昨日の続きです。
発表しましたねぇ~。今日の朝刊には写真入りで一面を飾っていました。
昨日、ブログは午前中に書いたのですが、夕方のニュースでやっていました。6月上旬の最後の日、お約束どおりでした。私の心配は余計なお世話だったようです。
“東京スカイツリー ”でした。6候補のなかでは、一番「無難」な名称でした。何か、ちょっと、“できレース”の匂いがします。
各名称毎の投票数も、総投票数も、特に報道されていません。発表が無かったのか?、それとも、そんな事は“どうでもイイ”として報道しなかったのか?
と、思っていたのですが、念のために、調べてみたら、報道している社もありました。投票総数11万419票で、“東京スカイツリー”は3万2千699票を獲得したそうです。
それにしても、他の候補名は単なる“当て馬”のような、酷い名称でした。兎に角、これからでしょう。
“東京タワー”は、戦後経済成長の象徴でした。仏蘭西のエッフェル塔よりも高いと、当時、国民の大多数は鼻高々でした。
みんなで喜び大騒ぎしたものです。私も、オープンして一週間後に家族揃って見物に行った想い出があります。
“東京スカイツリー”は、これから、何を象徴し、どのように受け止められるのか、それにしても、こういう建造物を、みんなで喜び大騒ぎする時代は終わった気がするのですが・・・・・・。
それでも、こういう見世物ができるのは、それなりに楽しいことです。でも、しかし、私は完成しても、遠くから眺めるだけです。とてもあんな高い所には上がれません。
それでは、ここから、ホントに昨日の続きです。
押上駅付近を歩いているのです。駅前近くの商店街の軒先に、こんな怪しいものが並んでいました。
海賊版の、そのまたダビィング品の様でした。中国語のビデオです、それなりに、ここらでは需要があるのでしょう。
下町には、こう云う“怪しさ”があっていいのです。明るく、綺麗で、スッキリした町になると、つまらないのです。
スカイツリーのニュースで、商店会のおじさんが、『タワーを中心にして町も変わっていってほしい』何て云ってました。
このおじさんの「変わって」は“客足倍増”、“売り上げ倍増”、何て処でしょう。
間違い無く、客足、売り上げも倍増しそうですが、たぶん、その恩恵を受けられるのは、おじさんの店のような“昔からの店”では無く、外部から進出してくる“新しくてお洒落”なお店の話です。
“東京スカイツリー”が完成したら、この町もかなり“変化”して行く事でしょう。歩き廻るのは今のうちです。
アーケードには、右から左に“押上通り商店街”と書かれています。スカイツリーが完成する頃には、このアーケードも作り直しでしょうか?
たぶん“スカイツリー商店街”になっているかも知れません。
左から右に書かれた“本所警察署押上駅前交番”は、それなりに新しい造りです。
そうでした。この日は、先ず、東武亀戸線の“東あずま駅”を目指していたのです。そば屋の前を曲がってから方向がずれ、路地伝いに押上に辿り着いてしまったまです。
この辺で、方向転換をします。駅の傍を流れる「北十間川」に沿って東あづまを目指します。
この「スレート造り」の建物は元は工場だったように思われます。今は、貸し駐車場になっています。
スレートは“もの悲しい”のです。子供の頃、近所の工場は、トタン板か、スレートでした。灰色と赤錆びの世界です。
この建物の窓枠は鉄製で赤錆びています。入り口の脇には、棕櫚の木が植えてあります。
灰色と、赤錆びと、緑の棕櫚、この何とも云えない調和。棕櫚は強い光線の中、南の国の風景を連想するのですが、陽当たりの良くない庭先で“ひっそり”佇むのが似合います。
これから、暫く、北十間川に沿って歩いて行きます。
“北十間川”良い響きです。
江戸とか、明治とか、大正とか、文学とか、物語とか、そんな匂い、香りが漂ってきます。
これから、どんなものが漂ってくるのか、楽しみです。
それでは、また明日。
発表しましたねぇ~。今日の朝刊には写真入りで一面を飾っていました。
昨日、ブログは午前中に書いたのですが、夕方のニュースでやっていました。6月上旬の最後の日、お約束どおりでした。私の心配は余計なお世話だったようです。
“東京スカイツリー ”でした。6候補のなかでは、一番「無難」な名称でした。何か、ちょっと、“できレース”の匂いがします。
各名称毎の投票数も、総投票数も、特に報道されていません。発表が無かったのか?、それとも、そんな事は“どうでもイイ”として報道しなかったのか?
と、思っていたのですが、念のために、調べてみたら、報道している社もありました。投票総数11万419票で、“東京スカイツリー”は3万2千699票を獲得したそうです。
それにしても、他の候補名は単なる“当て馬”のような、酷い名称でした。兎に角、これからでしょう。
“東京タワー”は、戦後経済成長の象徴でした。仏蘭西のエッフェル塔よりも高いと、当時、国民の大多数は鼻高々でした。
みんなで喜び大騒ぎしたものです。私も、オープンして一週間後に家族揃って見物に行った想い出があります。
“東京スカイツリー”は、これから、何を象徴し、どのように受け止められるのか、それにしても、こういう建造物を、みんなで喜び大騒ぎする時代は終わった気がするのですが・・・・・・。
それでも、こういう見世物ができるのは、それなりに楽しいことです。でも、しかし、私は完成しても、遠くから眺めるだけです。とてもあんな高い所には上がれません。
それでは、ここから、ホントに昨日の続きです。
押上駅付近を歩いているのです。駅前近くの商店街の軒先に、こんな怪しいものが並んでいました。
海賊版の、そのまたダビィング品の様でした。中国語のビデオです、それなりに、ここらでは需要があるのでしょう。
下町には、こう云う“怪しさ”があっていいのです。明るく、綺麗で、スッキリした町になると、つまらないのです。
スカイツリーのニュースで、商店会のおじさんが、『タワーを中心にして町も変わっていってほしい』何て云ってました。
このおじさんの「変わって」は“客足倍増”、“売り上げ倍増”、何て処でしょう。
間違い無く、客足、売り上げも倍増しそうですが、たぶん、その恩恵を受けられるのは、おじさんの店のような“昔からの店”では無く、外部から進出してくる“新しくてお洒落”なお店の話です。
“東京スカイツリー”が完成したら、この町もかなり“変化”して行く事でしょう。歩き廻るのは今のうちです。
アーケードには、右から左に“押上通り商店街”と書かれています。スカイツリーが完成する頃には、このアーケードも作り直しでしょうか?
たぶん“スカイツリー商店街”になっているかも知れません。
左から右に書かれた“本所警察署押上駅前交番”は、それなりに新しい造りです。
そうでした。この日は、先ず、東武亀戸線の“東あずま駅”を目指していたのです。そば屋の前を曲がってから方向がずれ、路地伝いに押上に辿り着いてしまったまです。
この辺で、方向転換をします。駅の傍を流れる「北十間川」に沿って東あづまを目指します。
この「スレート造り」の建物は元は工場だったように思われます。今は、貸し駐車場になっています。
スレートは“もの悲しい”のです。子供の頃、近所の工場は、トタン板か、スレートでした。灰色と赤錆びの世界です。
この建物の窓枠は鉄製で赤錆びています。入り口の脇には、棕櫚の木が植えてあります。
灰色と、赤錆びと、緑の棕櫚、この何とも云えない調和。棕櫚は強い光線の中、南の国の風景を連想するのですが、陽当たりの良くない庭先で“ひっそり”佇むのが似合います。
これから、暫く、北十間川に沿って歩いて行きます。
“北十間川”良い響きです。
江戸とか、明治とか、大正とか、文学とか、物語とか、そんな匂い、香りが漂ってきます。
これから、どんなものが漂ってくるのか、楽しみです。
それでは、また明日。