昨日の続きです。
ホントに、最近の工場団地は良く整備されていて公園のようです。
工場は表側は明るくピカピカなのですが、裏側はやっぱり工場なのです。これは先ほどの「ノーリツ」の裏側です。
煙突や、配管や、タンクや、ダクトや、その他、訳の判らない、機器や、装置が取り付けられていて、何やら「変な物」が出てきそうで「不気味」な感じがするのです。
工場にも「表と裏」があるのです。食べ物屋さんも「表と裏」では「かなり」の落差があります。食べ物屋の裏は覗かない方が賢明です。
またまた昔の話しになりますが、私は「昇降機」の会社で働いていた事があるのです。
人間用のエレベーターとか、自動車用のエレベーターとか、「ダムウェーター」とか「リフト」と呼ばれる、荷物用の小さな「昇降機」とかの「保守点検」をやっていた事があるのです。
その「リフト」は、飲食店にも多く使われていました。その頃に行った、「豚カツ屋さん」とか、「天ぷら屋さん」とか、「すき焼き屋さん」とか、名前を聞けば誰でも知っている、「老舗」とか「名店」とか呼ばれる店にも行きました。
そういう「食べ物屋さん」の「リフト」の「昇降路}の内部は、う~ん・・・・・・、やはり云うのは止めます、聞かない方がイイです。
そんなこんなで、裏側の話しで回り道をしてしまいました。
それで、この建物「FamilyMart」と「MARUMO」の二つの看板を掲げています。ファミマに「食品」を納入している会社のようです。
弁当か、おにぎり屋さんのようですが、先ほどの食べ物屋の話は昔のことです、今は昔と違います、それに「工場」ですから、安全面、衛生面は組織的に管理されている筈です。
きっと・・・・・・そうだと、思います。
工場団地を販売している「不動産屋?」の看板を発見しました。「UR都市機構」とあります。始めて聞く名前です。
調べてみました。
「独立行政法人 都市再生機構」(Urban Renaissance Agency)と云うそうです。
ここに到るまでの経緯が「勉強」になります。
先ずは、あの有名な「日本住宅公団」が1955年に設立された処から始まります。
そして、1981年に「宅地開発公団」と統合され「住宅・都市整備公団」が設立されます。
そして、1999年に分譲住宅の供給を停止して、名称から「住宅」が消され、「基盤」が加わり「都市基盤整備公団」となります。
そして、2004年に「地域振興整備公団」の地方都市開発整備部門と統合され、「公団」と「基盤」と「整備」が消され、「再生」と「機構」が加わり「都市再生機構」となります。
いろいろありました。戦後の高度成長、バブルの崩壊、行政改革、公社公団の整理統合。「都市再生機構」の歴史は、戦後の歴史そのものです。
昔は住宅公団のアパートを「公団アパート」と呼び、私の様に「都営アパート」の住民にとっては、「憧れ」の「高級」で「文化的」なアパートでした。
その昔の「住宅公団」が、こんな名前で、こんな処で、こんな仕事をしていたのです。ホントに時代は変わったのです。
しかし、「都市」再生機構が「田舎」で商売しているのも変です。そのうちに、「田舎再生機構」に名称が変わるかも知れません。
それで、ここは「テクノパーク土浦北」と云うそうです。土地の販売価格ですが「平米3万前後」だそうです。坪単価9万円は、「高い」のか?「安い」のか?
それなりに企業も進出して来ているので、それなりの価格なのでしょう。
こちらの進出企業は、かなり派手な色彩の外観です。
看板には「化粧品・日用品卸商社・あらた」とあります。
調べてみました。
「あらた」は国内最大の化粧品・日用品卸商社だそうです。売上高は4,559億円を超え、資本金は50億円、社員数2,358名もいるそうです。
きっと、わたしも、この会社を経由した商品をこれまで購入していた可能性が高いようです。
化粧品や日用品が、こんな卸会社の、こんな場所にある、こんな色彩の、こんな物流センターを経由して、スパーの棚に並んでいるのです。
「うん。そうか、そうなんだ」と、思いながら見つめるのです。
こんな工場団地「テクノパーク土浦北」は、明るく寂しく、それなりに面白いところでした。
まだまだ土浦郊外を走ります。
それでは、また明日。
ホントに、最近の工場団地は良く整備されていて公園のようです。
工場は表側は明るくピカピカなのですが、裏側はやっぱり工場なのです。これは先ほどの「ノーリツ」の裏側です。
煙突や、配管や、タンクや、ダクトや、その他、訳の判らない、機器や、装置が取り付けられていて、何やら「変な物」が出てきそうで「不気味」な感じがするのです。
工場にも「表と裏」があるのです。食べ物屋さんも「表と裏」では「かなり」の落差があります。食べ物屋の裏は覗かない方が賢明です。
またまた昔の話しになりますが、私は「昇降機」の会社で働いていた事があるのです。
人間用のエレベーターとか、自動車用のエレベーターとか、「ダムウェーター」とか「リフト」と呼ばれる、荷物用の小さな「昇降機」とかの「保守点検」をやっていた事があるのです。
その「リフト」は、飲食店にも多く使われていました。その頃に行った、「豚カツ屋さん」とか、「天ぷら屋さん」とか、「すき焼き屋さん」とか、名前を聞けば誰でも知っている、「老舗」とか「名店」とか呼ばれる店にも行きました。
そういう「食べ物屋さん」の「リフト」の「昇降路}の内部は、う~ん・・・・・・、やはり云うのは止めます、聞かない方がイイです。
そんなこんなで、裏側の話しで回り道をしてしまいました。
それで、この建物「FamilyMart」と「MARUMO」の二つの看板を掲げています。ファミマに「食品」を納入している会社のようです。
弁当か、おにぎり屋さんのようですが、先ほどの食べ物屋の話は昔のことです、今は昔と違います、それに「工場」ですから、安全面、衛生面は組織的に管理されている筈です。
きっと・・・・・・そうだと、思います。
工場団地を販売している「不動産屋?」の看板を発見しました。「UR都市機構」とあります。始めて聞く名前です。
調べてみました。
「独立行政法人 都市再生機構」(Urban Renaissance Agency)と云うそうです。
ここに到るまでの経緯が「勉強」になります。
先ずは、あの有名な「日本住宅公団」が1955年に設立された処から始まります。
そして、1981年に「宅地開発公団」と統合され「住宅・都市整備公団」が設立されます。
そして、1999年に分譲住宅の供給を停止して、名称から「住宅」が消され、「基盤」が加わり「都市基盤整備公団」となります。
そして、2004年に「地域振興整備公団」の地方都市開発整備部門と統合され、「公団」と「基盤」と「整備」が消され、「再生」と「機構」が加わり「都市再生機構」となります。
いろいろありました。戦後の高度成長、バブルの崩壊、行政改革、公社公団の整理統合。「都市再生機構」の歴史は、戦後の歴史そのものです。
昔は住宅公団のアパートを「公団アパート」と呼び、私の様に「都営アパート」の住民にとっては、「憧れ」の「高級」で「文化的」なアパートでした。
その昔の「住宅公団」が、こんな名前で、こんな処で、こんな仕事をしていたのです。ホントに時代は変わったのです。
しかし、「都市」再生機構が「田舎」で商売しているのも変です。そのうちに、「田舎再生機構」に名称が変わるかも知れません。
それで、ここは「テクノパーク土浦北」と云うそうです。土地の販売価格ですが「平米3万前後」だそうです。坪単価9万円は、「高い」のか?「安い」のか?
それなりに企業も進出して来ているので、それなりの価格なのでしょう。
こちらの進出企業は、かなり派手な色彩の外観です。
看板には「化粧品・日用品卸商社・あらた」とあります。
調べてみました。
「あらた」は国内最大の化粧品・日用品卸商社だそうです。売上高は4,559億円を超え、資本金は50億円、社員数2,358名もいるそうです。
きっと、わたしも、この会社を経由した商品をこれまで購入していた可能性が高いようです。
化粧品や日用品が、こんな卸会社の、こんな場所にある、こんな色彩の、こんな物流センターを経由して、スパーの棚に並んでいるのです。
「うん。そうか、そうなんだ」と、思いながら見つめるのです。
こんな工場団地「テクノパーク土浦北」は、明るく寂しく、それなりに面白いところでした。
まだまだ土浦郊外を走ります。
それでは、また明日。