五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

ヨコハマトリエンナーレを観た感想

2011年10月21日 | 第2章 五感と体感
11月6日まで行われているヨコハマトリエンナーレを観てきました。

この展覧会が何年前から始まったか記憶が定かではありませんが、第一回を鑑賞して以来、二度目です。

経済の元気さがどうしても開催に比例してしまうことは仕方のない事かもしれませんが、久しぶりに現代作家の作品まとめてを観て感じたことは、「ノスタルジー」です。

「現在に生きていて、現在であらず」

ヨーコ・オノの電話ブースでは、いつ鳴るかわからない電話を期待し、無言で並ぶ人々を遠目から眺めた時に、現代人の「今」が、とても曖昧に見えてきました。突然、電話が鳴り、電話の向こうのヨーコオノと話す人は、どんなリアクションで、どんな会話を交わすのだろう…、そんなことを思いながら、でも、ほとんどの人は、そんなことはありえないだろう、という気持ちで、このブースに入っていくことに、想定外が起こり得ないことを想定内で自己の意識を納めている人の性質を感じました。

横浜美術館から日本郵船の会場までの一キロくらいを、ぶらぶら歩きつつ、情報に依存し、三次元的ではない形状に翻弄されていくと、1キロ以上離れた点と点を結ばせる意味を鑑賞者に持たせない現象をつくり上げてしまうのかな、と、感じたり…

現象という瞬間を捉えたものを作品として永続させようとすることよりも、瞬間を連鎖し、それに伴う人の営みがいつの日か傾向を持った表現になり、そこから見えてくる普遍性を感じ取る生活が私には合っているし、半世紀生きてきた自分の相応しい表現方法かもしれません。

横浜美術館所蔵のノグチイサムの彫刻が、今回の展覧会の作品の一つとして展示されていました。これこそ、今の私にピタリとくるものです。

輪唱するように横浜そごう美術館で柳宗悦の展覧会が始まりました。

ひょっとしたら、同じような事象が、ただ繰り返されていて、私達は、その錯覚の中で一喜一憂して生きているように思います。
現在を映し出しているにも関わらず、現在でないようなあるような、そんな作品傾向が、私にそんな思いを湧き立たせました。

次回のトリエンナーレは、離れた展示会の点と点をどのように結んでいくか。シャトルバスをあてにするのではなく、鑑賞者にゲーム性を持たせることも必要かと…。私は会場から会場までを歩いてみましたが、無味乾燥な道筋を辿り、いつものように歩くだけでした。
企画者にとっては意味のある展示場所の設定を根本から考え直してみるのも良いかもしれません。

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