市の星月夜日記

織江市の短歌、エッセイ

弓のうへしなはす彼方野に海に肉体もなき音の原型

2010-10-21 19:40:03 | Weblog


 チェロのお稽古に。




 以前よりしっかりと弓が持てるようになったので、音の質感が変化した。

 その実感は、ふしぎでもあり、うれしい。



 楽器をしまったあとも、しばらくは鼓膜や腕の筋肉の中で、弓や糸の振動の感覚、音楽が鳴り続けている。


 それをおしやって、またこまごまとした日常を始める。





 今日もまた、感謝してつとめを終える。無事でよかった。


















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繭のごとこころ光らむ手の中に静寂(しじま)集めて汝伏す秋に

2010-10-21 19:21:21 | Weblog



 秋の夜に。


 
 晩秋をうたった作品のなかで、好きな歌のひとつ。


    海綿の水ふくむがにやはらかき掌(たなうら)を曝(さら)秋もゆくべし       葛原妙子


 葛原さんの歌からは、どれも重厚で、孤高な精神という印象をうける。この歌も、なにか、デリケートな内側をやむなくあからさまにしつつ、それをつきはなして眺めている自己の厳しい視線を感じる。

 秋もゆくべし。

 最後の言葉づかいなど、ことに。

 











      
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鳥船の還る薄暮よひいやりと髪の手触り晩秋迎へて

2010-10-19 19:35:11 | Weblog

 冬鳥たちが渡ってくる季節に。




 さまざまな鳥たちは、一定の季節ごとに地球をぐるりと渡る。

 なぜ危険で困難な大旅行をするのか、いまだに謎だという。


 



 今日はうすら冷たく、外から戻ったら、髪は大気の湿度に冷えていた。

 もうじき毛糸の帽子が欲しくなる。






 それから、髪を洗った。







 一日を終えて静かに感謝。










 
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くちびるのひそみしづかな秋の影逢はずも水に月色(げっしょく)濡らせ

2010-10-18 20:27:30 | Weblog




 いちにちを終えて。






 無事につとめ終えたことに感謝。




 
 すこしづつ進歩していく。その単調でいそがしいくりかえし。





 日常と内面を折り返す接点が、わたしにとっての歌かもしれない。





 


 
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あまやかに音符揺すらむBerceuseみどりごのひらく朝凪のため

2010-10-17 19:27:36 | Weblog


 数日前からもうひとつ、フォーレの子守唄を奏(ひ)きはじめた。


 先だってのLes Berceauxとは違う作品で、こちらのエモーションは明るくはれやか。


 大好きな曲だったから、以前、ずいぶん熱心に練習したのだけれど、レガートなつぶやき、8分の6拍子の表現に苦労し続け、そのときは思うような演奏に達することができなかった。

 そのころ、ラジオを聞いていて、偶然流れてきたフルート演奏でのこの曲のうつくしさに、しみじみ感動した記憶がある。


 旋律がやわらかく変化しながら違う色合いにうつってゆくなめらかさ、ああこんなふうに奏でられたら、とためいきをついたことなど……。

 暇をみつけて、ちょっとづつおさらいし続けたおかげで、腕やゆびさきの演奏筋肉、すこしづつ戻ってきた。


 このBerceuseは、夜よりも、朝にふさわしい音楽と感じる。


 眠り前に歌って聞かせたなら、あかちゃんの朝のめざめがさわやかだろうな、と。




 ひるま、上村松園展最終日、「序の舞」を見てきた。


 松園さんの描く女人の表情はどれも気高くて、なかでも、この作品は、最高傑作という思いなしもあって、わたしには、中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像を彷彿とさせる。

 浮世ばなれした澄んだまなざしを、たくさんたくさんながめてきた。


 それから、フォーレなどを弾いて、かたづけものをして、休日が過ぎていった。


 しあわせな一日だった。



 

 なだらかに感謝。







 


 



 


 


 


 
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こよひ我の骨清からむ冴えざえと草食(は)むばかり月光浴びて

2010-10-16 19:28:32 | Weblog


  半月に。




  秋たけなわの月明。





  それから、葛原妙子さんの『朱霊』から


    草食はさびしきかな 窓なる月明かり見るにひとしく



  
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草花の静かに褪せてそれぞれにいたはり交はす風も十月

2010-10-14 20:23:17 | Weblog


 道すがら、ところどころ、コスモスの小さな群落を見て。



 こちらは温暖な気候なので、夏秋の植物の寿命がながい。真冬近くなっても、陽だまりに、思いがけない夏の花が……たとえば百合(!)が咲いていたりする。コスモスもそのひとつ。

 菊などは、平安文学のいくつもの古典にあるとおり、霜枯れを超えて、新年までふしぎな鮮やかさで咲き続ける。

 



 今日は蒸し暑かった。



 それでも、季節のめぐりはたしかな足取りでおとずれ、樹木それぞれ目に見えるゆるやかさで衰えてゆく。花はなお咲き残っていても、どことなくやつれ、夏とは違う方角から吹いてくる風に揺れている。ああ、秋、と感じる。雲の気配も。


 そんな景色をながめての、感慨。


 
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少女たち海吹く睫毛透きとほる扉(と)ひとつ籠めてひかる夜のきみ

2010-10-12 20:16:58 | Weblog


 今日もなだらかに済んだ。



 ほんとに無事でよかった。毎日のことながら感謝。

 仕事の方向を、すこし変えてから、日々の安全が身にしみる。

 以前は、日常あたりまえのことが、じつはあたりまえではないと認識する。




 そうして、今夜は何をうたおう?





 すらすらとうたえる日もあるし、なやむ夜も。

 わたしにとって、歌は記録ではなく、追憶、と言えるかもしれない。


 瞬間ごとに走り去る現実と架空のノスタルジー。



 この「少女」は、「わたし」ではなくって、「あなた」というようなニュアンスかな…。


 とびらのむこうがわにいる、だれか、あなた。















 







 




 
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木犀よ歌はかたらず地にこぼれて追想となる星屑いつか

2010-10-11 20:37:43 | Weblog


 夜に
















 無事終わったことに、今日も感謝。

 あたふたと、でもできるかぎり要領よく、とこころがけて、朝から夕べまで。


 
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額(ぬか)触れていつくしむ手のぬくもりを静かに告げて紅葉離れむ

2010-10-10 17:06:40 | Weblog


 夕暮れに。











 紅葉にはまだはやいけれど。桜落ち葉、金木犀、雨ごとに散る様子の。



 雨あがりの西の空はまぶしかった。







 また今日に感謝。



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アルファポリス