歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“安達太良山”の上に空は無かった!

2007年11月08日 | 旅の話し
昨日の続きです。

恐怖との闘いを終え頂上に到着、ゴンドラを降り傍らに居た係員に、「今さっき、ゴンドラが止まったけど?」と聞いてみたら、こちらに顔も向けず「風です」と、素っ気ない一言だけ。

彼らにとっては、単なる日常的な出来事なのでしょうが、こちらにとっては非日常的な恐怖の体験なのです。

「客商売なんだから! もう少し云い方があるだろ! なぁ、兄ちゃん!」と心の中で叫んだのでした。当然、兄ちゃんには聞こえません。

頂上は寒むかった! 標高は1350㍍、雲の中に入っています。折角来たのですから、見晴らし台まで行ってみました。昨夜の雨で道はぬかるんでいます。


安達太良山と云えば、勿論、高村光太郎の詩集「智恵子抄」です。智恵子と云えば「東京には空がない」です。

「ほんとの空は安達太良山の上にある」と、智恵子は云いました。

そこで、この石柱が建っているのです。しかし、この天候です。安達太良山の上にも空はありません。




それにしても、この石柱に刻まれた

『この上の空がほんとの空です 二本松市』には違和感があります。

“二本松市”ではなく、ここはやはり“智恵子”と刻んだ方が自然です。

この件、私の勝ってな想像ですが、「著作権」が絡んでいるように思えます。光太郎は1956年に亡くなっています。

亡くなった後で、相続人と出版社との間で、「智恵子抄」の「編集著作権」を裁判で争い、1993年に最高裁の判決が下され、相続人が勝訴しました。

著作権裁判では「有名」な裁判だったそうです。著作権は死後50年ですから、去年まで著作権が相続人にあった訳です。

そんなこんなの「ゴタゴタ」に巻き込まれない為に、誰もが知っている言葉なので、敢えて二本松市は「智恵子」の名を刻まなかった、そんな気がするのです。

それにしても、二本松市と刻む必要は無いと思いますけどね。


それと、今回初めて詩集『智恵子抄』の“空がない”が書かれている詩を読みました。


『智恵子抄』・・・高村光太郎作

“あどけない話し”

智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。

私は驚いて空を見る。

桜若葉の間に在るのは、切つても切れないむかしなじみのきれいな空だ。

どんよりけむる地平のぼかしはうすもも色の朝のしめりだ。

智恵子は遠くを見ながら言ふ。

阿多多羅山(安達太良山)の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子の

ほんとの空だといふ。

あどけない空の話である。

     以上


純粋で、美しく、悲しい詩です。

それにしても、何も見えません。風も強くなり気温も下がってきたのでゴンドラの駅に戻る事にしました。


帰りのゴンドラは「余裕」でした。先ほどの風による揺れにも問題は発生しなかったことで、それなりの信頼性を確信したのです。

車内で立ったり、下を見たり、後ろを振り返ったり、何処にも掴まる事もなく余裕で写真を撮る事ができました。


おばさんのグループです。こうやって見ると、ホントに我々もロープ一本でこんな状態でぶら下がっているのです。落ちても不思議ではないのです。

そんな気しませんか?


登って来る時には、この景色を見る事ができませんでした。上昇する時に後ろを振り返るのが一番怖いのです。


ゴンドラを降り記念撮影です。


さぁ。兎に角、ゴンドラに乗りました。

次に目指すは、「磐梯吾妻スカイライン」です。


その話しは次回とします。


それでは、また明日。 



コメント
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