自分が生きている目的が明確でない場合、またはその目的が意識化出来ていないとすると、試練とは、どんな意味があるのだろう?ただひたすらに忍耐するだけだろうか?その解釈は人により違うので、ここでは何とも言えません。自殺するわけにもいかず、そうかといって考えても中々わかりません。古代のギリシャの人々、特に哲学者は、この生きる意味、何の為に生きねばならぬのか、この自問自答をするだけで人は知恵がついてくる、何故、知恵がついてくるのかを研究しはじめます。生きる目的が分からないと色々支障が出てきますので、そのような場合は、人生は生きる目的を思索する為にある、と仮の目標を立てておくと良いそうです。人により生涯、その探究を生き甲斐にしている人々も沢山います。さてそうすると答えが見つかるまで死ぬわけにもいきませんから、ただひたすら試練に耐えていくよりは少しは生き甲斐がありますので、自然と自分を大事にするようになります。自分を大事にするとは、どんな事かと言いますと、これまた、色々の学説があり、その優れた学説の一つはこう説明しています。自分の魂を大事にする(比較宗教学の分野)、心(成育史)を大事にする(臨床心理学の分野)、体を大事にする(基礎医学)、この3つをキチンと大事にしだすと、何となく生きる目的が見えてきます。自分に相応しい目的は自分で探し出す必要があり、他人からの押し付けは意味が無く空しいだけです。
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