歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

都内で「一番淋しい」JR駅「尾久」

2007年03月17日 | 東京の風景
続きです。

今回の「明治通り散策」の「メイン」です。「尾久」は都内で「一番淋しい」「JR線の駅」です。東北線と高崎線しか止まりません。上野駅と赤羽駅の間にあります。

私の「30数年前」の記憶では、駅舎は「モルタル外壁」で「暗い色」に塗られていたのです。しかし、現在の駅舎は「明るい外壁」が取り付けられていました。


改札も明るい「自動改札」です。当たり前か!


「尾久」は「おぐ」と呼んでいました。今回初めて「おく」と「濁音」でないことを知りました。東京の人で「尾久」を「おく」と云う人はいません。

「おく」と知ったのは、「ホーム」の写真を撮っているとき、電車がホームに入り、「案内アナウンス」で「おく~、おく~」と云う声が聞こえたのです。
「何じャ!? ソリャ?」と思いました。


後で調べたら、駅ができた時に、「尾久」を「おぐ」と云うのは「訛り」で、日本語の「読み」としては、「おく」が「正しい」ので、駅名は「おく」と表記したそうです。確かに、そう云われてみれば、「尾久」は「おく」です。

「尾久駅」は「明るく」なっても「淋しい駅」です。乗降客も「間違いなく」都内で一番少ない筈です。

そんな「淋しい駅前」に、「ピッタリ」な「お店」です。「お稲荷さん、かんぴょう巻き、団子、おにぎり等」の「お店」です。

写真を撮っていたら、中に居た店員の「おばさん」と目が合ってしまった。私と「おばさん」が「良く」見ると写っています。


それで、この「尾久駅」なんですが、所在地は「昭和町」なんです。「尾久」は「隣町」なのです。

駅が設置された当時、「尾久」には、温泉があり、旅館があり、三業地があり、東京の「遊興地」として「有名」だった為、「尾久駅」としたようです。

前に書いた「阿部定事件」はこの「尾久」が「事件現場」です。当時は「賑やか」な街だったそうです。

「暗い街」「尾久」で起きた「猟奇殺人事件」ではなく、「明るくて、賑やかで、楽しい街で」起きた、「男と女」の「話題」の「事件」で、「暗いイメージ」ではなかったようです。

大正から昭和30年代まで「賑わって」いたそうで、今の「荒川遊園」は当時、入浴、宿泊施設の整った「ヘルスセンター」だったそうです。

駅のそばにありました。昔は、この路地を沢山の観光客が通ったのでしょうね。


やっぱり「尾久」は淋しい街です。東京の「端っこ」です。

まだ、まだ、続きます。「明治通りシリーズ」です。

明日も「尾久」です。。。。。。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする