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近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“キューポラのある街” ⑥ アッチにコッチに逸れて!そして!日立武蔵工場は消えていました!

2010年10月11日 | 映画の話し

先週の続きです。

先週は「日立製作所武蔵工場(半導体工場)」関連の話しでした。それで、武蔵工場は何処なの?と思った方もいたのではと思います。

映画のなかでは、工場見学のシーンと、帰りにジュンが自転車に乗って、川口の街を走るシーンとがつながって描かれているので、川口市の近所のように思われた方も、もしかして?何人か?居られた?と思うのです。



実は、何を隠そう、この私も、武蔵工場は川口の近所だと思っていました。何たって川口周辺も「武蔵野の国」ですから、そう思っても仕方ありません。

それで、ネットで「日立製作所武蔵工場」を調べていたら場所以外に、いろいろな事が、いろいろと出てきたのでした。

先ずは武蔵工場の所在地ですが、何と、中央線の国分寺駅から徒歩10分ほどの所にあったのです。当時でしたら、川口からは乗り換え時間を入れ、駅まで歩く時間を入れ、2時間は掛かったかと思います。当然、ジュンは会社の寮に入る事になるのでした。


それと、今回は、あまり詳しくは触れませんが、日立武蔵工場の昭和30年代は、労働問題がいろいろあったようです。映画で描かれたほど、明るく楽しい職場ではなかったようです。

寮生活も“女工哀史”とまでは云いませんが、いろいろあったのでした。シスター制度はその役割を存分に果たしていたのでした。

それで、日立武蔵工場ですが、あの白井貴子とか、三屋裕子とか、中田久美とか、大林素子とか、日本を代表する選手を輩出した、バレーボールの名門チームがあった工場なのでした。

武蔵工場関連は、「でした、でした」の過去形なのでした。

実は、平成の世になると、国内の半導体メーカーは後発の韓国に世界市場を奪われ、かなり厳しい状況に追い込まれたようで、各メーカーは企業の垣根を越えて統合化に向かったようです。

そして、武蔵工場は分社化し三菱の半導体部門と統合し「ルネサス テクノロジ」となり、最近は、NECとも統合して「ルネサス エレクトロニクス」となっていたのです。

日立と三菱とNECが一つの会社をつくったのです。昔はそんなこと考えられませんでした。半導体分野は相当に追い詰めらようです。

武蔵工場の名前が消え、バレー部も廃部になりました。大会社の中の大会社、日立製作所の武蔵工場が消えてしまっていたのです。

分社化して他のメーカーと統合すると云うことは、不採算部門の切り捨てであり、従業員の削減であり、雇用条件の低下である訳です。

ジュンの頃は“これからの分野”だったものが、今では“もはやこれまでの分野”となってしまっていたのです。

中国や、韓国や、台湾や、インドや、ブラジル等の国でも生産できる分野では、労働条件も彼らと同等で働くことになってしまうのです。

“経済的”には、ですけれど、辛く厳しい時代になりました。これから先の長い方、多くの収入を望む方、これからは、ホントに大変な時代です。

ジュンの時代は、みんな貧乏から抜け出すことを目指して、いろいろ一生懸命頑張りました。これからは、もう、貧乏でも、楽しく、のんびり暮らす事を、一生懸命頑張って考える時代だと・・・・・・。

もう、品質の良いものを、安く、大量に生産し、大量に消費する、そんな時代はお終いにしましょう。ホントに失うものが大き過ぎます。

書いているうちに、最初の予定とは、かなり、かなり、逸れまくってしまい、コムズカシイしいことになってしまいました。

本日はここで、お終いにします。次回からもうすこし「キューポラ関連」に戻します。

まあ、アッチに行ったり、コッチに行ったりは、たぶんあると思いますけど・・・・・・・。


それでは、また明日。



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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (さかいのぶよし)
2017-06-19 08:30:15
貧乏でも、楽しく、~の実践を小生は、柳家さん喬さんDVD* 掛取万歳* を視聴。それと、高校野球観戦。地図に早稲田実業高校、清宮選手が甲子園に来るか?大手メーカー、「ひょつこ」の中小零細企業は地方出身者で成り立つてた。小生は三鷹市のホスター電子KKに就職。流れ作業のはんだ付けやビス締めを経験した。休んでばかりの不良品でした。
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Unknown (さかいのぶよし)
2018-12-15 07:19:38
半導体。小生の高校時代は真空管からトランジスタ。現在はLSIや超小型演算処理装置へと。IT時代、アプリケーション産業は旧来の会社形態を変化させた。アナログ人間は時代に取り残されて、社会の隅へと。それ、小生だ!
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Unknown (cocoro1)
2018-12-15 10:44:07
先日はPCを買い換えて、設定に戸惑い、今回は、テレビ内蔵のディスクレコーダーが壊れ、新しく買い求め、またしても設定に戸惑い、新しい家電製品は、昔よりも、とても、とても、複雑怪奇。

歳の所為にするのも不愉快!
スマホも不愉快!
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Unknown (さかいのぶよし)
2018-12-15 19:29:27
新製品の説明、案内はPCかデスクの使用です。小生はアダルトのDVDとごっちやです。IT時代、お互いに、何周遅れでもついて行きましょう!
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働いていました。 (unknown)
2019-04-13 10:59:35
日立武蔵に勤めていたので、インターネットで見ていたら、出ていたので、・・・・
わたしは1972年から8年勤めていました。あの頃の同僚はどうなったのか、・・・・
女の子たちが働きながら、学園に通っていました。
しかし、二、三年後には機械に代わりました。集団就職も変わっていった時代です。
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Unknown (さかいのぶよし)
2019-05-08 14:14:59
小生は1970年上京した。上野駅に総務の方(志村さん)が迎えに来ていました。井沢八郎さんのああ上野駅最後の世代。それに、吉幾三さんの津軽平野での、出稼ぎ労働者を知らない人多くなってます。都会の潤いは北海道、東北、日本海側に浸透して来ない。田中角栄さんも。

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Unknown (さかいのぶよし)
2019-08-22 07:28:36
三鷹市にあった、ホスター電子KK、目黒区にある東邦工業KK.東京で最初に勤務し、最後に勤務した会社。印象が深い。社長の話は人間普遍の真理ポイと今、感じた。
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好きだった人が働いていました (みずかまきり)
2020-04-20 21:44:28
高校卒業して好きだった片思いの女の子が働いていました。埼玉の大学に出てきた自分は、何度かその工場に行き、住んでいる住所はわからなかったので、工場に手紙を出したりしました。ある意味なくなってしまってさみしく思います。遠い昔の青春時代の甘酸っぱい思い出です。とっても懐かしく思いました。あの頃に戻りたいです。
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Unknown (さかいのぶよし)
2020-12-18 08:52:07
電化製品の今まで、だいぶ前に生産工場は変わりました。そして、街の電気屋はネットワークがある大型の店に変わりました。そして、店舗では毎日消費する日用雑貨も取り扱う。規制緩和、自由主義経済。更に、アマゾンなどのネット通販へ。新型コロナでなおさら。
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Unknown (さかいのぶよし)
2021-08-16 06:00:37
「本物は残る」日立製作所は今もある。ホスター電気KK、東邦工業KKは残っている。ホームページに入社面接をした社長のの名前が載っている。ITを駆使出来ないのは残れない。
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