代(十四世紀)

蛇頭人身で三面十臂という異形の弁才天を本尊として、周囲に七眷属と十五童子を配し、火炎宝珠を戴く三山を背後に描くという、極めて特殊な構成の曼荼羅。弁才天を蛇頭に表すことは、弁才天と日本古来の福徳神で蛇形の宇賀神との習合によるものと考えられる。
下方に従う十五童子は宇賀神に仕えて衆生に福徳を与えるとされ、それぞれ鍵や筆・硯、升などの宝器を持物とする。七眷属は、近年高野山の聖教中から発見された『十臂弁才天次第口訣』によれば、弁才天の足を支える天女が水天と火天、左右の天女が吉祥天と訶梨帝母、弁才天の左右と下方に配される蛇頭の眷属が三大王子であるという。画中にちりばめられた宝珠は、福徳や富の象徴であるとともに仏舎利を象徴することから、弁才天信仰と舎利信仰との関わりも予想される。
本図は、裏面墨書によれば隆厳法師が天川社から相承したとされる。同様の作例が奈良・長谷寺の能満院や和歌山・高野山の親王院に伝来しており、天川社の弁才天信仰が広まった南都および真言密教系の寺院を中心に流布したことがわかる。着衣の文様や衣文線、土玻などに金泥が用いられ、彫り塗りを多用する点に特色があり、室町時代も早い時期の作と見られる。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs

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