人類が誕生して数万年経過していますが、一番古い人間の記録<ギルガメッシュ叙事詩>を見ても、その当時に、正常な人もいれば、ノイローゼ、精神病、人格障害の症状も散見出来ます。どんな時代、民族も同じです。1973年のメキシコで、ニューギニアの人食い人種出身の神父さんと或勉強会でお会して聞いた話ですが、そのでは人を食べない人間が村八分にされノイローゼになるそうです。ニューヨークの文化でノイローゼになる人とニューギニアのそのでノイローゼになる仕組みは違います。それぞれの文化の中での影響を受けて、そして心が疲れていきます。このようにその人が属している家庭、地方、コミュニテイの文化で育てられた心の奥深い領域での<理想:こうあたい、あらねばならぬ、倫理道徳、家庭の習慣、思い込みからの理想のこと>と現実のギャップがストレスです。この現実の解釈に病的なものがあれば、さらにそのストレスは大きく、深く、辛いものになつていきます。ストレスの発生原因は全てその人の理想と現実のギャップから生まれてきます。明日、もう少し具体的に解説していきます.
どんな名作(著作)よりも生身の人間から頂くエネルギーが最強なのです。しかも自己肯定、他者肯定の思想による生身の人間の言葉には熱い愛が潜んでいるからです。人は何故、この原理に気づかないのでしょうか? 人の道の基本思想(自己肯定、他者肯定の思想のこと)が欠落すると、このエネルギーは何故か与えられません。<自己肯定、他者否定の思想>は独善につながりますし<自己否定、他者肯定>は劣等感につながり、<自己否定、他者否定の思想>は破壊に繋がります。<自己肯定、他者肯定の思想>を努力して確立した人は親友、恋人、親、知人、職場の人々から無限の愛のエネルギーがもらえます。自己肯定、他者肯定の思想を持つ二人の人間が互いを大切にし合うとその周辺には天使が幸せそうに舞い踊るといわれています。相互に誠実に愛し合う二人が互いに与えあうエネルギーは人生に奇跡をもたらします。
昔流行したシャンソン<暗い日曜日>のような気分で時間を過ごす人もいれば、明るい気分の日曜日を送る人もいます。折角の日曜なのに、暗いなあ、と感じる時間を1時間も送ると人はどんどん神経をやられていきます。ですからこの耐久限界の1時間という鬱状態を意識し、明るい気分の時間へと切り替えをする必要があります。最近治療に使える便利な手法に<YOU TUBE>が有名になりだしました。YOU TUBEのお気に入りを沢山登録しておき、折々の鬱の状態にふさわしい曲を聴くのです。鬱の時に、鬱の音楽が効き目がある場合もあれば、鬱の時に、明るい感じの曲が効く場合もあります。無料であんなに効果の高い手法が得られれる現代社会は有難い、としみじみ思います。
<知は力なり>という言葉の代表格が下記の知識です。人は幸福に生きなければなりませんが、それを妨げているものの一つが下記の話でもあります。幸福の条件とは例えば結婚する相手は外交官、金持ち、ハンサム、人柄が良い、などなどです。幸福感とは、どんなに貧しく、例えば少々、持病があったとしても、考え方一つで幸福感は感じ取ることは出来ます。終末治療でも、経済的には貧しい人生であつても苦しいい息の中から、自分は幸せだったと感謝して死んでいく人、財産が豊かで派手やかな人生を送っても、恨みつらみで死んでいく人、さまざまです。考え方を変えれば人生の解釈は変わります。幸福感はどんな厳しい日々でも考え方一つで必ず手に入るものです。
もし五感と体感から<鬱>と言う感情を焼却したら人類は幸福にはなれません。鬱は各人の成育史の中で育まれた意識、無意識の<理想と現実のギャップ>が生む重要な感情です。病的な、または、現実不可能の理想を持てば、鬱になりますし<現実とは何か>の解釈を病的にしてしまうとか、とんちんかんな解釈をすれば、必ず鬱になります。何が病的か、何が現実吟味力の欠落か、しつかりと勉強しないと分からないものです。暗い暗いと文句をいう人は、どこか変なので、日々明るく元気でない自分を見たら<この理想と現実のギャップ問題>を考えてみましょう。ラジオの「心のともしび」という番組で、女優の坪井木の実さんが美しい声で私の原稿を読んでくださいますが、その時の名セリフ「暗いくらいというよりは、進んであかりをつけましょう」は実に素敵な言葉です。人は日々必ず幸福に生活出来るように創造されています。鬱の感情は幸福になる為の極めて重要な指標で、この暗い感情がわかりませんと、明るくなれません。暗い感情は幸福へのスタート地点のようです。
今はもう相当の年齢のご婦人ですが或会合のワインの席で青春談義になりました。私は、エーと思ったのですが、何とも言えない高貴なその夫人が若い頃はプレイガールだった、と自嘲されているのです。銀座の交差点で赤から青になると大勢の人々が行き違いますが、向こうから来た素敵な男性を見れば、ウインクをするそうです。ターンして自分についてくれば洒落たコーヒーショップにお連れして、話が野暮だと面白くないのでバイバイと言いながらそこを去るわけですが、その捨てセリフがまた驚きでした。<ごきげんよう、天国で必ずお会いしたいわ>と耳元で優しく語りかけてはプレイガールをしていたそうです。あーあ、こんな女性に青春時代に会わなくてよかった。我が青春に乾杯:
若い頃、お目当ての美しい彼女にこう言われたら大体の男は参ります。しかもです<あなたは不幸なう方ね>と追い打ちをかけてきます。この鋭い言葉に挫けたら男がすたります。勇気百倍、自己反省ばかりしている男は人生に挫折していきます。反省する前に、何故彼女がこう言ったか、そのポイントを把握する余裕を持つ必要があるのですが、純な男性ほど、この余裕はありません。男女ともに共通していますが憂鬱になる理由の大半は期待通りに相手が動いてくれない場合です。彼女が私に、どんな感情を期待したのか、どんな考え方を期待したのか、どんな行動を期待したのかを、慌てずに分析してみると相手の真実(本音と要求と現状の把握)が見えてきます。
若い頃、イギリスの大学の研究室の女性に<あなたは不幸な方ね>と面と向かって言われたことがあります。イギリスのお嬢さんですが、私は、あれ、と思いました。親友のw君に相談すると<君、気づかなかった?彼女は君が好きなんだよ>と言われましたが、まだその女性の心が理解出来ませんでした。今、想うに自分と結婚する気のないあなたは不幸な人よ、と言う意味だったようです。私と彼女は研究室の学問の同志だけの関係でしたので、今でもその女ごころは私には永遠の謎です。そのお嬢さんは古いお城に住んでいました。女心って何でしょう?鈍感な男の悲劇なのか、彼女の自己愛パースナリテイ障害の問題なのか、このあたりの心境を考えながら<幸福感>の問題に突入します。
陰湿そうな女性が真面目に太極拳を最低3年継続していると印象が実に爽やかに変身していきます。大学病院の精神病棟での太極拳演武で、心の病が改善されていく現象は今では常識となっています。何故そのようになるのか、沢山の本が出始めています。私はこの効果を実際に病院で活用して心から感謝しています。日常生活での心の乱れが、太極拳風の呼吸を大らかに、たゆとうようにしていると、自然に呼吸が整い、気分が落ち着いてくるのを五感と体感で感じます。数千年の歴史に育まれたこの技は、さすが仙人が長生きしたい一念で考え出した技だと納得出来ます。太極拳は邪心を戒め、宇宙のように広い心をいつも求めます。心が乱れていると立禅すら出来ないのを人々は演武する中で気づいていきます。段々と外見も爽やかな美しい表情の女性に変身していくのは当然でしょう.