キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

鯖カレーが喰いたい

2024年05月04日 | Weblog
昼前に西友へ自転車で出かけた。
やっぱりペダルが重いように感じるが、近所へ出かけるにはいいだろう。
途中釣り仲間に会い釣果を聴いたら、全然ダメだったとのこと、連休を過ぎたあたりから鱚釣りは良くなると思う。
西友ではズボンを買い、夏のウイスキーソーダ用にウイスキーを買おうと売り場を見たが、以前一番安かったティーチャーズがホワイトホースより高くなっていてたまげた。
もっとも品質はずっとティーチャーズのほうが良かったので、品質に見合った真っ当な価格付けになったということだ。
あのピートの利いた渋い味わいのティーチャーズが飲めなくなるのは残念だが、節酒を誓った身だから美味い酒は、つい杯が進むから身体に毒だ。

買ったのは無名の格安のスコッチで、家に帰って直ぐに味見をしてみたが、味わいに深みが無くて美味くなかった。
だが、これでいいのだ、不味けりゃ杯が進まない。

昼飯は朝妻に、牛筋とチキンのカレーのどっちがいいと訊かれ、敵も美味い手を考えたもので、カレーは既に決まっていて選択は肉だけなのだ。
本当は癖が強い鯖か、骨が多く白身が美味いカサゴかホウボウのカレーが喰いたいのだが、話だけで作ってくれたためしがない。

ちなみにここ二宮では漁師町ゆえ、鯖カレーを作っている家庭が多く、父の友人などにはカレーは鯖以外喰わないと云った人物が多かった。
6月に大量に採れる脂っ気のない夏鯖は、確かにカレーしか食いようが無い。
原型が無くなり、わずかに柔らかくなった骨が、これが鯖カレーであることを感じさせるくらい煮込んだカレーの美味さと云ったらない。

最近妻は骨付きのチキンを使い、それに煮干しや昆布と、貯めておいた野菜と肉のブイヨン、何種類かの香辛料を使ってそれなりの味わいのカレーを作る。
バスマティライスに、サラッとして旨味のあるスパイシーな汁をかけて食べると食が進み、ジャポニカ米と比べてさっぱりしているので幾らでも喰えちゃう。
それでも、必ず喰い過ぎるから、大きなボールに庭のリーフレタスを大量に入れ、ミニトマトと胡瓜でサラダにしてカレーの前に食べたのだが、バスマティライスは主食というより野菜の一種と考えたほうが良く、たっぷり2杯喰って仕舞った。

食後に落花生とかりんとうを食べたが、我ながら、いい年になっているのに減じない驚異的な食欲を持て余している。


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ジジイの夢

2024年05月04日 | Weblog
ここのところAmazonとトラぶっていたので、PremiumMusicを聴いていなかったが、一昨日久し振りに西島三重子のアルバムから楽曲を選んでプレイリストを作り聴いている。
「池上線」のヒット以来、あまり表に出てこないが、実はずーっと音楽活動を続けていて、中々いい楽曲を作っている、しかも姿はイマイチだが歌が上手い。
荒井由実、中島みゆき、竹内まりやは息が長いし、時々TVなどに出てきて健在ぶりを示しているが、この3人に共通しているのは、若い頃は皆さんロングヘアで、背が高くてスラッとしていることだ。
一方、西島三重子は丸顔でずんぐりしている、もし彼女が面長ですらっとした長身の女性だったら、今も人気を博していたかもしれない。
何故、そんな事を云うのかというと、人気があまりないから昔のアルバムの入手が酷く困難なのだ。
前記の3人ほどではないにしろ、松原みき、中原めいこ、門あさ美などは、全てのアルバムが復刻され入手可能になった。
まあ、小説家でも評価が高く人気があった人は全集が編まれ、そこまで行かなくても作品集が編まれる。
80年代の歌手のアルバムが復刻されるのは、もちろんそれを買う人が見込まれるからで、ターゲットは団塊の世代と思うが、そろそろ団塊の世代も後期高齢者となり、カネは持っているが音楽を聴けない人が多くなりつつある。
あと5年経ったら、需要が無くなってしまい、西島三重子のアルバムの復刻の可能性が断たれる。
オリジナルアルバムが24枚あるが、そのすべてでなくてもいいから、せめて80年代半ば以降の後期のアルバムの復刻が望まれる、それがささやかなジジイの夢だ。


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運の変わり目になるか

2024年05月04日 | Weblog
何度も夜中に目が覚めたが、どうにか十分な睡眠は取れ、割と軽快である。
昨日分解した自転車を今朝妻がゴミに出したので、玄関先が7年振りにスッキリとした。
自転車を2台玄関先に置いてあったので、魔が入り難かったのか、カネが入り難かったのか分からないが、今日から何かが変わる可能性がある。
出来ればカネがザックザックとやってきて欲しいもんだ。
人間カネじゃないと云いながら、カネが欲しいんだなあ、ヤッパリ小者だね。

7時前に起きてシメジと豆腐と青葱の味噌汁を作り、鯵の干物を焼き、鮪とサーモンの刺身を切り、胡瓜を糠床から出し、小松菜とお揚げの炒め煮で朝飯を食べたが、何を食べてもやけに美味くて毎朝の事ながら喰い過ぎてしまった。
温度が上がり糠床の乳酸菌の活動も活発で、胡瓜に旨味が出て来た。
胡瓜は施設園芸のものだが、日差しが強く気温も上がっていて、本来の味わいに近づいている。




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後ろを向くと豊穣な時間がある

2024年05月04日 | Weblog
昨夜はまた睡眠が分断してしまった。
夜中に目が覚めると先行きが少ないことを思い、人生の短さをしみじみと思い寂しくなる。
既に仲の良かった友人が何人も鬼籍に入り、僕もその適齢期に達していることは間違いなく、人生は心を許しあった友がいて初めて色づくから、長生きだけして浦島太郎になったら、どんなに寂しいことになるか恐怖する。
であれば、今、そういった友人たちと繁く合い、その喜びを噛み締めることがやるべきことなんじゃないかと思う。

昭和の歌を毎日聴いているのは、その時代に戻って、無意識にその頃の友人知人との出来事を反芻しているのかもしれない。
この年になると先のことを思っても意味がないから、自ずと彼方に霞む過去に向かって思いを馳せる。
また、そこに蓄積された物語があり、豊かな時間があるんだから懐古的になるのはいいことだ。

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