五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

墓マイラー

2011年10月28日 | 第2章 五感と体感
今時の言葉を使えば、私も墓マイラー属に入ると思います。

旅行の際、国内外問わず、寺院は勿論、そして墓地も必ずチェックします。時間のある時は、必ず墓地を歩きます。

「葬り方」を見ると、その土地の人々の息づかいが見えてくるのです。
それは、生きている人を見ている以上のものです。
自分にとって大切な人をどのように「葬るか」という心尽くしは、言葉でやり取りするよりも、象徴的な表現を見ることによって浮き出してきます。

ここ数年は、古墳萌え~♪
と、いっても言い過ぎではないかもしれません。

7,8年前、北九州の宗像大社に向かう途中のタクシーの中で、「このあたり、なんだか古墳の匂いがする。。。」と、呟くと、運転手さんが、「おお、匂いますか。あそこも、こっちも、、あっちも、古墳ですよ」と…。

その土地の豪族の古墳が至る所にあることがわかったことで、魂は今も生き続けていて、その土地の空気には遺伝子が組み込まれているような思いが湧いてきました。

神仏習合から、廃仏毀釈に至るにあたって、多々ある古墳をこじ付けに利用したことは確かかもしれませんが、魂を鎮魂し、生きた人を手厚く葬ったことには間違いありません。もしかしたら、生きている人が、亡くなった人の怨霊を恐れ、古墳の位置を決めたりしたかもしれません。

先日、三輪山から二上山に沈む夕日を眺める機会を得ました。
二上山には、持統天皇の策略で命を奪われた大津皇子の墓があります。
三輪から昇る太陽の光は二上山にあたり、そして二上山の後ろに沈んでいきます。
凝縮された大和の歴史を丘の上から思い描き、大津皇子の鎮魂を祈りながら沈む夕日を眺めること1,400年あまり…。
民衆に慕われ、将来を嘱望された人の死を悼むことについて、いくら持統さんことウノノサララさんでも無視はできなかったことでしょう。
勝手な私の推測を妄想しながら、墓を巡る旅は、まだまだ続きそうです。

全く、場所は変わりますが、モナコの教会にグレースケリーのお墓があります。聖堂の背後に円を描くように床の下に人が葬られてあるわけですが、フラットなグレースケリーのお墓に一輪の赤い薔薇が手向けられていたのが印象的でした。人の人生が見えてくる、というのは、そういうこと、、、です。

墓話になると、俄然と元気が出てくる私。やはり、堂々と墓マイラーと宣言しても良いかも^^;;

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする