今回の奈良の旅は、奈良豆比古神社の翁舞を拝見することが主な目的でした。
この奈良豆比古(ナラズヒコ)神社は、「いわばしる 垂水のうえの さわらびの 萌えいづる 春になりにけるかも」(万葉集)を詠った志貴皇子(田原天皇)を祀る神社です。志貴皇子は天智天皇の子であり光仁天皇の父です。延喜式神名帳(えんぎじんめいちょう)によると「771年正月二十日に奈良山春日離宮に祀る、つまり、奈良坂に祀る」と記されてあるそうです。
田原天皇は「春日宮天皇」として。高円山の裏「矢田原」に御陵があります。
この春日宮天皇には二人の子がおり、その子供が散楽俳優を好み、父の病を芸能をもって祈り治癒したことが、猿楽をこの神社から発達させたと言われています。
申楽・能楽・翁三番ソウの面は、ここからはじまったったとされています。つまり、能楽の源流である猿楽が、奈良豆比古神社で発達した、ということです。
毎年10月8日夜からの奉納「翁舞」は、保存会や町内の方々の尽力で守られており、国の無形文化財に指定されています。
奈良坂については、明日あたりに書こうと思いますが、歴史を語る上で見逃すことのできない場所に、この神社があることの意味を捉えつつ、奉納舞を拝見したことで、私の学びも一歩進んだように思います。
:樟(くす)の木:
平城京、遷都千三百年と同じくらいの樹齢とされる御神木の樟の木は、近づくことができないくらいの強い「気」です。神社の横を沿い、奥の森に入ろうとすると、山の西から冷たい空気が吹き流れ、そこから数歩歩くと、人を簡単には寄せ付けない磁気を感じました。まるで、プラスとプラスの磁石が互いを寄せ合わない感覚を身体で感じると、鳥肌が立ち、それが醒めるまで立ち竦むしか術がありませんでした。ひっそりと樟の袂に佇むために、きっとまたここを訪れると思います。
今日はここまで。^^//続きは明日・・・
「翁講・翁舞保存会の冊子参照」
奈良の旅:1
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この奈良豆比古(ナラズヒコ)神社は、「いわばしる 垂水のうえの さわらびの 萌えいづる 春になりにけるかも」(万葉集)を詠った志貴皇子(田原天皇)を祀る神社です。志貴皇子は天智天皇の子であり光仁天皇の父です。延喜式神名帳(えんぎじんめいちょう)によると「771年正月二十日に奈良山春日離宮に祀る、つまり、奈良坂に祀る」と記されてあるそうです。
田原天皇は「春日宮天皇」として。高円山の裏「矢田原」に御陵があります。
この春日宮天皇には二人の子がおり、その子供が散楽俳優を好み、父の病を芸能をもって祈り治癒したことが、猿楽をこの神社から発達させたと言われています。
申楽・能楽・翁三番ソウの面は、ここからはじまったったとされています。つまり、能楽の源流である猿楽が、奈良豆比古神社で発達した、ということです。
毎年10月8日夜からの奉納「翁舞」は、保存会や町内の方々の尽力で守られており、国の無形文化財に指定されています。
奈良坂については、明日あたりに書こうと思いますが、歴史を語る上で見逃すことのできない場所に、この神社があることの意味を捉えつつ、奉納舞を拝見したことで、私の学びも一歩進んだように思います。
:樟(くす)の木:
平城京、遷都千三百年と同じくらいの樹齢とされる御神木の樟の木は、近づくことができないくらいの強い「気」です。神社の横を沿い、奥の森に入ろうとすると、山の西から冷たい空気が吹き流れ、そこから数歩歩くと、人を簡単には寄せ付けない磁気を感じました。まるで、プラスとプラスの磁石が互いを寄せ合わない感覚を身体で感じると、鳥肌が立ち、それが醒めるまで立ち竦むしか術がありませんでした。ひっそりと樟の袂に佇むために、きっとまたここを訪れると思います。
今日はここまで。^^//続きは明日・・・
「翁講・翁舞保存会の冊子参照」
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