五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

美しいもの

2011年10月06日 | 第2章 五感と体感
「美しい」と「綺麗」

「綺麗」は「美しい」に含まれている表現だと思います。

[美しい] ⊃ [綺麗]

利休の茶室の庭に咲いた朝顔が見事だと聞きいた秀吉が、朝顔の花見の茶会を望みます。
秀吉が庭に咲く朝顔を楽しみに出かけると、朝顔はすべて切られ見当たりません。
茶室に入ると、そこに一輪の朝顔が活けてありました。

「綺麗」は「美しい」に含まれている典型的なお話のように思います。

日本人のもののあわれの精神から見えてくる「わび」「さび」は、ある意味、教育的な哲学を突き詰めていかない限り、なかなか行きつかない精神性のようにも思います。

身を削るような単調さに「美しさ」を心の底から感じるようになるための修業が「道」の世界の生き方なのかもしれません。

抑制の中から見出すものを美と仮定するならば、表現されたものに裏打ちされた背景の宇宙的広さを感じる事自体が美であるといえそうです。

ハプスブルグ家の求めた美よりも一輪の朝顔に美を求めた利休のほうが一本上手かもしれない、とふと、思った秋の朝・・・

枯れた花を愛でる日本人の美意識を私の中から探していくのが、私の人生かもしれません。

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