歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

小沢昭一さん「勘違い」です師匠の「句」

2006年12月15日 | 東京の風景
「谷中の町」が「好き」です。何て云うのが「少し恥ずかしい」ほど、平日でも「観光客」で賑わっています。「中高年ばっかり」ですね。

私も「中高年」の入り口にいます。気持ちは「若い」と思っているのですが、「外観上」の衰えは隠しきれず、鏡に映る「己の姿」に困惑する今日この頃です。



最近は「外人観光客」にも良く出会います。
この写真の奥を歩いているのが「英語をしゃべる白人」のグループです。体つき、服装から、アメリカ人の観光客だと思われます。



以前、中高年の集団の男性に、『ここらで、樹が道の真ん中にある場所を知りませんか?』と聞かれたことがありました。私は咄嗟に「さァ。知りませんねェ」と答えました。

その男性が立ち去った後で考えてみると『ああ!そうかァ!あそこだぁ』」と思い出しました。「集団で歩き回る」人達は苦手なので、考えもしないで「反射的」に「知りません」と云ってしまったのです。



その「道の真ん中に樹がある場所」とは、「言問通り」の「善光寺坂」を下って直ぐの「玉林寺」境内にある脇道です。


本堂左手に「正岡容(いるる)」の句碑があります。
おもい皆 叶う春の灯 点りけり』 とあります。

ところが、どういう訳か。小沢昭一さんの著書「背中まるめて」のなかでは、
想うこと 叶う春の灯 ともりけり』とあるのです。これは「明らかに」小沢さんの「勘違い」です。 

※私の持っている本は、平成4年版なので現在は改版され訂正されているかもしれません。

正岡容は名は「少しマニアック」な人しか知らないですかね。今の「永六輔」みたいな人です。小沢昭一、桂米朝の師匠筋と云ったところです。


それで、その脇道なんですが、「嬉しい事」に、入り口が判り難いのです。本堂を背にして、左側の「ブロック塀」の向こう側に入り口があります。


塀に沿ってくねくねと曲がった狭い路地で、車は入れません。道の真ん中に間隔を置いて2本?か3本?樹があります。多分、以前は寺の敷地だったのでしょう。周囲に住宅が建ち、塀で墓地を囲って外周に道をつけた結果、一部に樹が取り残された・・・・・・、そんな気がします。



この路地では、一度も「観光客」に出会ったことはありません。良いことです。
この路地の一番奥に「いい物」がひっそりとあるのです。

それは、この「手押しポンプ」の井戸です。


路地裏の「錆びたトタン屋根」に「手押しの井戸」、脇には「石段」。絵になります。この井戸現役なんです。

暗に「勝ってに触るな!」との注意として、左側の柱には「○○家専用」の「木札」が下げてあります。○○家は井戸の左手にあります。


このポンプは昔の「ポンプ」ではなく、「最新鋭」の現役「バリバリ」の「ハイテク」ポンプでなんです。「密封型」で何やら「調整バルブ」のようなものが「装着」されています。


井戸の脇にある石段を上がった先が「お稽古横丁」です。粋な三味線の音や小唄の声が、何処からともなく流れて・・・・・・きません。

この路地を幾つか曲がった先には、「あの」、「みかどパン店」があります。

「谷中歩きベストスリー」に入るコースの紹介でした。あまり「他の人」には教えないで下さい。  


今晩は、けんちん汁とサンマです。   


 
コメント
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