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生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

心の中で有難う!

2006年10月04日 | 第1章:愛の領域
思い通りにいかないと錯乱する人が居ます。何故でしょうか?理由は万とありますが、理想が高いか、我侭か、現実吟味力の欠落か、体験の解釈が正しくないか、のどれかでしょう。不幸だ、不幸だ、と嘆く人の共通点は<幸福の条件が不安定で定まっていない>か<心の中は欲求不満の固まり>の2点です。幸福の条件は人により千差万別ですが、どうしても入れておかないと、決して幸福になれない条件が一つあります。それは言葉に出す必要はありませんが心の中で心底<ありがとう>と叫ぶ心でしょう。心臓が動いている事へのありがとう、息が出来る事への有難うの二つがあれば、人生最後の瞬間でも、有難う、と云いながら大往生できそうです。終末治療の患者さんの最後はまさに壮絶な人生最後の場面です。:<幸福の条件:18-5>:

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現実吟味力と夢

2006年10月03日 | 第1章:愛の領域
この厳しい現実の中で、夢が無ければ私は生きていけません。例え人に何と言われようと夢に生きたい一念があります。それはそれで良いのですが、もし、ドンキホーテーのようであれば、私は良いとしても周囲をも巻き込み人々を不幸にします。夢と現実吟味力は微妙なバランスを必要とされてきます。<周囲を不幸にする>ことさえ気づかずに夢を追えば、その人は現実吟味力を欠落した人と言えるでしょう。天才は周囲を不幸にする場合も多いでしょう。さて、では何を基準に夢を選択すべきでしょうか?夢を追う、これは人生の賭けですが、やはり周囲が何と感じようが、その人にとって譲れない幸福の条件が選択基準です。:<幸福の条件:18-4>:

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身の丈に合ったこと

2006年10月02日 | 第1章:愛の領域
身の丈に合ったことを、としばしば云われています。難しい選択です。過小評価、傲慢、誇大妄想、自分の目から見た場合と他者から見た場合と、色々の身の丈があるようです。自分で身の丈を考える場合は心地良いですが、他者に<身の丈に合わない>言われると相当怒りの扉に触れてきます。或人は身の丈に合った事をしようと、折角の美しい夢、実現しそうな夢を諦めてしまいますし、或人は身の丈に合っていると思いながら生涯果たせずにイライラしながら欲求不満で人生を過ごします。さて何を基準に身の丈を測定すべきでしょうか?それは自分の幸福の条件とは何か、を思索し、決めておくこと。誰が何と言おうとこの条件を果たせなくても追求するのが我が人生、と決断する事でしょう。この場合は文句は言わない、悔いは残さない、堂々と生き抜く事が条件:<幸福の条件:18-3>:

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不幸の原因

2006年10月01日 | 第1章:愛の領域
不幸の原因は山ほどあります。自然災害、戦争、通り魔、犯罪、悪意、嫌な人等など。さてここでは身近な不幸の原因を考えます。自分の平安感を乱すもの、友好的な感情を乱すもの、健康を害するもの、自分の幸福をみだすもの、考え方をみだすもの、5つです。経済問題、人間関係、健康問題の3つに絞りますが、どの分野にも理想と現実のギャップがあります。不幸だなあ、と感じたら、ノートにその理想と現実をしっかりと書き出してみましょう。それだけで何となく不幸の原因が見えてきます。理想の在り方に問題があるのか、現実の解釈に問題があるのか、この2点を明確にした上で次ぎを考えましょう。心理療法の体験によれば、このノートに書き出す事で不幸の半分が解決しているようです。:<幸福の条件:18-2>:

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幸福の条件

2006年09月30日 | 第1章:愛の領域
知は力なり、と言う言葉があります。人はどんなに貧しい経済的な環境、病理的に辛い環境にあっても、幸福感を五感で体感する力を持っています。つまり<幸福の条件と幸福感は違うという知識>です。幸福ではない、と不満を言う殆どの人はこの知識を知りません。<幸福の条件>とは<南の国で数週間静養する、金持ちのお嬢さんを妻に迎える>等の事に、幸福である為の条件を求める事ですが、<幸福感>とは、どんなに貧しくても、病気でも、心の中では、何かに感謝したり、平安を感じたり、愛を感じたり、目的をもっていきいきと生きている自分を幸せだと思う事です。この違いを明確に意識すると日々のストレスが減少し幸せ感が増大していきます。:<幸福の条件:18-1>:

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自分が最初に幸福になろう!何故?

2006年09月29日 | 第1章:愛の領域
大學病院での話ですが、心理療法家の中にも、幸福感に満ちあふれた人と暗い不幸な感じの人が居ます。患者さんはどちらを選ぶでしょうか?暗い人を選ぶ人も居ますが、70パーセントは明るい人を選びます。これと同様に周囲の人々を幸せにする方法は先ず自分が幸せでないと無理でしょう。普通の人は周囲を幸せにする為に自分が犠牲になれば良い、と勘違いしています。愛は犠牲を伴う事もありますが、それは一時的な例外で、柱となる人ほど、先ず幸福感を感じている人でないと、周囲を幸福にする事は不可能です。:<幸福と幸福感:17-5>:

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鬱感の深い人は大きな幸福感を味わえる人!

2006年09月28日 | 第1章:愛の領域
鬱感がどこから生まれてくるか、と云いますと、その人の生育史上の<理想(こうありたい、あるべきだと願う内容)と現実のギャップ>から生まれます。平素、何となくけだるく、憂鬱な感情に生きているタイプの人は、その感情発生の仕組みを理解した上で、心の防衛機制をコントロールする方法、現実吟味力、考え方のありよう、の3点から訓練していくと、人以上の深く、大きな幸福感を五感と体感で必ず体験出来ます。間違いありません。私が生涯をかけて思索し、経験した事に基づいて書いた本<生き甲斐の心理学>を是非読んでください。このブログも2005年12月10日から今日まで毎日書かれていますが、この3つの手法を細かく書いている本です。商売ではなく、本当に人の幸せを願った本です。是非愛読下さい。右上のブックマークから入れます:<幸福と幸福感:17-4>:

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<幸福感>を優先すると<幸福>になる!

2006年09月27日 | 第1章:愛の領域
お金は十分あり健康でも<私は不幸>と嘆く沢山の人々が居ます。不幸と思う理由は沢山あり、その通りだと思います。心理療法ではどう対応していくか、と云いますと<不幸だ、幸福ではない>と思う<考え方>を確認していきます。また、その方の日々の生活で起きる色々の現象をどう解釈しているか、その<体験の解釈>の仕方を話し合います。更に<幸福感>という感情について5つに分析していきます。平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感の5つの感情がどんなものかを説明していきます。この5つの感情こそ、人間を幸福にしている基本要素である事に気づき始めますと、段々と、いかに自分が幸福か、という事実を悟ります。終末治療の患者さんの中には<心臓が動いている自分、呼吸が出来る自分>を幸福だ、と感謝している人もいるのです。:<幸福と幸福感:17-3>:

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微笑みの神秘

2006年09月26日 | 第1章:愛の領域
或哲学者の治療が中々難しくて悩んでいた時、街角で少女とぶつかりそうになり、瞬間、身を避けた途端、木にぶっかって私は倒れました。小学生らしいその少女が駆け寄って、済まなそうに微笑みながら、私に手をさしのべてくれました。その時の微笑みが何とも素敵で可愛くて、胸が熱くなり、人の微笑みって何と素敵だろう、と思いました。その少女の微笑みから私の治療での自分の表情を考えてみると、真剣な治療のせいか、難解な治療のためか、私の顔から微笑みが消えていた事に気づきました。暖かい感情、優しい感情、小さな愛情から生まれる微笑みの効用は思わぬ効果をもたらしました。その日、その哲学者の目をしっかりと見つめながら少女の微笑みを想い出し、その少女に感謝しながら見つめますと、あの怖い哲学者が何と、好意あふれる微笑みを私に初めて見せてくれたのです。その数ヶ月後、その方は元気に退院していかれました。:<幸福と幸福感:17-2>:

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幸福病

2006年09月25日 | 第1章:愛の領域
私は何と不幸せな星のもとに生まれてきたのだろうか、と本気で悩む人がいます。この感情がどこから生まれてくるのか、色々その理由を調べてみますと、ほぼ100パーセント、改善できる状況を見つける事が出来ます。不治の病であっても、改善出来る範囲の心の課題です。終末治療の段階でも、恨み辛みで死んでいく人と感謝しつつ死んでいく人がいます。感謝しつつ死を迎えるほうが遙かにその人にとっても周囲の人にとっても幸福です。人間の心は<心がけ>いかんで、どうにでもなります。暗く生きるか、明るく生きるかは、その人の自由意志にかかっています。今回から5回にわけてこの<幸福と幸福感>の違いを思索していきましょう。考え方をどう統合すれば幸福感を感じる事が出来るか、体験の解釈をどうすれば、厳しい現実の中でも幸福になれるか、を思索してみましょう。:<幸福と幸福感:17-1>:

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魂を体感出来るか?

2006年09月24日 | 第1章:愛の領域
生き甲斐をしみじみと体感する最良の方法は自分が持つ魂、つまり、自分が臨終を迎え長い人生を終わる時に、身体から離れていく魂をしっかり信じる事です。魂とは生命そのもの、と断言出来ます。死ぬとは生命がなくなる事、ですから魂は命とも言えます。神学は魂は目に見えないもの、と定義してはいますが、自分の魂の存在を信じて数年意識する訓練を積む内に、哲学や神学や量子物理学を持ち出さなくても、日常生活の中で、しっかりと感じてきます。<自分の魂>の存在を信じ、自分の生命そのものが魂だ、と理解するようになると、実に美しいものが見えてきます。愛情も目には見えません。地上で一番、貴い愛ほど目には見えません。愛は見えませんが、肌で感じます。魂は<病むこともなく、永遠に生きる者、愛そのもの>と言われています。この世には<信じて見えてくるもの>が確実に存在しています。:<愛の体感論:16-5>:

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<愛の原型>で仲直り!

2006年09月23日 | 第1章:愛の領域
日常生活の身辺でかかわる人々が仲が良い場合の人生と、どっちを向いても嫌な人々しか居ない人生とでは、生き甲斐は相当違ってきます。Yさんは嫌な人だが、生活上、重要な存在、と言う場合は、何とか仲良くしたい、と願うのも人間の美しい感情です。そんな時は、必ず<愛の原型>という心理学用語を想い出して下さい。同じ働きかけをするのならば、その人の愛の原型を調べ、その感情の領域に触れてあげましょう。それも愛の行為の一つで、ごますりではありません。人間関係を美しくする愛です。愛の原型に触れていないと、単なる、お節介として疎まれるだけの話です。愛の原型を意識し、そこを優しく心で触れていく、そうすれば相手は心を開き、暖かい人情も流れ出すでしょう。:<愛の体感論:16-4>:

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さよならは嫌よ!

2006年09月22日 | 第1章:愛の領域
誠実に生きてきた二人が愛し合い、素晴らしい友人達に祝福されて結婚した二人が何故離婚するのか、残念でたまりません。裁判での激しい愛憎のやり取りを見るのはもう沢山です。以前あんなに愛し合しあった二人の会話とは思えない言葉の応酬戦だからです。さて離婚騒動の前の普通の生活で、男女は(愛の原型)について確認しあう習慣をつけて欲しいものです。愛の原型は人により全部違います。(愛を体感する)知覚の内容を(魂、心、身体)の3つに分類して思索し、確認しあって欲しいのです。この3つの心理療法をきちんとしたら離婚は多分回避出来るでしよう。二人が互いの(愛の原型)の違いに気付くと愛し合う方法も賢い方法へと変化していきます。愛と許しと平和の内に互いが白髪になっても仲良く生涯を送りたいものです。:(愛の体感論:16-3):

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<愛の体感>って?

2006年09月21日 | 第1章:愛の領域
生き甲斐の心理学を学ぶ場合に何故<愛の体感>を重視するのか。ここでの愛の体感とは<或人の愛をしみじみ感じて嬉し涙が流れ感動し感謝する>感覚を言います。この感覚はとても大切で、意識しているか、していないかに拘わらず、将来の愛を支配します。心理学では赤ちゃんの頃からのこの感覚を愛の原型と言います。この愛の原型と愛の感覚は同じものです。この愛の原型は宗教の世界をも支配するくらい大切なものです。神仏の愛を感じる、恋人の愛を感じる、友達の愛を感じる、全ての人の愛を感じる、逆に人を愛する場合もこの愛の原型が支配しています。ですから人が愛の世界を生きようとする場合はこの愛の原型(愛の体感)を明確に意識化する必要があります。愛の原型(愛の体感)を把握せずして愛は語れません。:<愛の体感論:16-2>:

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愛し愛されるとは?

2006年09月20日 | 第1章:愛の領域
赤ちゃんから高齢者まで日々、周囲の人々から大切にされれば、大喜びします。当たり前の事ですが、この当たり前が中々、出来ない所が、人間業の切ない所でしょう。欧米の家庭教育では<愛しているよ>と言い合いながら育つので、自然に<愛>について思索し、確認し、実行する努力をしますが、日本で50代、60代の夫婦が<愛しているよ>などと言おうものなら、汗をかいて恥ずかしがります。しかしどんな文明でも表現は違いますが<愛>が無ければ人々は幸せになれない事を十分知っていますので、愛とは何か、とそれぞれの文化の中で模索して生きているようです。生き甲斐の心理学を学ぶ上で愛を考える場合は、先ず<愛を体感する><自分がしみじみ愛されていると感じた感情的事実>を確認する事から始まります。この<愛の体感>という問題を5回に分けて考えていきましょう:<愛の体感論:16-1>:

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