歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

矢板の町中で「下山事件」に接近!

2007年06月10日 | 下山事件
昨日の続きです。

温泉旅行の話しが、かなり「横道」に入り込んでいます。

それで、「矢板武記念館」の「HP」の記述にある「矢板玄」のこと何ですが、何処かで聞いた覚えがあるのです。あの人の事ではないか?と、「ピン」ときたのです。

パソコンの前から立ち上がり、5歩ほど歩いて「本棚」の前に行きました。確か、この辺だと思い、背表紙を眼で追いました。

この本です!



祥伝社刊 柴田哲孝著 「下山事件 最後の証言」です。

急いで表紙を開き、目次を見ました。ありました!



以下、目次 

――――――――――――――――――――――――――――

第三章 総師・矢板玄 

  一、矢板玄に会いに行く

  二、矢板機関とM資金

  三、キャノン機関

  四、下山事件に迫る

――――――――――――――――――――――――――――

早速、「矢板玄に会いに行く」のページを見たのです。

『・・・・・・早朝の都内の雑踏を抜け、東北自動車道に乗った。・・・・・・矢板玄―――大正四年(1915)、栃木県矢板市生まれ、父は矢板玄蕃・・・・・・』

間違いありませんでした。あの「矢板玄」の生家が、この「矢板武記念館」だったのです。

この本は、今から2年前に読んだのですが、「しっかり」覚えていた自分に驚きでした。未だ大丈夫なようです。

この本で「矢板玄」の「矢板機関」が「下山事件」の「実行犯」とされています。
前列の中心に座っている軍服姿の男性が「矢板玄」です。


「下山事件 最後の証言」より。


下山事件とは、今から58年前の占領時代に起きた「謀略事件」です。多くの謎に包まれ、真実は今でも「闇の中」です。

中心的な役割を担ったとされる人物は、全て「死亡」しています。「矢板玄」も、亡くなりました。

このブログで、去年の11月17日に「下山事件」について書いています。

『・・・・・・昭和24年7月6日午前零時19分に、貨物列車により轢断された国鉄総裁「下山定則」の死体が発見された。現場は常磐線綾瀬駅の手前で、東武伊勢崎線と交差する、線路が緩やかにカーブし、前方が見にくい地点だった・・・・・・』


※GHQ組織図・・・「下山事件 最後の証言」より。



「GHQ」、「マッカーサー」、「参謀第二部(G2)」、「民政局(GS)」、「キャノン機関」、「M資金」・・・・・・こんな「文字」を見つめていると、占領時代の闇に包まれた「モノクローム」の「世界」が、目の前に「現れて」くるのです。

下山事件は、関連書籍それ自体が、一つの「謀略」の匂いがする、「複雑怪奇」な事件です。この「最後の証言」も、「最後の謀略」かも知れないのです。そこが、「面白い」のです。

それと、下山事件に「関連」する「場所」が、私のこれまでの「生活圏の側」に「いくつも」ある事が、余計に興味をそそるのです。

下山総裁の衣服に付着していた「油」、「塗料」から、赤羽の「鈴木金属」の名前が出てきます。「鈴木金属」は以前に住んでいた場所から、5分ほどの場所にあります。

そして、犯行現場の「一つと推理」された、占領軍の兵器修理工場への「引き込み線」は、子供の頃の遊び場で、当時は「レール」が残っていました。


これが「現在」の「引き込み線」の跡地で、今は「長い」公園になっていて、引き込み線であった事を示す、線路の「模様」がタイルで描かれています。

下山総裁を「轢断」した「貨物列車」は「田端機関区」から出発したのです。そして、「轢断現場」は「常磐線」の「北千住」と「綾瀬」の中間地点でした。

これが、轢断現場に近い「常磐線」のガードです。最初の場所から高架工事の為、現在の場所に移されました。


このガード下に「追憶碑」があります。


「下山事件」は「面白い」です。

鬼怒川温泉の話しから、かなり「脱線」しました。

明日は、温泉旅行に戻ります。

         それでは・・・


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鬼怒川 「矢板市」で「謎の人物」に遭遇!?

2007年06月09日 | 下山事件
昨日の続きです。

そばを食べ終わり、294号線を10分ほど走り、右折して408号線に入りると「両側」は工場地帯です。

このコースで、一番「景色の悪い」、「真岡工業団地」です。一部上場企業の名前がチラホラと見えます。

いつもより、「通過」するのに時間がかかりませんでした。この道は「団地内」だけ「片側2車線」なのですが、交差点に右折ラインが無いため、右折渋滞が起こるのです。

いつもですと、工場へ貨物を搬入する「大型トラック」の右折が頻繁にあるのですが、今回は、ほとんど無く、交通量も以前よりかなり少なくなっています。各企業が「生産拠点」を海外に移転した影響でしょうか?

工場団地を抜け、408号線を暫く走り4号線に入ります。4号線の矢板市の手前でいつも、渋滞があるのですが、ここも今回はスムーズに通過しました。

渋滞の原因は「早川町」にある「シャープ」の「工場群」に、出入りする大型トラックの影響と思います。

ここも今回は、車両の通行量が減少していました。やっぱり「国内製造業」の「空洞化」でしょうか?

シャープの工場を通過し、左折して461号線に入り、矢板市街を走っている時でした。偶々、信号待ちで停車していると、右側に「黒塀」の「長屋門」があったのです。


見ると「立て看板」に「矢板武記念館」とありました。その時は、特に気にも留めなかったのです。一応、記念に写真を撮っておいた程度でした。

今回、ブログを書くにあたって、念のため「矢板武」って「どんな人」と、思いネットで調べみました。

この人が「矢板武」です。明治3年ごろ「坂巻武兵衛(さかまき ぶへえ)」は矢板の地名をとって「矢板 武(やいた たけし)」と名乗ったそうです。


以下は「記念館のHP」あった記述の要約です。
――――――――――――――――――――――――――――

『矢板武』は那須野が原の開拓に尽力したり、この地方の副戸長(ふくこちょう)、区長(くちょう)をつとめるなど地域の指導者でした。

日本鉄道株式会社<現在のJR>の役員となって矢板に鉄道が通るように努力し下野銀行や、矢板銀行など 、設けて頭取となる。

矢板武の跡(あと)を継いだのは矢板寛(やいたひろし)です。武の子は女子ばかりでしたので、渋沢栄一の媒酌(ばいしゃく)<仲人>により福井市の名門「野村家」から養子を迎えたのです。

矢板寛は旧制東京帝国大学(今の東京大学)を卒業した秀才で特に中国文学には優れた学者でした。中国から日本に帰ってからは、下野銀行の頭取、矢板銀行の頭取、矢板町長など要職に付く。

矢板寛の子も女子ばかりでしたので、跡継ぎとして福井市の名門「加藤家」から養子を迎えることになり、迎えられたのが『矢板玄蕃(やいたげんば)』です。

矢板玄蕃も旧制東京帝国大学卒業で経済学に優れた人でした。経済界の要職につき活躍していましたので、東京に住んでいることが多かったようです。矢板に帰ってからは矢板市教育委員会教育長などの職につきました。

矢板玄蕃の子が「矢板玄(くろし)」です。玄は科学者として昭和電工などの会社で活躍しました。
晩年は矢板信用組合理事長などをつとめ、この矢板家に住んでいました。

要約終了
――――――――――――――――――――――――――――

ここまで読んできて、うん? あれ? 何か聞いたような? もしかして? 「矢板玄」って「あの人」かも知れないと、思ったのです。

それは、かなり「以外」な「歴史的な事件?」の「関係者?」なのかも知れないと思ったのです。

鬼怒川温泉の話しが、かなり「脱線」していますが、面白そうなので「横道」に逸れたいと思います。

話しが長くなるので、ここから先は明日に続きます。

それでは、また明日。









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鬼怒川「イチゴソフト」と「太めの蕎麦」

2007年06月08日 | 旅の話し
8日、9日で鬼怒川温泉に行って来ました。春に旅行を計画していたのですが、「母」の「緊急入院・・・・・・4/5・4/6・4/7記入」で、延び延びになっていました。

春の予定では「川俣温泉」の「国民宿舎 渓山荘・・・三度投宿」を考えていたのですが、宿までのコースが「険しい?山岳道路?」で、怖いとの「苦情」が「母」よりあり、「鬼怒川温泉」に決定しました。


私としては、渓山荘に宿泊したかったのです。ここは谷間の「一軒宿」で自然に囲まれた「露天風呂」は「野趣満点」で、最高に寛げる「ナンバーワン露天風呂」です。


兎に角、今回は鬼怒川温泉です。

鬼怒川へは、294号線、408号線、4号線、461号線のコースで、高速は使いません。

このコースですと、途中の昼食を入れて、4時間弱で鬼怒川に到着します。今回もいつもと同じ、9時半過ぎの出発となりました。

天候は8日、9日ともに「曇り時々雨」との予報でしたので、前日から「雨覚悟」の出発です。

294号線、茨城県から栃木県に入って直ぐの「道の駅二宮」に11時到着。ここで毎度の「トイレ休憩」と「ソフトクリーム休憩」です。

天気は晴れています。

「二宮尊徳」の「銅像」があるのですが、単に「地名」が「二宮」と云う事で、「尊徳さん」とは「特別」の関わりは「無い」そうです。

栃木の「二宮」と云えば、「イチゴ」の「名産地」です。ここの「イチゴ」の「ソフトクリーム」が「最高」なのです。

※最低は千葉県の佐倉のソフトクリームです。味は「普通」ですが、量が極端に少ないいのです。二宮の6割程度で350円でした。この時から「千葉県」に悪い印象を抱いております。「千葉」の「商人」は「目先の利益」に弱い?

先ず、安くて「ボリューム」があり、そして「美味しい」のです。これで、250円です。


母は旅行に出ると「必ず」ソフトクリームを食べます。今回、食べ切れず残りを私が食べました。

これがあるのです、母との外食では「必ず」と云って良いくらい、「もったいない」と思い、残飯整理をしてしまうのです。

トイレ、ソフト休憩後、30分ほど走ったところで昼食にしました。夕食の「ご馳走」に備えて、早めの「軽い」食事です。

以前、「鬼怒川」の帰りに入って、美味しかった「そば屋」と思い、入ったのですが、駐車場に入って直ぐに、勘違いであることに気付きました。兎に角、時間も時間なので入る事にしました。

店の外観、内装からして「開店」して間もないようでした。「店の拘り」を掲げているので、それなりに「大丈夫」かと思いました。

「そば粉10割」ではなく、「二八」と書いてあるので、それなりの「そば」を期待しました。「10割」を「うたい文句」にしている店に「旨い店」はありません。



出来上がりの「そば」が到着しました。外観と量は「OK」です。歯ごたえ、香り、汁の味、「OK」でした。これで「650円」は合格点です。


但し、この「太い切れ端」が「気に食わない」のです。材料に「拘る」ならば、「切り方」にも「拘って」ほしいのです。


店によっては「手打ち」の「証明」として、入れているのでは?と思う事もあるのですが、この店は、そこまでの「あざとさ」は無いようです。

食べ終わって一息ついていたら、店主が出て来て、

『どうですか? そばの太さは、少し細めにしたのですが?』

『丁度、良いと思いますよ!』と答えました。

ホントは「もう少し細い」と良いと思っていたのです。まぁ、「太め」ですが、「田舎風」の「素朴な味わい」と解釈しました。

いくら私でも、面と向かって『そば太さは、まぁ良いとして、切れっ端の太いのは、許せない。切り方にも「拘って」貰いたい!』とは、云えませんからね。

店主は「腹の出た」、肥満体型で「純朴」そうで「いい人風」でした。
兎に角、650円で、この味、この量は「合格」です。


それでは、明日に続きます。


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「ドァーロック」破壊修理事件

2007年06月07日 | その他
車のドァーロックが壊れました。

助手席側のドァーロックが、「施錠」しても「ロック」しなかったり、又、「解除」しても「ドァー」が開かなかったり、完全に「壊れて」しまいました。


 【12年も乗っている割には「奇麗」?大切にしています】

私の乗っている車は「今年で12年目」に入り、走行距離は「今月中に16万㎞」に到達します。それでも、元気に走っております。後3年は乗る予定です。

ちょうど「12ヶ月点検」の時期に来ていた為、点検と修理をする事にしました。
事前に予約して、当日の3時にメーカー系列の「正規代理店」に行ったのです。

作業終了まで1時間ほど係るとのことで、じっと待っているのは「もったいない」ので、付近を1時間ほど歩き回り店に戻りました。

アイスコーヒーを飲みながら、「そろそろ」と思って待っていたのですが、15分ほどしてから、サービス員が来て、

『ロックは「部品交換」になります。それと点検の方なんですが、後30分ほど時間を頂きたいのですが・・・』と、云われました。

そして、30分後に点検が終わり、2日後の「ロック」の修理を予約して帰ったのです。

そして、2日後の修理の日、1時間で修理は終わると云われ、この日は暑かったので、置いてあった「グルメ雑誌」を見て、時間を潰していました。

一時間ほどして、又しても、「30分」ほどの「延長」を告げられました。そして、30分が経過して、

『お客様、申し訳ありませんが、代車を用意しますので、車を預からして下さい』

と、云われたのです。その時は、細かい修理内容は相手も告げませんでしたし、こちらも敢えて聞きませんでした。

『修理が終わらないのら、しょうがないでしょう』と云って、代車に乗って帰って来ました。帰宅したのが5時過ぎです。

帰宅後、10分ほどして電話がありました。

『ロックの件なのですが、内装の「内張り」を「破壊」しないと「交換」できないのですが・・・・・・、どうしましょうか?』

『えっ! 何それ? ハカイしないと交換できないって、どう云うこと?』

『壊さないと、交換できないんですけど・・・・・・』明らかに、「破壊」された「内張」の、「費用発生」に対する、了承を求めているのです。

『壊さないと「交換」できないって云われたって、そんな事、私の責任ではないでしょ? そんな事こちらに相談されても困るよ。構造に問題がある訳だから、お宅の設計部門の責任じゃないの?』

『そう云われてしまうと・・・・・・、そうですかねェー・・・・・・』

『そうでです! 兎に角、何とかして下さいよ』

『はい・・・・・・。社内で相談してみます』

『それじゃ、宜しく頼みます』と、云って電話を切りました。

5時を過ぎていましたから、直ぐに「焼酎」を飲み始めたのですが、「納得」できない話しなので、段々と「不愉快」になり、○○自動車の「HP」に、メールを入れたのです。

事の経過を書いているうちに、酔っぱらった「勢い」で、メーカーの「最高経営責任」の、経営方針の「問題」だと書いたのです。

『・・・・・・あんたの会社は、金儲けが目的であり、車造りは単なる手段になっている。それが販売店にも反映しているのだ・・・・・・』

「コストカッター」と云われ、「ミスター・リストラ」の「あの外国人」です。
私は彼の経営方針が「大嫌い」で、最近の「業績悪化」の報道に、

『だから云っただろ、結局はそうなるんだ、あんたは単なる再建屋だよ』

と呟き、一人ほくそ笑んでいた今日この頃に起きた「ロック修理内張破壊事件」でした。


翌日、返信がありました。
____________________________


○○様 

「○○○○○車」をご愛用賜わり厚く御礼申し上げます。お忙しいところ弊社宛メールをいただき大変恐縮に存じます。どのような修理内容なのか○○店でないとわかりませんが、○○店は弊社の正規サービスステーションでありますのでご信頼いただき、今後共店舗との連絡を密にされ、ご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。

 ○○自動車株式会社TCS本部お客さま相談室室長付 ○野○男

____________________________

まぁ、こんなもんだろうと思う、当たり障りのない、定型文の回答が書かれていました。

そして、その日、4時頃に修理完了の電話連絡があり、翌日の朝9時に車を取りに行きました。

結果は、「内張の破壊」をしないで、ロックは交換できていたのです。やればできるのです! 

そして、サービス員から、「本社」からこの件に関して、「FAX」があった事が告げられ、「お客様に大変ご心配をお掛けして申し訳ありません」との「謝罪」の言葉があった。

又、「交換技術料」の「割引」をした事、一部部品を「破損」したが、「弁償」します。との事でした。

いろいろあった「ロック交換」でした。しかし、最近の「機械」は、「修理」をしないで、直ぐに「部品交換」や、最悪「買い換え」を要求して来ます。

これでは「ゴミ」が増えるだけです。「機械」は「修理」して、大事に長く使うべきと考えます。

さぁー。「ロック」も直ったし、これから「後3年」は乗り続けます。


それでは、また明日。 
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「有田芳生」が「新党日本」から何故?

2007年06月06日 | 世間話し
参議院議員の選挙が来月になりました、と云っても、いつから選挙運動がはじまり、いつ投票日なのかは判りませんけど・・・・・・。

しかし、あの「オウム騒動」で脚光を浴び、その後は、日本テレビのワイドショーで「コメンテーター」をしていた、あの「有田芳生さん」が、立候補したのには「ホント」に驚きました。想定外です。


彼の『酔醒漫録』は、毎日読んでいました。最近、「ワイドショー」が「打ち切り」と決まったようで、他人事ながら「仕事」が減って、収入も減り大変なのでは? 何て、バカなことを思っていたら・・・・・・この報道です。

人生いろいろありますから、いろいろな事が、いろいろと重なりあい、このような決断を下したのでしょう。

突然の立候補も驚きですが、「新党日本」からと云う事も驚きです。未だあったのです。

この政党は「自民党」を「除名」された、「コテコテ」の「自民党員」の「政党」だと理解していました。



その代表が「田中康夫」だと云う事も、不思議なのですが、今度はそこに「有田芳生」までが入党するのですから、余計に判らなくなります。



自民党と共産党の「除名」繋がり?・・・・・・そんな訳ないですね。

まぁ。「旧社会党」から「自民党」まで「幅広い」勢力の集まりである「民主党」がある訳ですから、そんなに「矛盾」しないのでしょう。

それで、有田さんなのですが、今年に入ってから「変?」と思う事が2件ありました。

一つは、安倍総理の「統一協会」の「集会」に「祝電を送った件」での、「安倍擁護」と、石原慎太郎の「特攻映画」での「石原擁護」です。

「映画」は「共産党文化人」の云うように、「特攻礼賛」でも、「戦争美化」でも、「靖国擁護」でもないと、「石原擁護」を行いました。

安倍総理の「祝電の件」も、「秘書」が勝手にやった事で、総理本人は関知していない可能性はありますが、何故?あの時期に、あのような「擁護発言」をしたのか?不思議です。

その後、『酔醒漫録』を突然「終了」して、数日後に「再開」すると云う不思議な行動がありました。

そして、「石原擁護」の発言です。「映画の内容」は「有田さん」の「主張」に近いようですが、何故?この時期に? この発言?と思うのです。

そして、そして、今度は「新党日本」からの「立候補」です。いつも「主張」は「それなりに間違ってはいない」のですが、いつも「場・・・今回は新党日本」と、「タイミング」に「政治的匂い」がするのです。

「政治的匂い」とは、「きれい事」ではない、何か「胡散臭さ」を感じるのです。

以上は、単なる「直感」です。

兎に角、参議院選挙の見所が「一つ増えた」事は歓迎いたします。


それでは、また明日。 
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バケツで稲作 作付け面積を倍増!

2007年06月05日 | バケツで稲作
本日は2回目の稲作報告です。

天候に「恵まれ」今年の稲は順調に生育しています。田植えからほぼ一ヶ月が過ぎ、田圃の「水面」は「緑」に覆われて来ました。


グングンと成長しています。元気そうです。




さて、こちらが、我が家の「ポリバケツ田圃」、順調に成長しております。

種籾は「一袋にキッチリと20粒」入っていました。2袋で合計40粒を蒔いたのですが、発芽したのは「キッチリ20粒」で、発芽率50%でした。



二週間位前に「苗の間引き」をしたのですが、折角、ここまで育った苗の「命を絶つ」のは「忍び難く」、間引きした苗を「他の場所」に植え付けることにしました。

全国の稲作農家が「減反」する、この「ご時世」に、敢えて「作付け面積」を倍増する決定を下したのです。

バケツ田圃2個を増設し、計5個としました。これで我が家の「ポリバケツ」は「総動員体制」となりました。

そして、今回新たに「畑埋め込み式ポリ袋田圃」を「開発」したのです。
「ポリバケツ田圃」と「ポリ袋田圃」を合わせて、ほぼ二倍の作付け面積を確保。



      【畑埋め込み式ポリ袋田圃】



苗は「栽培マニュアル」に書いてある通り、間引きをしてから「10日程」で、「分げつ」が始まりました。

※分げつ・・・稲が茎を増やして大きくなること。


マニュアルにある通り、5枚目の葉が出ると同時に、2枚目の葉の付け根が分かれてきました。

知らない人が見ると、単なる「雑草」の様に見えますが、毎朝、「顔」を見るのが楽しみです。

梅雨が明ける頃には、「誰が」見ても、「稲らしい姿」に成長していることでしょう。ホントに「楽しみ」です。

こちらは「野菜畑」です。手前が「ピーマン」、奥が「キュウリ」です。


キュウリの隣には「トマト」が2本。


トマトの隣には「ナス」が2本です。ナスは「昨日の夕方」始めての1本収穫しました。「ぬか漬け」にしています。今晩食べる予定になっています。自分で作った野菜は「ホント」に旨いです。


紫陽花も色付き始めました。我が家の紫陽花は開花が少し遅れています。もうすぐ、「梅雨入り」です。


こちらは「真夏の花」「朝顔」です。やっと「双葉」が顔を出したところです。


これで、稲と野菜の生育状況の報告を終わります。

それでは、また明日。 



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隅田川「青い眼」と「金髪」

2007年06月04日 | 東京の風景
昨日の続きです。

カレー大盛り「450円」に満足して、川風をうけながら、額の汗を拭きながら、吾妻橋を渡りました。

橋を渡り、見上げると「高くそびえる」、ビール会社の「黄金色のオブジェ」、「ビール」の「ジョッキと泡」をイメージしたそうですが、近所の子供達は、全員「ウンコ~!」と叫んでいるそうです。

以前、この「ウンコ表面」の「清掃作業」を、テレビで放送していたのですが、先端に跨り汚れを拭き取るシーン、見ていて「へそ」の辺りが「こそばゆく」なりました。


川縁の遊歩道に降りると、この貼り紙がありました。

『・・・予告なしでゴミとして処分する』そうです。16日となっていますので、4日前です。


これ「ベンチ」何ですね、東京都も「考え」ました。これでは「横に」なれません。以前は、こんな「ベンチ」はありませんでした。


何故か?こちらのベンチの周囲は「ロープ」を「張り巡らし」立ち入り禁止にしているようです。

あちらでは「ブルーシートハウス」の建設が始まっています。警告を受けて「退避」していたのでしょう。


こちらでも「建設」を開始しました。これで「当分」は、ここで暮らせるのでしょう。


橋の下では、資材を運び込んだ段階で、一旦、横になり「休憩中」です。


対岸も、以前よりブルーテントの数は減っています。景気が下げ止まった? 公的な対応の効果が現れた? 住み難くなり場所を変えた?


現在でも、ここに居続ける人達は、ここで暮らす事に、「誇り」と「拘り」を持つ、「本来的」な「自由生活者」ではないでしょうか? 

確かに、この場所は「都会」の「オアシス」かも知れません。しかし、油断していると、「我が家」が「予告なし」で「ゴミ」として「処分」される危険性があります。

イイですねぇー。「下部」アーチ橋と「上部」アーチ橋を「連結」した「駒形橋」。「円形石積み」の橋脚に重量感があります。リベット橋はイイです。


「厩橋」は「色」が「暗い」です。昔の「戦車」の色に似ています。ここにも、ブルーテントが「退避」していました。



厩橋からは、上を歩いたのですが、何処からともなく聞こえてくる「祭り囃子」の「笛の音」、下を覗くと「金髪の欧米人」が、横笛の「稽古中」です。

そのうちに、「金髪外人」に、日本人が「お囃子」の「稽古」を付けてもらう日も近いでしょう。

金髪外人と云えば、数年前にコマーシャルで、山形「銀山温泉」の「金髪外人女将」の事を思い出します。

玄関に、乱雑に脱ぎ捨てられた履き物を、和服姿の女将が「揃える」シーンに被せて、『日本人は、日本の美しい習慣を忘れてしまっている・・・・・・』何て「辿々しい日本語」のナレーションが流れるヤツです。

美しい習慣を身に付けたた日本人は、「よその国」に行って「よその国の人」に「その国」の「習慣」を「偉そう」に「講釈」する事はありません。

あの当時、バブルが弾け、日本が自信を失っていた頃でした。そうです、思い出しました。「公共広告機構」のCMです。日本人は「金髪欧米人」に弱いのです。

そんなこんなで、国技館に到着したのですが、

ここでも、「外国人」が「活躍」していました。来場所は「モンゴル」の二人横綱です。まぁ、二人はアジア人で人種的には同一ですから、それほど違和感がありません。

来場所からは、見た目「そのまんま外人」の「金髪青い眼」の「把瑠都」が「幕内」に返り咲きます。

政治も、経済も、スポーツも、芸能も、グローバル化です。「変な揺り戻し」の「気配」を感じます。

「冷静」に「落ち着い」て「じっくり」と「長~~い眼」で、のんびりと行きたいと思う、今日この頃です。

さてと、「三河島から国技館」の「シリーズ」も今日で終了です。ここまでのお付き合い、ありがとう御座いました。

あすからも、宜しくお願い致します。


____________________
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浅草「メンコロ定食」カレー掛け!?

2007年06月03日 | 食事の話し
昨日の続きです。

浅草寺の境内を「二天門」から抜け、昼は何を食べようかと、江戸通りを歩きつつ、メニューを眺めつつ、迷いつつ・・・・・・、こんな時間も楽しいのです。

「立ち食いそば屋」のこんなメニューを見ているのも楽しいのです。やはり「カレー」に眼が行きます。カツカレーが550円です。

この店には一度入って失敗しています。その時は「カレーセット」でしたが、カレーも、そばも、何じゃ?コレ!でした。


こちらは、吾妻橋の交差点近くの「リンガーハット」です。ここには以前よく入りました。食べるのは「皿うどん」だけです。


「皿うどん」を頼むと、「必ず」、『他に何かご注文は?』と笑顔で聞き返されるのです。明らかに「それだけかョ!」と、云っている訳です。

「マニュアル」で、そう教えられているのです。しかし、そう云われると、気の弱い客は、『スイマセン。餃子を下さい』何て云う客がいるのでしょうね。

私は、注文の際に「キッパリ」と「相手を見つめ」て『皿うどん、単品で!以上!終わり!』と云う事にしています。敵に攻撃の「隙」を与えないのです。

確かに、皿うどんも、チャンポンも「それなりに旨く」安い為、単品注文では儲けが「ほとんど無い」のでしょう。

メニューには写真入りで「セット品」が大きく載せてありますが、単品は「小さな」文字だけです。

そんなこんなの「駆け引き」も面白いのですが、最近は「皿うどん」の「味と匂い」に飽きてきましたので、ここは素通りしました。

こちらは、吾妻橋交差点の「あの神谷バー」です。ここは覗くだけにします。この手の店は、一人で食べると「淋しく」なるのです。

松花堂弁当は2千円です。

「イカげそ竜田揚げ」が510円、「焼き鳥」が410円、「串カツ」は2本で410円は安い、懐かしい!「にこごり」300円、暫く食べていません。


ありました!「神谷バー」と云えば「電気ブラン」です。隣も珍しい「ハチブドー酒」200円です。今時、ここだけの品揃えです。

電気ブランは、「生ビール」の間に「チビチビ飲む」のが「通」だそうです。


さて、交差点の信号が変わり、横断歩道を渡ると「この店」が眼に入ってきます。ここには一度も入った事がありません。ここは「店頭」に貼り出された「メニュー」が楽しいのです。


兎に角、豊富な品揃えで、そして「安い!」のです。最高価格が「560円」で、ほとんどが500円以下です。「ワンコイン以下ランチ」の「お父さんの味方」です。

「メンコロ定食 360円」語呂がいいです! 安いです! 食べて見たかったのですが、とても混んでいました。

「メンコロ定食」に「カレー」を掛けて、「メンコロ定食 カレー掛け 450円」何て有ったら「最高」です!「カロリー」はかなり高くなりますが・・・・・・。 

私、天ぷらでも、フライでも、海老よりイカが好きなんです。「イカ天丼に半タヌキ」が480円です。いいなぁ~。


そろそろ「季節」は「夏」に近づきます。「夏メニュー」です!

『冷やし肉 350円』が「とても」「力強い!」です。

タップリと「メニュー」を「鑑賞」して楽しんだ後は、隣の「松屋」で「カレーの大盛りみそ汁付き 450円」を頂き「満腹」になりました。

この店は2度目で、前回もカレーでした。大盛りで450円は魅力です。味も私好みです。

さてと、腹一杯になりました。これから「吾妻橋」を渡り、国技館に向かいます。

それでは、また明日。 








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「エキゾチック!ジャパン」浅草寺

2007年06月02日 | 東京の風景
昨日の続きです。

浅草寺は、「六区の興行街」と違い、いつ行っても「賑やか」です。外国人観光客の「混入率」は「3~4割」あるかもしれません。

外観的に日本人だと思っていると、会話を聞くと「韓国、台湾、中国」という事がよくありますからね。

特に「欧米系」が目立ちます。やはり「浅草寺」は「エキゾチック!ジャパン」です。

それに、「エレクトリック・ジャパン」の「秋葉原」が近いですし、浅草からは「東武電車」で、これぞ「本命」「エキゾチック・ジャパン」である、「ギンギラギン」の「日光東照宮」へ「一直線」です。


合掌の女性は「中華民国?」。横で「ブロンド」の「女性が」、カメラを構えて「しゃがんで」いますが、「ローライズ」が「チョット」危ないですよ。

中高生の修学旅行をよく見かけますが、こんな「お寺」を観て楽しいのでしょうか? 私も中学、高校と京都、奈良に行きましたが、当時は「神社仏閣」など「まったく」興味がありませんでした。


外国人、いや「欧米人」に、「小学生」と思われる「集団」が、サイン帳のような物を差し出し、何やら書かせていました。


こちらの「欧米人」は「かなり」腰が低い方で、丁寧に応対していました。


あちらの「老欧米人」は書き終わったようです。


ここでも「囲まれて」います。サインを求められる事など、日常ありませんから「悪い気」はしないでしょう。

きっと国に帰ったら『日本に行ったら、おいらもスター並にサイン責めにあってさぁ、そりゃーもう! 大変だったんだぜェ・・・・・・』何て、隣の家に住む「同級生」の「ジョージ」に話して聞かせることでしょう。

しかし、この行為、「教育」の一環として「やらせて」いるように見えました。 これで「何を?」学ぶのでしょうか、欧米系以外の「外人」がこの様子を見て、どう感じるでしょうか?

まぁ。日本の「外交政策」の「縮図」・・・・・・の様な「光景」は、兎も角として、修学旅行生は、いつ来てもホントに眼に付きます。

「外人旅行者」と「修学旅行生」は「浅草寺」の大切なお客様です。


こちらは「隣」の「浅草神社」です。「祭りの後」の静けさが漂います。所謂「三社祭り」は17日~20日迄でしたから、この日は、祭りが終わって3日目です。


ズラリと並んだ「祭り提灯」、終わった後は「さっさと片付け」ましょう。祭り提灯は「人混み」の中が「似合い」ます。提灯が「淋しそう」です。


社務所を新築するようです。建物だけで「3億円」ですか・・・、世間の景気はねぇ・・・・・・、まぁ。頑張って下さい。


浅草寺、賑わっていました。

歩いて、見て、次は「食べる」話しです。

それでは、また明日。 



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浅草の「危ない」人達!?

2007年06月01日 | 東京の風景
昨日の続きです。

浅草で「危ない人達」を見かける事があります。
三年ほど前の事だったと思います。浅草寺から「五重塔通り」を「興行街」に向かって歩いていた時の事です。

通りの左側に、ピカピカの「外車」や「国産高級車」がズラリと並んでいたのです。見るからに「その筋」の「匂い」がする車です。

そのなかで、車に寄りかかりながら、携帯で何やら話しをしている男が居たのです。30前後のパンチ頭でした。

周囲に聞こえる声で、

『・・・あァ~、判った。うん、それなら、 俺の名前を出しとけ! あーあ。構わなぇーから、いいな! 良く云っておけよ・・・・・・』

「その筋、丸出しファッション」の「その筋、丸出しトーク」でした。30前後の男です。映画の「ワンシーン」を観ているようでした。

回りの「洋品店」では「買い物」をする、その筋の「グループ」を何組か見かけました。

横目で「チラチラ」観察しながら、六区の通りに出ると「角」の交番に、私服の警官が「長い警棒」を持って「立ち番」をしているが眼に入りました。


この「警視庁 浅草警察署 公園六区交番」です。その時「駄目もと」で、立ち番をしている警官に、

『何なの彼らは?』と、車の並んでいる方に視線を送ったのです。

『アレですか? ヤクザですよ。毎月1回の会合なんです。関東一円から来て居るんですよ、群馬、茨城、栃木あたりからも来てますよ』と、「和やか」な表情で答えてくれました。

『ふぅーん。そうなんですか』と云って頷き、歩き出したのですが、中年警官の「表情」が何故か「不自然」に思えたのです。

まぁ。「そんなこんな」の記憶を手繰りながら、この日、交番脇の「五重塔通り」を浅草寺に向かいました。

確かに、この通りの「洋品店」は「その筋」を意識した「品揃え」になっています。


これなんかも「好きそう」です。


目立ちますねェ~。


演歌ファッション?


これに「雪駄履き」でしょうか?


この手の「ダブル」は「必須」の「アイテム」です!!

「浅草」は「粋」と「野暮」が「混在」していたのですが、今は、「粋」は探さないと見つかりません。

浅草は時代の先端から、時代の端っこに移動して、「懐かしさ」を売る町となりました。それでも、「浅草」は「浅草」です。そんな浅草が面白いのです。

「そんなこんな」で「ウロキョロ」していると、「草臥れた居酒屋」に「貼られた」ポスターの中に「懐かしの人」を見つけました。


こんな処に居たのです。「あの」「三匹の侍」、そして、「階段滑り止メ」「スベラーズ」の『長門勇さん』です。

最近は、浅草に戻り、古巣の「元」は「ロック座」だった「大勝館」で、芝居をしているようです。ホントに頑張って下さい。

こちらは「大衆演劇」の「殿堂」「木馬館」です。以前、何度か芝居を観たことがあります。1500円で、芝居に、歌謡ショーに、踊りと、「タップリ」楽しませてくれます。

それにしても「暇そう」です。通りかかった時は、開演10分前でしたが「呼び込み」も立っていませんでした。

浅草の興行街は、「時代」と、「離れ」、「寂れ」、元気がありません。

まぁ。そんな「寂れ具合」が好きなんですけど・・・・・・・。

しかしです。観音様の「浅草寺」は「元気」です。

それでは、明日は「浅草寺」です。宜しくネ!



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