歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

東京物語 ④ 小津の意図を超えて

2013年02月12日 | 映画の話し

前回の続きです。

長男の家で夕食を終えて二階に上がった二人、

“とみ”『ここは何処?』

“周吉”『東京の端っこ!』

この後、羊雲が映し出され、お化け煙突に変わり、長女の店先に場面は変わるのです。

夕食後に一休みして“さぁ寝ましょう”と、二階に上がる時刻に、夜空の羊雲が映し出されるのです。夜空に羊雲が見える?何か、とても変なカット。初秋の寂しさですか?

煙突の“煙モクモク”は、当時としては活発な経済活動の象徴です。でも、ここでは、東京の端っこの、東京を裏から支えるシンボルマークとしての象徴?


ここで突然ですが、これが当時の“東京電力千住火力発電所(通称お化け煙突)”の模型です。8年前に浅草にある東京電力の営業所の2階にあった“資料室”で撮ったものです。


懐かしい風景です。下駄履きでお掃除、手前にはガッチリした商用?業務用?自転車が軒先に置かれ、木製雨戸、巻き上げ式日除け天幕、奥の道路をボンネットバスが走ります。


バスの後から都電が走って来ます。“うらら美容院”ですか? 何とも、まあ、“志げ”の性格とは正反対に思える“麗らか”な店名です。“うらら”の書体が実に麗らか。


お化け煙突の見え方、都電の走る街、長男の診療所が東武伊勢崎線の堀切駅であることから、長女の“うらら美容院”は“京成本線の町屋駅”に間違いありません。

向かいは酒屋のようです。源氏焼酎、力正宗、トリスウ井スキー、キリンビール、すべてが現在も販売されています。「源氏焼酎と力正宗」は彼の“シャトーカミヤ”も経営する“合同酒精グループ”でした。


志げと夫の食事シーン。


さかんに、ひたすら、豆ばかり食べるのです。この夫は甘い物が好きなようで、志げの両親に今川焼きを買って来て、自分も美味しそうに食べるシーンがあり、酒は飲まないようです。


この食事シーンが、とても好きなのです。「東京家族」では中嶋朋子と正蔵で、納豆に大量の辛子投入で笑いを取っていました。どちらも豆をネタに使っているのです。

この髪結いの亭主の職業ですが、どうも、あやしい感じを漂わせています。いわゆる“ブローカー”と云ったような仕事をしているみたいです。

都会の片隅、京成町屋、都電、小さな美容院、髪結いの亭主、甘い物好き、ブローカー・・・・・・下町生まれの下町育ち?

「東京物語」は、世の中の片隅で、慎ましく、平凡、フツウの日常を淡々とくり返す、ふつうの庶民の物語。抑制された、映像と会話、観る人の思いによって、物語がいろいろと変化し、いろいろと膨らませる事が可能な物語だと・・・・・・。

私にとっては、兎に角、モノトーンの世界は、懐かしい暮らし、懐かしい道具、懐かしい景色・・・・、懐かしさの塊なのです。

制作後60年の時を経て、「東京物語」の評価は“小津の意図”を超えて、ひとりで勝手に歩き回っているような・・・・・・。いろいろな処で、いろいろな人々が、いろいろな「東京物語」を観ているのです。

それで、先日、「東京物語」のある意味で対局にある、波瀾万丈の“レ・ミゼラブル”を観て来ました。

最後のシーン、バリケードの群衆、群衆の中に現れる亡くなった戦士達の姿、打ち振られる赤旗、高らかに叫ぶ革命歌、もう、これは・・・恥ずかしながら、涙がポロポロと頬を濡らしました。

でも、しかし、長々と続くエンドロールを見つめながら、でも、この感動は、映画館を出たならば、ヨカッタ!ヨカッタ!で終わる。只、それだけの感動でしか・・・と、思ったりして。

映画の世界と、自分の日常との、あまりの落差に、ただ、ただ、もう、情け無いような、寂しいような・・・・・・。

こういう、波瀾万丈の作品は、かなり、複雑な余韻を残すのです。

フツウの人には、フツウの日常淡々のくり返しが、とても、それなりの余韻なのです。

ハイ!これで、東京物語を終わります。


それでは、また。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする