キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

相模湾三点盛刺身定食

2024年05月21日 | Weblog
昼飯は昨日から妻が騒いでいた鯛の炊き込みご飯だった。
朝香ッて来た筍が茹で上がり若竹煮となり、小田原のキハダ鮪が真っ赤で美味そうだと勧められた買って来たのが切られて出た。
今日は、鮪、鯛、伊佐木、ホウボウ、オシツケと大量買いをして来たらしく、奥の8畳まで報告に来た。
僕は蕗とシメジと山椒の実の佃煮を出した。
どれも美味かったね、この時期、こういった旬のものをいただけるってのは無上の喜びだ。
まあ何時もの事ながら、問題は喰い過ぎるってことだ。

食後、妻は3時過ぎに帰ってくる次男の遅い昼飯のために、好物である刺身定食の準備に掛かった。
鯛と伊佐木をおろさなきゃならない、それだけでも大仕事なのに骨っぽいホウボウはさらに大変なので、ぶつ切りにして味噌汁にするとのことだ。
まあ、鮪、鯛、伊佐木の相模湾3点盛があればいい刺身定食が出来るだろう。

僕は頼んでおいたシメジと山椒の実で佃煮を作った。
先日、少し焦がしてしまったので、水分が飛ぶまで鍋の前で見張っていたので素晴らしい佃煮になった。
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小室節に惹かれて

2024年05月21日 | Weblog
本というものは読み終ればいいってもんじゃないが、先ずは楽しいってことが重要で、そうでなければ最後まで読み通すことなんてできない。
読書に関しては若い頃から「水道管の水垢理論」で、兎に角ジャンジャン好きな本を読んでりゃ、その内、水道管に溜まる水垢のように、なにがしらが残り、無理やり覚えたもんじゃないから身に付いているだろうって考えだった。

一所懸命書いてあることを覚えようとか、理解しようなんて思わず読んで、4,5千冊くらい読んだところで、過去に読んだ本が有機的につながって来てさらに面白く読めるようになった気がする。
先ずは、教養だとか見識だとかよりは娯楽の意味合いが強く、系統立てた知識が身に着いたとも思えないが、少なくとも関連した事柄が頭にあるものだから、新たな事柄が出て来ても奥行きがあって楽しい。

今朝、小室直樹「これでも国家と呼べるのか」を読了したが、小室直樹は再読三読していて、赤青鉛筆で線を引き、書き込みをしながら楽しんでいる。
そんな事をするのもここ5年くらいのことで、それはジジイになり世の中がおかしいぞと思い、若いやつらのために少しは良くしてから死にたいからだ。
先ずは何がおかしくて、その原因は、その処方箋はあるのだろうかと思う時、小室直樹は原理的に物事を嚙み砕いて説明してくれるから、僕のような政治、経済、社会、歴史に疎い者に、明確にそれらを提示してくれ、腹の底から合点がいく説明をしてくれる。
数学、経済学、社会学、心理学、法学などを収めているから、専門家でありジェネラリストで、専門馬鹿にありがちな偏狭なところで論理が閉じない。
まあ、こういった天才が夫々の学界にいてもらっちゃ困るだろうから、疎んじられたのは良く分かるが、これほどのものを読まない手はない。
一般向けの啓蒙書が多く出ているが、入手困難なものもある。
詰まらねえ学者の全集なんか出さなくていいから、どこかの版元で小室直樹全集を編んでくれないものか。

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筍のこと

2024年05月21日 | Weblog
9時半前、果樹園に行きベンチを利用してストレッチ、図書館でスタン・ゲッツのアルバムを3枚借り、北口のJA湘南へ行き、筍、空豆、スナップエンドウ、泥葱を買った。
JA湘南では知り合い4人に会い、暫し歓談をした。
しょっちゅう行っているものだから、農家の方たちともお客とも顔馴染みになるから、ジジイの割には孤立感が無い。

家に帰ってきて早速筍を茹でた。
とってから時間が経つとあくが出て固くなるから、本来は掘ったそばから茹で釜に放り込むのがいい。
毎年筍を送ってくれる清水の先輩の家では、ご母堂が釜で湯を沸かしていて、先輩が掘るとそこへ放り込んでいるから、頂く筍は実に柔らかい。

我が家は昭和3年に平塚の在の坂間から二宮に出てきたが、坂間に土地がありそこに竹が生えていて、管理をしていてくれたオジサンがその竹で垣根などを作ってくれていた。
新幹線がその土地の真ん中を通り、両側に三角形の僅かな土地が残ったきりで、オジサンのところの資材置き場になった。
多分、オジサンが時期になると筍を掘って届けてくれたと思う。
当時僕は筍に全く興味が無かったので記憶にないが、毎年、夏には葡萄をいただいたことは鮮明に覚えている。
坂間では江戸末期から明治5年まで「三枝堂」という私塾をやっていたせいで、近在の農家から300人の門弟が集まり、オジサンの家は、代々僕の家の諸々のことをやってくれていて、墓の管理などもやってくれていた。
オジサンの孫娘が器量が良く、僕の許嫁にという話があったが、オジサンの息子がやっていた土建屋がつぶれ、一家が行方不明になり立ち消えになってしまった。
後年、中年になった彼女に会ったが、ヤッパリ美人だった。

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朝から鯛のお頭付きで

2024年05月21日 | Weblog
今朝は2時に目が覚めちゃって参ったね。
すっきりと起きれるわけでもなく、目がちゃんと開かないから読書も出来ず、YouTubeで昭和の歌を聴いていた。
昨日一日中島みゆきを聴いていたもので、昭和のチョット暗いあの感じが懐かしくなったのだろうね。
そうしたら友人知人愛人の顔が浮かんできてね、大分鬼籍に入ってしまったが、まだ生きているやつもいるから連絡を取って会いたいと思ったが、何しろ5年前に携帯を失くして電話番号が分からなくなってしまったから連絡の取りようが無くてね。
生きているうちに会っておかなきゃいけないやつもいるんだけど、いよいよ終活の秋だなあ。

寝たり起きたりしながら夜明けを迎え、6時半に台所に降りて朝飯を作った。
昨日妻がデカイ鯛を買って来たのだが、この辺りのではないから刺身にはできず塩にして置いてあった。
とにかくデカイので出刃包丁で3等分にして2切れを焼いた。
シメジと豆腐と青葱で味噌汁を作り、鯖団子を温め、新玉葱を挽肉で煮たのを水で薄めて温めた、昨夜妻が作ったのだがとにかく味が濃すぎて喰えたもんじゃなかったが、味を調えてみたら滅茶苦茶美味かった。料理は塩加減だね。
胡瓜は時間差で漬けたのを2本糠床から出した。
鯛は頭のところを食べたが、回り物とは云え美味かった。
鯖団子は相模湾の朝獲れのやつで、1本は〆鯖にしたが、もう一本をたたいて葱と人参を入れ揚げたものだから、いわゆるつけ揚げってやつだね。
鯵も一緒にたたいて入れたとのことだが、新しい魚は魚の臭みが無いから美味い。
まあ、昨夜はこれを肴に酒、ハイボール、白酒と度を越して飲んでしまったのだが。
お陰で広島の酒も、30年以上前のモルトウイスキー12年も、熟成30年を超えた白酒も底をついた。
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