歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

バケツで稲作 旨かった!ご飯に辿り着きました!

2007年09月19日 | バケツで稲作
本日、遂に! 自分で作った「お米」を、炊いて!「ご飯」にして食べたのです!

見て下さい。この中の「黒い粒」が、私が作った「紫黒米」です。見た目はまさに「お赤飯」です。


それでは、落ち着いて順番に説明致します。先日、2週間ほど前でしたか?関東地方に台風が上陸する前日に「稲刈り」をしました。

稲刈りは根元から刈り取ったのではなく、穂先部分を切り落とす「古代?」の方式で行いました。

12本の穂を一束にして、25本の束が収穫できたのです。1つの穂には平均して「60粒」の籾が付いていました。

ですから、

  60(粒)×12(本)×25(束)=18000粒

植えた苗は20粒ですので、900倍になった訳です。スゴイ!です。


この状態で乾燥した稲を、3束脱穀・・・穂から籾を落とす、籾すり・・・表面の籾皮を剥がす、を行い「玄米」にしたのです。

脱穀は「割り箸」2本の間に穂を挟んで、引き抜き籾を落としたのですが、これは簡単に呆気なく終了したのです。

次の「籾すり」をして「玄米」にする工程が、想像を以上に大変な作業でした。やる前には、籾殻は簡単に取れると思っていたのですが・・・・・・。


籾を擂り鉢に入れて、ボールで擦るのですが、「マニュアル」には「ボール」とだけあり、その作業の写真が掲載されていて、握った手の中に野球の「軟球」らしきものが写っていました。

しかし、我が家には「軟球」はありません。只一つある「ボール」は「まなちゃん」が置いていった、柔らかい「ビニールボール」だけです。


初めは、擦り付ける「強さの加減」が判らず、籾を潰して「粉に」なってはと思い、恐る恐る手加減しながら擦ったのですが、いくらやっても「玄米」にはならないのです。

少しずつ、押さえつける力を強くしていきました。すると、擂り鉢の中に「黒い粒」が現れたのです。


やった!と、思いそのままの力加減で擦っていると、玄米の黒い表面が剥がれ、白と黒の「斑玄米」が出てきたのです。

そうです、玄米が精米され始めたのです。これは「マズイ」と思い、作業を止めて、玄米になった粒を取り出したのです。

この「仕分け作業」が大変だったのです。その後は、擂り鉢に入れる籾の量を少なくして、ある程度玄米になった処で、擂り鉢を抱えて庭に出て、籾殻を団扇であおぎ風を起こして飛ばしたのです。

擂り鉢に入れる量少なくしたのですが、入れた籾の全てが玄米になるまで擦っていると、斑玄米が多くなってしまうのです。


籾を入れ、擂り鉢で擦って籾を剥がし、籾殻を団扇で飛ばし、籾と玄米の仕分け、以上の作業をくり返し行い、完成した「玄米」をハカリで軽量したら、45グラムありました。

それでも、3束の稲穂を脱穀した分の5~6割程度です、作業はそこで中断です。45グラムの玄米があれば充分です。

結局、45グラムの玄米を完成させるのに「2時間」を費やしたのです。

マニュアルには「2合の白米」に「玄米15グラム」を加えて炊くと、赤飯風に炊きあがると、書かれていました。


そして、本日(19日)の朝、遂に! 私が、自分の手で、丹精して、育て、大変な労力をかけて、玄米にし、そして、遂に、「ご飯」として炊きあがり、今朝の食卓を飾ったのでした。

味は、勿論、世界一、美味しいご飯でした!

4月に芽を出した、こんな小さな、小さな苗が、お米になり、ご飯になったのです。


ホントに感動的な朝食でした。

家族の誰もが、「ご飯」になって食卓を飾るとは思っていなかったようです。しかし、私は、小さな芽を出した時から、ず~と、ご飯になると信じていました。

感動と興奮の米作りでした。


これで、5月より「7回」続いた稲作報告を終了します。


それでは、また明日。 

コメント (2)
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