goo blog サービス終了のお知らせ 

生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

美に触れた時の心境は!

2006年08月20日 | 第1章:愛の領域
美しいものに人は感動します。地球で出会う全ての<美しいもの>、森や花や大自然の美も素晴らしいけれども、生きている人間の美さに直接触れて感動した人は幸せです。本物の美しさに触れると人の心と身体と魂は乱舞します。心の世界は何とも言えない安らぎに満たされ、周囲の人々が好きになり、爽やかな気分、幸福感、生き甲斐を感じだします。この状態をもたらす<美しさ>を心理学では<美の極致>と呼びます。美しさを感じ取るには平素、五感と体感の訓練をする必要があります。<美の極致>を意識させ知覚するには、日常生活でいつも<真善美>を意識する必要があります。美しいものが何処に存在しているかと言いますと、遠い山のかなたにではなく身近にこそ沢山存在しています。気づかないだけです。身近な人の心から感じる美しいもの、それが一番人を幸せにしてくれます。:<人間論:9-5>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花嫁の魅力

2006年08月19日 | 第1章:愛の領域
<花嫁の魅力>を語る内容で、その心理療法家の実力が分かります。つまり人間とは何か、と言う基本的な哲学を暴露するわけですが、非常に厳しい試験でした。イギリスでの心理療法の面接試験で問われた最初の質問が<花嫁の魅力>を語りなさい、でした。心理療法家は人間性の光と陰、美しい領域と何となく汚く恐ろしい領域をわきまえて仕事をしますが、真善美の領域を五感と体感と哲理で、きちんと受けとめていける識別力が無いと、良い仕事が出来ません。この写真を眺めながらあなたは何を感じますか?その感じた想いをノートに書いてみましょう。地球上で見る森羅万象をどう素直に、あるがままに五感で感じるか、その内容が心理療法家の質を決めます。美しいもの、善なるもの、真理とは何か、この真善美の哲学の勉強は心理学を学ぶ人々には一番重要です。:<人間論:9-4>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異性に憧れる意味

2006年08月18日 | 第1章:愛の領域
文化人類学の教科書の最初のページに必ず女性と男性をそれぞれ崇拝したり畏敬の念を表現した彫像のようなものが出てきます。赤ちゃんの誕生と親の死は古代の人々の神話誕生のエネルギーだったのでしょう。さて、私も子供の頃から美しい女性や優しい女性に憧れて、子供なりに神秘的な憧憬、胸騒ぎ、ボーッとした恋の病のような経験をしてきました。異性に憧れ、その追求の在り方は育った環境、教養、知識、品位によって違います。犯罪者から芸術家まで恋の追求は色々です。長い歴史を観察すると異性に憧れる、そのエネルギーは神話・宗教・哲学の大きな発展に繋がっています。異性に憧れるその力は最終的には神仏の愛、永遠の生命にまで人類を導いていく力があります。愛し合う男女の魂は神の世界でもある事を意識する必要があります。男女の愛は神聖で力あふれる美の世界です。:<人間論:9-3>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福の源

2006年08月17日 | 第1章:愛の領域
<わたしとあなた>の関係性でお話致します。大きな仕事をする場合でも、繊細な五感の日々である家庭生活の中で生きる場合でも、異性は幸福のみなもとです。私は男嫌い、私は女嫌い、と冗談で言い合う場合は別ですが、異性が幸福のみなもとで無い場合は、心理療法の対象となります。これほど重要な存在が異性です。私の存在は数百万年前からの男女のお陰で存在しています。祖父母達が居なければ私は存在していません。異性とは<不安と平安感、怒りと友好的感情、身体症状と健康観、鬱と幸福感、統合と錯乱>の原因です。今、大切な存在の異性はどちらの存在ですか?平安感より不安を生む相手なら、今の内に、何故か、その理由を冷静に観察しましょう。:<人間論:9-2>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男と女

2006年08月16日 | 第1章:愛の領域
何故、男と女がいるのでしょう?生物学の視点ではなく、心理療法理論の視点から言えば<幸福になる為>です。歴史を少し観察すれば理解出来ますが、人類誕生以来、人は常に厳しい環境に置かれていますが、その環境の中で、愛を豊かに生み、生きる希望を与え続けた最大の存在物が<男と女>です。音楽、美術、どの世界を見ても男女の愛を賛美しつつ、大自然への賛美、神仏の愛への感謝に、発展していきます。哲学、文学、宗教学、天文学、あらゆる学問への情熱の源、これが男と女のエネルギーから誕生してきます。今回は人間論の一部としての男と女の思索を生き甲斐の心理学の視点からお話していきます。異性を正しく愛し尊敬する方法を知らない人は幸福にはなれません:<男と女:9-1>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心だけは自由そのもの

2006年08月15日 | 第1章:愛の領域
何がなくても心だけは自由そのもの、と言う友人が居ます。重い病気、厳しい現実、そんな中でも、いつも明るく爽やかな人です。色々観察してみると、やはり過去に囚われず、将来にも囚われず、しかも、淡々と現実をあるがままに、一旦受けとめています。地上の森羅万象が自分の想うがままにいかぬことをしっかりと認識しているのです。批判、評価、悪口、反省は大いにしていますが、3分以内で終わります。理想、夢を沢山持って努力していますが、なるようにしかならないのが、この世の常、と鼻歌を歌っています。何が無くても心だけはいつも自由でいたい、と言う哲学が見事に活かされている友達は実に颯爽としています。<一旦、あるがままを受けとめる肯定論者の鑑>かもしれません。:<自己肯定論:8-5>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自己肯定による自問自答とは?

2006年08月14日 | 第1章:愛の領域

日々の生活での自問自答の内容が、その人を幸福にしたり、不幸にしたり、勉強や仕事を成功させたり、失敗させたりします。Y子さんは都会にきたものの寂しくてたまりません。(どうしてこんなに寂しいのかなあ、夢と希望を捨てて故郷へ帰ろうかなあ、ろくなことがないし、自分は都会には合わないし、性格が悪いのかなあ)これが自己否定的な自問自答です。<どうしてこんなに寂しいのかなあ、寂しい感情は何か意味があるのかもしれない、多分、この寂しさを契機に何かを神様が悟らせようとシグナルを送っているのかも、人生での寂しさの意味について本を読んでみよう>これが自己肯定的な自問自答です。結果が歴然としています。感情には全て意味がありますので、自然に湧いてきた感情が嫌な内容でも、すべて肯定的に受けとめていくと素晴らしい気づきがあります。<自己肯定論:8-4>:

人気blogランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛される人は皆、自己肯定者

2006年08月13日 | 第1章:愛の領域
<愛は犠牲を伴う>と言う考え方を勘違いしている人が多いので困ります。お節介をして相手が迷惑しあなたを嫌い始めると、本人は<愛は犠牲を伴う>と良い気持ちになり、人生の愛のヒロインになっている人が沢山居ます。どうしてこうなるのか、具体的に分析しないと分かりません。さて沢山の人々に愛されている人を観察してみますと、殆どの人が<自己肯定者>なのです。自己肯定とは<心に浮かんでくる全ての想いを否定しない事ですが、例えば、人に<あなたは冷たい人>と言われた時、<そうかもしれないがあなたは私以上に冷たい人>と感じたら、やり返すのも自己肯定の一つです。ぐじぐじして悩み、自分は修行がたりないと悩んだりしません。現在のあるがままの自分を肯定的に認め、受け入れ、その上で、勉強し、修行すればそれで十分なのです。ああ、なんて自分は駄目な人間なんだろう、と考え始めたら、たちまち人生は暗くなります。:<自己肯定論:8-3>:

人気blogランキングへ
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

極楽トンボ

2006年08月12日 | 第1章:愛の領域
私はよく友人に極楽トンボと笑われながら生きてきました。何故馬鹿にされるのか今でも分からないので更に極楽トンボと笑われています。色々考えてみたら<A領域>について私は努力しないのです。このA領域と言うのは、<不可知論>の領域の事です。心理療法家が避けて通れない分野です。どこからどこが人間として知りうる事か、どの領域が知る事が不可能な事なのか、この勉強をすると日々のストレスは半減します。つまり己の限界を知る、と言う事なのですが、限界を学問として知ろうとすると色々の分野の勉強をしなければなりません。人々のストレスを上手に治療する為には勉強、勉強なのです。ストレスを半減すると自分がどんどん好きになります。不可知論とストレスと自己肯定は深い関連があります。:<自己肯定論8-2>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自己肯定の喜び

2006年08月11日 | 第1章:愛の領域
日々の生活感情は様々ですが自然で明るく伸び伸びとした感情をしていると本物の人生に必ず遭遇します。生き甲斐の心理学が一番大切にしている<自己実現への道>の発見と自覚は<自己肯定、他者肯定の精神状態>の時に見つかります。本物の自己実現への道を歩いているとお金があろうが無かろうが、厳しい現実があろうが、心は平安感で満たされ、周囲の人へも友好的な感情が流れ、幸福感、統御感があり、生活感情は実に充実しています。この五感と体感を人生で大切にする人は幸せ。:<自己肯定論8-1>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私は自由

2006年08月10日 | 第1章:愛の領域
Aさんはふと気付きました(今までの私は過去に捕われ、先の事を不安に想う癖があったようだ)。朝、目が覚めて、夜寝る、それが人生ですし、昨日までの事は全てどうにもならない過去の事ですし、明日にしても、明日にならなければ、どうにもならない事です。ああ今までの自分は過去に拘り、明日を心配し、何と無駄なエネルギーを使って生きてきた事か。今からは自由に飛び回ろうと固い決意をしたら心が何とも自由になりました。感情を押さえ、現実の厳しさから希望を失って、全てが自己否定的であった自分にこそ問題があった、と気付きました。心が自由になると思考、感情が泉のように湧きだし、その自由な快感を初めて体験しました。:<自己否定論:7-7>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死にたい、死にたい!

2006年08月09日 | 第1章:愛の領域
<暮らしの中のカウンセラー>として生き甲斐支援活動をする中で、高齢者、若者に限らず、たまに<死にたい>と言う人に遭遇すます。死にたいと願う人々に共通した人生観があります。その人間観とは<自分が持つ美しい魂の存在を信じていない事>。魂の存在について、あまり思索していない人に多いようです。死にたいと本気で思う精神状態は病理学的に既に錯乱の状態です。過去の囚われ、将来の不安への執着を全て削ぎ落とすと、自然に生きる希望と喜びが必ず湧いてきます。もし身近に死にたい、死にたいと叫ぶ人に遭遇したら、逃避することなく、徹底的に何故死にたいか、どんな方法で死にたいか、愛情をもって否定せずに50分間、傾聴して下さい。死にたい理由を専門的に傾聴する事に成功するとその方の毒素が全部流れ出ていて、その後には生きる希望とかすかな喜びの有り様が見えてきています。人間はもともと、どんな環境でも生きる喜びを体感するように創造されています。:<自己否定論:7-4>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怒りっぽい人

2006年08月08日 | 第1章:愛の領域
反省を含めた話ですが、30才以降の長い人生で本気で怒る必要があったのは、数回だけだったような気がします。30才を超えても、一日に数回も怒る人は、どこか病理がある、と考えて間違いありません。ましてすぐ怒り出す人はまさに自己否定、他者否定の問題だらけの人格障害かもしれません。本人はとても辛い日々だと思いますが、周囲も悲劇です。すぐ怒る人は触れると怒り出したくなる生育史上の未解決問題を沢山持っていますので、その傷を癒さない限り怒りは生涯ついてまわります。本人が一番辛いと思います。現実吟味力に病的なゆらめきがあるか、抑圧、逃避、昇華等の防衛機制に病的なゆらめきがあるか、考え方の整合性に病的なゆらめきがあるかの3つをキチンと対応してあげないと、この怒りっぽい性格(人格障害)は永久に治療できません。:<自己否定論:7-3>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不安感に安住する人

2006年08月07日 | 第1章:愛の領域
Aさんは悩み深い人です、口にするのは不満と不安な話ばかりです。お金の話、舅の話、生き甲斐が無い話、会う度に別な不安の話ばかりです。好きな話、喜びの話、生き生きした話、張り切った話を聴いた事がありません。<充実感>を感じるタイプに2種類あります。苦労、哀しみ、不安などの<ストレス曲線>に充実感を感じるタイプと、何か楽しい目標に向かって希望と情熱を燃やしている<幸福曲線>に充実感を感じるタイプです。ストレスに生き甲斐と充実感を感じる癖は将来必ず身体症状が出ますので注意しましょう。自分の人生の充実感はこの2種類のどちらか、を意識すると必ず幸福曲線に充実感を切り替える事が出来ます。心理療法上の専門用語である<幸福曲線>と言われる感情は、平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感の5つを言いますが。この感情に充実感を感じるよう意識すると<心の環境>は最高で、美しい芽がどんどん成長していき、遺伝上の病気と老化を相当克服する事が出来ます。

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自己否定の恐怖

2006年08月06日 | 第1章:愛の領域
人が幸せな気分で人生を生き抜くために心を整理する必要があります。複雑な人間の心のありようを、どう整理したらいいでしょうか?色々の整理の方法がありますが、今日は意識、無意識の世界で自分をどう思っているか、を考えてみましょう。どんな問題でも自己否定(自分を愛せない)的な考え方が一番恐怖です。<自己否定、他者否定>は破壊的。<自己否定、他者肯定>は劣等感のタイプ。<自己肯定、他者否定>は傲慢タイプ。<自己肯定、他者肯定>は自分と相手を両方、幸せにする理想的なタイプ。今回はこの自己否定の問題について思索を深めていきます。:<自己否定論:7-1>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする