キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

晩飯に好みのおかずが並んだ

2024年05月10日 | Weblog
夕方、本来ならば散歩に行かなきゃいけなかったのだが、疲れていたので自転車でビッグに出かけ中にある100円ショップで、額と線香と蝋燭とマジックペンを買った。
店内を逍遥していると何かしら買ってしまうもんだね。

午前中、妻がやけに大きいアオリイカを買ったと見せに来た。
一杯2千円だったと云っていたが、この大きさなら3日間刺身で喰えそうだった。
風呂から出ると、そのアオリイカの卵を煮たのと鰤のあら煮があり、そいつを肴にハイボールを飲みだした。
牛肉と豆腐と蒟蒻と牛蒡を煮たのが出てきて、上に絹さやが載っていて彩もよく、いい出来だった。特に豆腐が美味かった。
その内、今朝湯河原で上がったという豆鯵が唐揚げになって出てきたが、これが抜群に美味かった。
その内アオリイカの縁側が刺身で出て来たので、酒を呑んだ。
そうそう昼に煮た蕗とシメジの佃煮も肴にしたが、流石に5月も半ばに近く、葉は硬くて不味かった。
昨日飲みすぎていたので、そこそこに酒は止め飯を喰ったが、良いおかずが揃っていたので美味かった。

8時までYouTubeで神経ストレッチと食べ物についての番組を3篇ほど視聴した。
昼間、書庫から引っ張り出して置いた小室直樹「日本いまだ近代国家に非ず」を読むことにして、2階に上がることにした。
去年の秋にも小室直樹ブームがあったが、また再燃しそうな感じだね。


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古い日記が出て来た

2024年05月10日 | Weblog
ここのところ何日か晩飯の後二階の書斎で音楽を聴きながら本を読むことが多いが、一昨日の晩、何気なく両袖の左側の一番下の大きな引き出しを開けたら、便箋や千代紙などの間に古い日記があった。
読んでみると、大学時代に惚れていた女性とのことが書いてあり、2年前に日記を整理した時に、ここの期間が欠落していたが、こんなところに紛れ込んでいた。
以前ここからは49万円入った封筒が出てきて大喜びしたが、今回はカネではなく大切な日記が出て来たわけだ。
カネに替えることが出来ない、大切な当時のことが色々と分かった。

鎌倉の近代美術館でムンクの叫びを観た記憶があるが、一人で観たと思っていたら、北鎌倉でその女性と待ち合わせて一緒に観たのだった。
その後天気があまり良くなかったので、僕の家に来たとあった。
全く覚えていないが、そうだったのかと感慨深い。
その女性とは夏に知り合って、その年が終わるまでに別れてしまったと思っていたが、2月に酒を呑んだ時に喧嘩して、その後ギクシャクしながら、3月末までやり取りしていたことも分かって驚いた。

また、中学時代の恋人Nと高校時代の友人の3人で金時山に登ったが、それが1973年の5月5日であったことも分かった。
中学高校と6年間も思っていたのに、その気持ちを表現していいか分からず、全然ダメだった。
若い頃って惚れちゃうと、固くなって緊張し何をすればいいのか分からなくて上手く行かないものだ。
日記には、彼女の友人で僕のことを好きだった女性Kと会って、Nに高校の時に僕と同姓の男から電話があり、僕だと思って出たら違う人で、それでも3か月付き合って別れたという話を聞いたとあった。
この話数年前にKに会って初めて聞いたと思っていたが、1978年に聞いていたとはね。
Kは背が高くて少し浅黒いが面長の美人で、平塚の本屋や小田原のブティックで買い物をするのを付き合ったり、お茶を飲んだりした。
Nに惚れていなかったら間違いなく恋仲になっていた。




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鰹の流し釣り

2024年05月10日 | Weblog
昼飯はタンメンを喰った。
野菜と肉と具お買いがたっぷりと入っていて美味かった。
食後に殻付き落花生を10個ばかり食べたが甘いものは止めにしておいた。

プレシネで変な西部劇を観たが、昨日の疲れが出たのか眠ってしまい、終わりのところで目が覚めた。
チャンネルを替えたら鰹を釣っている映像が出たので観た。
船でルアーを流して釣りあげているもので、釣りあげた鰹は逆さにして水の中で振り血を出してから冷水に漬けていた。
鰹は特に血の気が多い魚で、血の匂いと味が強いが、こうやって血を抜いておけば、美味く喰えるだろうな。
魚と釣りが好きなんだなあ、3分ほど観ていたが実に楽しく、西部劇の口直しになったな。

蜜とジャクソンを聴きながら小室直樹の「信長」を読了した。



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名残の蕗

2024年05月10日 | Weblog
磯っ子へ自転車で行って来た。
ここでは良い胡瓜が売っているので、月水金の開店日に来ることが多くなっている。
胡瓜二袋と蕗束を二束を買った。

斜め向かいの大磯図書館国府別館でCDの返却と予約したCDの引き取りを行った。
アートペッパー3枚とハンク・モブレイとレッド・ガーラントだ。
帰りには六所神社の公園でストレッチを行った。
神経マッサージが聴いているのか、体調は前よりだいぶ良くなっていて、歩くのが億劫でなくなっている。
また、足腰腹筋胸筋に筋肉が付いてきているので、まだデブではあるが一時の醜い姿より多少改善しているような気がする。

家に帰って蕗を茹でてあく抜きをしながら借りたアルバムを聴いた。
途中で何故かリストに森高千里を見つけ、今それを聴いている。
楽曲は「私がオバサンいなっても」「私の夏」「渡良瀬川」が好みだが、若い頃のliveステージのミニスカ姿を観るのもいいね。

そろそろ茹で上がった蕗もある程度晒したので、筋を取って佃煮に煮ることにしようかな。
昨日、豆ご飯と一緒に作り置きの蕗の佃煮をみたら何と黴ていたので凄くガッカリした。
そして今日磯っ子で蕗を発見したので、思わず買ってしまったがもう蕗の時期も終わりで、よくあったものだと思う。




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伊藤貫は本気だぜ

2024年05月10日 | Weblog
昨日は昼からずっと飲み食いしていて、9時に小腹が減って豆ご飯のおにぎりを3つ作って食べたので、10時過ぎに寝たが零時には腹がくちく息苦しくて目が覚めた。
こんなことは滅多になかったが、いよいよ頑健な胃腸にもガタが来たのだろうか。
更に2時過ぎに目が覚め、三度目は4時過ぎに目が覚め、YouTubeで伊藤貫の番組を聞いた。

1時間ちょっとの番組で、拝米主義が日本を腐らせていることを説明しているのだが、優れた論考なので前日に続いて同じものを聞いた。
日本は戦後すぐにアメリカ軍の駐留をそのまま続けてくれと懇願していて、昭和天皇も沖縄の米軍基地の駐留を続けるように依頼しているには驚いたが、日本のこの願いは半永久的にと云った感じで、経済復興を優先させ、復興後は自軍を持って自立をするという視点が何処にもなかったのが、僕の理解と大きく違った。

ソ連崩壊後アメリカはヨーロッパ、アラブ諸国、東アジアを一国で支配する方針だったが、アメリカの価値である自由主義と民主主義を押し付ける方針はアラブ諸国で失敗し、各国で多くの死者の山を築き、しかもコントロールに失敗し、大きな資金も失って負債の利息の支払いが軍事費を上まわるまでになっている。

ウクライナでヨーロッパの支配も失敗し、この戦いでは戦術核兵器を持ったロシアに対しては、直接的な手出しが出来ないことを暴露し、それを知った北朝鮮、中国の戦術核兵器生産を加速させ、東アジアでの支配も近いうちに放棄しざるを得なくなるだろう。

現在のアメリカのやり方だと、10%の高収入層と1%の資産家にカネが集まるだけで、多くの国民が貧困にあえぐことになる。
属国としてそれに追随している日本はアメリカ同様の結果になり、しかも属国であるからには被搾取国だから、状況はさらに悪く幸福な日本を思い描くことが出来ない。
要するに西洋思想の馴れの果てがアメリカであり、決して優れた国家ではなく、日本は知恵を絞って一刻も早く追随を止め自主独立を図り、日本独自の価値観を構築していかなければならない。

6時半過ぎに台所へ行くと、妻が起きていて次男に卵焼きを作って朝飯を食べさせていた。
昨夜8時過ぎには二階へ上がって寝ていたので、流石に6時には目を覚まして起きたのだろう。

千葉のキハダ鮪の柵があったので、刺身に造り、作り置きのじゃが芋と玉葱の味噌汁を温め、きゅりの糠漬け、山葵の軸の酢漬けで朝飯を喰った。
夜中に起きた時は腹がくちくて気持ち悪かったのに、朝になると美味しく朝飯が喰えたのには驚いた。


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シャトー・ラネッサン1998

2024年05月10日 | Weblog
11時前に墓について次男と共に草むしりや掃除をして花を上げて、弟夫婦が来るのを待った。
線香と水を上げて墓を後にした。

何時ものようにマサで予約してあった刺身の盛り合わせを引き取り、妻に頼まれていた鯵を買った。
鯵はフライとマリネになった。

家に帰って後で食べることになる豆ご飯ようにグリーンピースの莢を外し、昆布をぬるま湯につけてから、5人揃って弟が持参した「くどき上手」で献杯をした。
茹で卵とマッシュポテトサーモン巻きに黄色いソースが掛かったのと、冷牛シャブ、胡瓜とシーチキンと生姜の酢の物などで酒を呑み、途中で空豆焼き、鰺フライとエビフライが出たところでディエゴのカバを抜き、ムスカデを開けた。
揚げ物は辛口の泡と白が良く合う。
赤ワイン漬けの豚肉グリルが出てきてシャトー・ラネッサン1998を開けた。
長男の成人の時に生まれ年の1988を開けたが、あの時は苦くて美味くなかった。
この1998年は26年経っていたのに、ボルドーの熟成したワインかくあるべきといった味わいで、このシャトーを見直した。
88年は確かサントリーが輸入したもので、当時はドライコンテナで輸入していたため、寝かせる前から熱を浴びていたのかもしれない。
98年はシャトーに行ったときに直接買い求め、手持ちで持って帰ったもので、ヴィンテージチャートは88年より劣るものの、輸送状態が大きく品質を分けたのだと思う。
果実味は薄れていたが、熟成した香りと柔らかい味わいを堪能した。

豆ご飯も美味く炊けて、ビールを飲んだり、スコッチを飲んで8時近くまで飲み食いした。
仏壇のある居間で長時間飲み食いしたので、母も父もその様子を眺めてにこにこしていたことだろう。
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