歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

東京物語 ① 庭先の道祖神

2013年02月06日 | 映画の話し
昨晩より、大雪の情報がでていました、午前2時には雪が降っていたような気がしたのですが、朝起きると外は雨でした。

朝食後、8時過ぎから雨の中いつものウォーキングを決行、歩き始めは“みぞれ混じりの雨”、途中からは“雪混じりの雨”でした。

と、云うような天候ですから、こんな日は炬燵に入って“映画話し”なのです。
それで、昨日の続きで、「東京家族」の続きのような、『東京物語』デジタルリマスター版のお話です。


冒頭は尾道です。瓦屋根が連なり、その先に浄土寺、下を山陽本線が走ります。これぞ、日本の風景です。1953年、失われていくであろう日本を映し残した?


それにしても、この風景、『東京物語』は、尾道と東京が舞台であった事で、物語が成立したように見えてきます。

まぁ、東京から距離と、小津が一時期、三重に移住していたことから、東北方面ではなく、関西方面に舞台を設定したのか、それとも“温暖”が決め手で、瀬戸内の尾道こそ日本の原風景? 

そして、失われつつある風景のなか、失われつつある、古く、老いた夫婦の、家族の物語。


旅支度をする二人のシーン、二人の間からは庭が見えています。ここで、おや?何?あれ?と、思ったのです。


これは、明らかに、右側は道祖神です。男女の神様を彫った「双体道祖神」です。瓦屋根の土塀を背にしています。浄土寺の土塀です。


位置関係から、庭先には植木鉢、その先に道祖神、その先に土塀となります。土塀は明らかに浄土寺ですが、道祖神は平山家の敷地内なのか、それとも、庭と土塀の間に小道があり、道祖神は、小道の先の土塀側に祀られているのか? 

庭に道祖神を祀ることはありません。道端であり、村はずれであり、分かれ道であり、兎に角、個人の庭に道祖神は、とても、とても、不自然です。

でも、しかし、どう見ても、庭先に祀られていると、見た方が自然な映像配置になっています。

周吉の家は浄土寺に隣接している設定です。このカット、庭の手入れをする周吉、土塀の先に浄土寺の多宝塔が映っています。ココだけはロケーションの映像です。


このシーンの庭は浄土寺の関連施設か、境内の壁際にセットを組んだか、その場所には道祖神があったものと思われます。それを眼にし小津は閃いたのです。

そして、スタジオでのセット撮影に際して、庭先に道祖神は不自然であっても、わざわざ配置したのでは?と、思うのです。

監督の意図として、何かを込めた、象徴として、暗示として、それは、セットの庭先に置かれたのです。

『東京物語』は家族の物語です。冒頭、旅支度をする“周吉”と“トミ”の顔の間に大きく道祖神が映し出されるのです。


道祖神は、由来の一つには、中国を起源とした、旅を愛し、旅に死した皇帝を祀った説があり、それが日本に渡り、神話とか、民間信仰とか、神仏習合とか、いろいろあって、村の守り神、子孫繁栄、旅の安全の神、等々、として信仰されているのです。

旅の神、子孫繁栄で、婚姻や出産の神なのです。『東京物語』家族の物語です、家族は、婚姻で、出産で、子孫繁栄なのです。

冒頭では、周吉とトミコの間で、旅の神として、また、トミの旅の終わりの死を暗示して・・・・・・、と、まあ、そんな、解釈も成り立つのです。

そして、トミの葬儀の後で、周吉と紀子の間に道祖神が映し出されます。


小津は東京物語で“家族の崩壊”を描いたと云っていますが、やはり、それでも、子孫の繁栄、世代交代で家族の繁栄、そんな思いもあったのでは?


まあ、そんな、こんなに、思いを巡らすのも、雪混じりの雨が降る、寒くて、暗い、こんな日には、それなりに、相応しいのでは、と、思いつつ、終わります。

それでは、また。


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