今夜は紫式部にしよう。
彼女は昔、典型的な文学少女の生意気な私にとって、憧れの人、姉のような存在だった。
いつのまにか歳を重ね、おそらく40代後半で没した彼女より私の方が長く生きている。だが、彼女が私より年下になっても、この人を妹のようには感じない。
同世代の賢い友人のように思っている。
世界的に俯瞰しても、空前絶後の素晴らしい傑作、源氏物語を書いた紫式部は、伝紫式部筆という料紙も残る能筆であり、また紫式部日記から推測するなら、裁縫や琴の演奏など、当時の貴族女性の理想的な嗜みを、並ひととおり以上に身につけていたらしい。
加えて、父親が優れた学者だったので、漢詩文の素養も蓄えた。父親は彼女が男の子でなかったことを残念がったそうだ。
もちろん和歌の知識教養も充分だったが、実生活では、歌の言霊で読者を惹き寄せるほどの目覚ましい詠草はない。恋歌らしい恋歌も残していないが、遅く結婚した年長の夫とは、日常の枠組みに収まる程度の濃やかな優しい歌をやりとりしている。
晩婚の紫式部は娘を儲けた後、夫に先立たれてしまう。わずか数年の夫婦生活だった。
紫式部は、幼児を抱えて、こんな歌を詠んでいる。
若竹の生いゆく末を祈るかな
この世を憂しと思ふものから
父親を失った娘の未来と成長を祈る歌い出しの強さ明るさは、後半「この世を憂いと思うのだけれど、だから…」と、口籠るように沈滞してしまう。
さて、源氏物語の中では、味気ない現実の箍から解き放たれた紫式部は、登場人物になりかわり、魅力的な歌をたくさん詠んでいる。
源氏物語54帖の巻名は優美なものだが、それにちなんだ和歌が、物語のそれぞれの巻中に歌い込まれているのがほとんどだ。和歌に因む巻名でない帖は少なく、初めの桐壺と若紫、宇治十帖最終巻の夢浮橋くらいだろうか。
ただし、夢の浮橋巻には源氏物語以前の古歌が敷かれているそうだ。
世の中は夢のわたりの浮橋か
うち渡りつつものをこそ思へ
この歌の出典は定かではない。古今和歌集にもとられず、万葉集にもない。だが娘式部がこの歌からインスパイアされたことは確かだ。
夢の浮橋という美しい歌言葉を、彼女はなぜ登場人物に寄せて歌わなかったのだろう? 彼女ほどの感情移入能力があれば、魅力的な歌も作れたのではないだろうか、と私は長年不思議に思っている。
紫式部から約二世紀後の藤原定家は、知識と才能を振り絞った感の名歌を「作った」。
春の夜の夢の浮橋途絶えして
嶺に分かるる横雲の空
余韻艶麗ニシテ超俗世(・∀・)
新古今和歌集の傑作だが、ここまで唯美だと、人間的な恋愛情緒を突き抜けた世界のように感覚してしまう。
またまた時代を渡り、明治の浪漫烈女与謝野晶子は、私の知る限り、夢浮橋を歌に使っていない。乃至は夢浮橋で名歌艶歌を残さなかった。
これも不思議だ。
紫式部と与謝野晶子、ともに夢浮橋という歌言葉に対する離れたスタンスが私には面白い。これでは結論も出ないただの感想文だが。
倉橋由美子の小説は深層を覗こうとして、どこからかキリコかデルボーのシュールレアリズム画のように非現実的な感じだが、源氏物語は違う。最後まで立体的でリアルな愛欲、人間たちを追っている。これも私の主観に過ぎない。
油彩「夢見る」 F6号
良い日だった。
感謝。