歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

朝青龍、亀田、そして小沢さんの「もろ出し」

2007年11月15日 | 雑談
それにしても、朝青龍はどうしたのですかね、何だかんだ云われて、いろいろな噂が囁かれても、やっぱり日本に戻って来るようです。

朝青龍には“時”が味方しているようです。テレビの話題は朝青龍から「亀田問題」に移り、亀田が下火になると「時津風問題」、時津風も色褪せて来たところで、「小沢さんのプッツン事件」です。

テレビでは、朝青龍も、亀田も、時津風部屋も、小沢一郎も同じなのです。

相撲協会は「時津風問題」の出現により、「朝青龍問題」が相対的に小さな問題に変化した事を、影では喜んでいる筈です。

協会としては、朝青龍問題は「ウヤムヤ的」に処理し、そして「八百長問題」は遠い過去の問題として忘れてもらう。

週刊現代も大夫儲けたのでこの辺で“次のネタ”に移る時期でしょう。人の噂も七十五日です。

それにしても「琴光喜」です。やっぱり、元の琴光喜です。人間はそう簡単に変わらないし、変われないのです。

相撲取りは「考え過ぎる人」には向かないのです。相撲だけではなくスポーツは「考えすぎ」はいけないのです。長嶋茂雄は「考えない」のです。

考え過ぎない事、自分を信じる事、これができれば一流なのです。土俵に上がったら「俺は勝てる」と思い込むこと、「負けるかも」と思う人は負ける確率が高くなるのです。

朝青龍が強いのは、「負ける筈がない」と思って毎回土俵に上がっているからです。単純に自分を信じることが出きる、これが勝利の秘訣です。

同じ様な能力を持っていても、「信じる」事が出きる人が勝ちます。


それにしても、小沢一郎さんです。

私はこの間、大連立、辞任、説得、再登板の一連の小沢さんを見ていて、何故か親近感を感じるようになりました。

「一ちゃん」と何処か場末の居酒屋で一杯やりたくなりました。話し下手、人前には出たくない、根回しが下手、人の話を聞かない、自分が正しいと思ったら一人で勝手にやってしまう・・・・・・親しみのある性格です。

あの顔がすべてを物語っています。兎に角「人相が悪い」。それと、表情の特徴的なのは、「笑い顔」から「真顔」に戻る時に、途中の表情がないのです。

これは「笑い顔」を作るのに、かなり無理をしている証拠です。本心では人前で笑顔など見せたくないのです。笑うのが面倒臭いのです。

笑顔から真顔に戻る途中が無い有名人に、あの偉大な監督「大島渚」がいます。この「途中無し人」は独善的な人の特徴です。映画監督は独善的で独裁的な人に向く商売です。

何故? 「途中無し人」が、独裁的、独善的なのか? 独裁的で独善的な性格の人は「笑顔」と「真顔」の途中がないのか?

政治家にも「独善的」「独裁的」な資質は必要と云うか、そういう資質の人がなりたがる商売です。「途中無し人」は、大物と云われた政治家に多く見かけるのです。

考えて見ると、自分を信じて疑わない人こそが、すべての分野で“一流”と云われる条件の様に思えます。

それにしても、そう簡単に自分を信じる人は怖いですね。

それでも、「一ちゃん」に「親しみ」が湧くのは、独善的、独裁的な性格が「もろ」表面に出ているところかも知れません。

「もろ出し」は政治家として成功しない確率が高いです。党首に就任したとき「自分も変わる」と云ったのですが、あの歳になってそう簡単には変われません。

世の中、一見「親しみ易く」、一見「人の話を良く聞く」、そんなポーズを演出して「独善独裁」の臭い隠しているの人が、一番「たちが悪い」のです。


兎に角、変われない琴光喜も好きです。「性格」は変われないけど、「政策」は変わる小沢一郎も好きになってきました。

ところで、あの「福田康夫総理大臣」ですが、どうも、「たちが悪い」ような、そんな臭いを感じる今日この頃です。

兎に角、雑談でした。


それでは、また明日 





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