キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

ハイボールの飲み方

2024年05月08日 | Weblog
5時5分前に大磯図書館国府分館に着いて、ぎりぎりでCD5枚を返却し5枚を新たに借りた。
借りたのは5枚ともMJQのアルバム、ミルト・ジャクソンのビブラホンは日本人受けするみたいで、何処の図書館にも置いてある。
確かにエレガントで軽快で日本人が好むところだなと思う。
これは音楽だけじゃなくて料理でもワインでも共通の特徴のような気がする。
それは江戸っ子が脂っこいものは勘弁してよと、赤身の鮪しか喰わなかったことに通じる。
鰹も戻り鰹じゃなくて、さっぱりした初鰹を好んでベラボーなカネを叩いたくらいだからな。

晩飯は銚子で上がったキハダマグロの赤身だった。
サッパリしていたが、先日の台湾の冷凍マグロより味があって美味かった。
春菊のお浸し、小松菜とお揚げの炒め煮、茸と豆腐と卵の味噌汁だった。
風呂上がりにハイボールを作って直ぐに飲むつもりが、チョット間が空いてしまい味わいが急激に下がっていた。
これも寿司や天婦羅と同じで出来たら直ぐに胃の中へ入れないと駄目のようだ。


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烏賊天蕎麦

2024年05月08日 | Weblog
昼飯は本来昨日であった蕎麦だったが、茸と豚肉の出汁が飽きたので嫌だと云ってあったので昆布と鰹がメインで茸が入っていた。
マサで出来合いの烏賊の天婦羅を買って来たので天婦羅蕎麦になったが、出汁の利いた蕎麦は美味い。
食後にかりんとうと皮付き落花生を食べた。

プレシネは「Blade Runner」であったが、半分くらいは観たことがあったが、多分前の時もつまらなくて途中で寝てしまったのだろう。
僕にとっては全く詰まらない映画で時間の無駄だったので途中で観るの止めた。
SF映画って面白いの少ないが、多分未来ってそれほど面白くないのかもしれない。

小室直樹の信長を読んでいるが滋味があって面白く、づーっと読んでいたいが、終わっちゃうんだよね。
5時前に大磯図書館へCDを取りに行きたかったが妻と次男が出かけてしまい、困ったなと思っていたが、2日に友人が南安曇野から送った米がようやく着いた。
先日作った豆ご飯が美味かったので明日弟夫婦に作ってやろうかと思っていたが、米が空になっていたのだ。


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母の三回忌

2024年05月08日 | Weblog
5月9日は母の祥月命日なので、墓参をして弟と家で会食をする。
弟も早期退職して毎日が日曜日なので、祥月命日その日に集まることにしている。
本来なら三回忌なのでお寺に頼んで法要を営むのだが、どうも仏教を学んでいくうちに、極楽なんてものはなく、現生で悟りを啓き輪廻から抜け出さなければならないことが分かって来た。

仏教が日本に入って来たものは、支那で変形した仏教だった。
しかも、うちの本山である比叡山が教義や知識の独り占めをし、世間に向けては薬屋に帰してしまったようで、お足を頂戴して病気の快癒を祈ることが一番大きな仕事になった。
信長が焼き討ちしたのは、妻帯をして女房子供と暮らしている僧侶が多く、世俗的な権力と化してしまった集団を無化したということだ。

日本に元々あった宗教はアニミズムで八百万の神を崇めていたが、一神教は理解不能だし、そもそも戒律通り生きることなど日本人には出来ない。
でも、その中で如何に生きてゆくかを模索しなきゃいけないわけで、これはキリスト教やイスラム教徒とは全く違ったアプローチを生に対して行うことになるから、空気が支配する社会になった。

まあ、それでも子供のころから毎朝お茶と飯を仏にあげ、線香を上げるのが習慣で、特に父母が無くなってからは欠かせなくなった。
少なくとも一日一回は父母のことを思うから、この習慣は続けるべきだと思っている。
そして祥月命日には弟と墓参して会食をして父母を偲んだり現況を話したりしている。
母がまだ生きていたころは、父の祥月命日に弟と二人だけで墓参し平塚の料理屋で酒肴を共にしたが、母が亡くなってからは弟夫婦と妻と子供たちも参加するようになった。

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小室節とハイボール

2024年05月08日 | Weblog
風呂に入って出てきたら晩飯が出来ていたのでハイボールを飲む暇が無かった。
朝獲れたいかが刺身なっていて、これが見事な糸造りで実に美味かったので妻を大いに褒めた。
妻は無口であまり感情を露わにしないから、藩王は良く分からなかったが、憮然としていなかったので悪い気はしていなかったろう。
魚担当のO君が云うには全国的に以下が不漁で高いらしいが、このように調理された烏賊刺しなら毎日喰いたいもんだ。
胡瓜と新玉葱と蟹擬きのマヨネーズ和えがあったが、これが中々美味い。
ほうれん草のお浸しとただ茹でただけのがあった。
汁物は昼の残りの豆腐と絹さやの卵とじ。

夜は観るべきTV番組が無いので、YouTubeに面白い番組があると少し視聴して2階へ上がるが、小室直樹「信長 近代日本の曙と資本主義の精神」をゆっくりと読んだ。
小室節には難解な漢語や語句が出て来るが、およその意味は分かるが一つずつ紙の辞書を引き、書き込みをしながらゆっくりと読み進めたので、しみじみと面白かったなあ。
デジタル全盛の今、紙の国語辞典、古語辞典、漢和辞典が200円も出せば入手できるので、同じものを2冊買って1階と2階に置いて愉しんでいるが、紙の辞書の有難味が薄れたかもしれないが、いい時代になったものだと思う。
レコードと一緒で、あと10年か20年経つと高額になると思われるので、お若いかたは今のうちに買い溜めしておくことをお勧めする。
皆さんスマホ片手に検索している時に、一人紙の辞書を捲っているのってカッコいいと思う。

織田信長までの武士の精神というのは、強い方に付くというもので、主従関係も主が負けそうだと従はその首を取って敵方に持ち込み褒賞をもらい、家来に取りたててもらった。
本能寺の変の時に初めて、部下の武士が草履取りにいたるまで明智光秀に抗戦し討ち死にした。
これ以降この精神が赤穂浪士に繋がり幕末に繋がった。
元来日本人の精神は長いものに巻かれろで、いわゆる「葉隠」に現れる武士道なんて特殊なもので、「論語」の世界が支那で一度も実現しなかったのと一緒だね。
いざとなると先祖返りしてしまうわけで、政治家がカネや名誉や女に靡くのはそういうことなのだ。

もちろんOnkyoのspeakerで好みの音楽を聴きながらの読書で、11時になると少し飽きてきて何か飲みたくなったので、台所へ下りてハイボールを丁重に作った。
この丁重に作るのが肝要で、特にその一口目は事の外美味い。



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