
みなさま、あけましておめでとうございます。
星月夜日記を訪問してくださってありがとうございます。
今年もおりおりの季節の詩、照り翳りを、心と言葉に映してゆきたいと存じます。
それが、みなさまの心の琴線に触れて、なにか、きれいな音色の響くことがありましたら幸いです。
女人、という言葉、わたしは好きです。にょにん、と読み、おんなひと、とも。
室生犀星さんの言葉だったでしょうか。
……。
もう14年ほども前、機会あって「海の器」というみじかい小説を書きました。
この作品は、マガジンハウスのある雑誌に掲載され、それからしばらくして、同社から上梓された『歓喜まんだら』というアンソロジー集に収録されました。
つたない作品ですが、選考してくださった方々から、独特の文体と表現、というようなお褒めの言葉をいただいたこと、うれしく覚えています。
わたしはそのあとで、自分が書いた短編の主人公ふたりに感情移入して、およそ300枚ほどの長編を書きあげましたが、ものがたりの内容と、その時代状況がそぐわず、またわたしの力量不足で、おおやけの出版はできませんでした。
それからずいぶん長い年月がたち、世の中も変わったようですが、人のこころのありかた、というものはそれほど変わるはずもないので、わたしは自分の作品をネットに掲載する前、ずいぶん迷いました。
この十数年の間に、わたしはカトリックに帰依し、洗礼をうけるめぐみをいただきましたので、かつての作品とはいえ、いろいろむつかしい、と思ったのです。
この作品は同性愛と、近親相姦を主要なモチーフとしています。
そうして、表現も、濃いエロティシズム、オブシーヌな描写が頻出します。
わたしは、ある聖職者の方に御相談ねがい、御意見をうかがいました。
カトリシズムに真っ向から対立する素材をあつかっています、とわたしがおそるおそる申し上げたところ、
師は、おだやかに肯かれ、
……人のこころのなかには、そうした闇や罪の世界が、現に存在する……それは否定できないことだし、先天的に「性同一障害」というような心のかたちがあることもわかっている。神のおめぐみ、カトリック、というものはそうした、人間性のさまざまを、ふかくひろく抱擁してはたらくもの……
というような御主旨のことをおっしゃいました。
わたしは、その方にネットアップの許可をいただいた、というわけではなく、あくまでも御意見をうかがっただけなので、いっさいの責任は、わたし個人のものです。
ただ、わたしのカトリック信仰と、昔の作品を「いま」おおやけにすることについての、参考意見として、記させていただきました。
登場人物は、わたしの心からうまれたひとたちなので、いくばくそれらしい、あるいはモデルめいた気配も漂いますが、実体験ではありません。
フィクション、イマジネーション、ファンタジーを、小説というかたちのなかでつむいでみたのです。
ただ、わたしは同性愛について偏見を持ちませんし、女人の美しさ、とても大事に思っています。
もしも……わたしの心と共鳴し、通い合い、異性愛よりさらに強い絆でむすびつきたい、と願わずにはいられないような、美しく魅力的な同性があらわれ、現実的な支障を克服できる、という境遇だったら、わたしは彼女とともに歩む人生を選んだかもしれません。
反実仮想の、きれいな夢ものがたり。
わたしは花や樹木や、鳥、海のさやぎ、潮のきらめき、そうした周囲の自然風景を擬人化して、登場人物を造型しました。
ヤオイ文学……ヤマなし、オチなし、イミなし、という少女小説のプロローグだけ、「雪のかおり」にアップしました。
ふしぎな、寄せてはかへす青い海のファンタジーをおたのしみくださいましたら。
追記)
登場人物の名前、シチュエーションなどは、当時の初稿のままで、あとから変更しておりません。表現については,ところどころ推敲をしています。
星月夜日記を訪問してくださってありがとうございます。
今年もおりおりの季節の詩、照り翳りを、心と言葉に映してゆきたいと存じます。
それが、みなさまの心の琴線に触れて、なにか、きれいな音色の響くことがありましたら幸いです。
女人、という言葉、わたしは好きです。にょにん、と読み、おんなひと、とも。
室生犀星さんの言葉だったでしょうか。
……。
もう14年ほども前、機会あって「海の器」というみじかい小説を書きました。
この作品は、マガジンハウスのある雑誌に掲載され、それからしばらくして、同社から上梓された『歓喜まんだら』というアンソロジー集に収録されました。
つたない作品ですが、選考してくださった方々から、独特の文体と表現、というようなお褒めの言葉をいただいたこと、うれしく覚えています。
わたしはそのあとで、自分が書いた短編の主人公ふたりに感情移入して、およそ300枚ほどの長編を書きあげましたが、ものがたりの内容と、その時代状況がそぐわず、またわたしの力量不足で、おおやけの出版はできませんでした。
それからずいぶん長い年月がたち、世の中も変わったようですが、人のこころのありかた、というものはそれほど変わるはずもないので、わたしは自分の作品をネットに掲載する前、ずいぶん迷いました。
この十数年の間に、わたしはカトリックに帰依し、洗礼をうけるめぐみをいただきましたので、かつての作品とはいえ、いろいろむつかしい、と思ったのです。
この作品は同性愛と、近親相姦を主要なモチーフとしています。
そうして、表現も、濃いエロティシズム、オブシーヌな描写が頻出します。
わたしは、ある聖職者の方に御相談ねがい、御意見をうかがいました。
カトリシズムに真っ向から対立する素材をあつかっています、とわたしがおそるおそる申し上げたところ、
師は、おだやかに肯かれ、
……人のこころのなかには、そうした闇や罪の世界が、現に存在する……それは否定できないことだし、先天的に「性同一障害」というような心のかたちがあることもわかっている。神のおめぐみ、カトリック、というものはそうした、人間性のさまざまを、ふかくひろく抱擁してはたらくもの……
というような御主旨のことをおっしゃいました。
わたしは、その方にネットアップの許可をいただいた、というわけではなく、あくまでも御意見をうかがっただけなので、いっさいの責任は、わたし個人のものです。
ただ、わたしのカトリック信仰と、昔の作品を「いま」おおやけにすることについての、参考意見として、記させていただきました。
登場人物は、わたしの心からうまれたひとたちなので、いくばくそれらしい、あるいはモデルめいた気配も漂いますが、実体験ではありません。
フィクション、イマジネーション、ファンタジーを、小説というかたちのなかでつむいでみたのです。
ただ、わたしは同性愛について偏見を持ちませんし、女人の美しさ、とても大事に思っています。
もしも……わたしの心と共鳴し、通い合い、異性愛よりさらに強い絆でむすびつきたい、と願わずにはいられないような、美しく魅力的な同性があらわれ、現実的な支障を克服できる、という境遇だったら、わたしは彼女とともに歩む人生を選んだかもしれません。
反実仮想の、きれいな夢ものがたり。
わたしは花や樹木や、鳥、海のさやぎ、潮のきらめき、そうした周囲の自然風景を擬人化して、登場人物を造型しました。
ヤオイ文学……ヤマなし、オチなし、イミなし、という少女小説のプロローグだけ、「雪のかおり」にアップしました。
ふしぎな、寄せてはかへす青い海のファンタジーをおたのしみくださいましたら。
追記)
登場人物の名前、シチュエーションなどは、当時の初稿のままで、あとから変更しておりません。表現については,ところどころ推敲をしています。
明けましておめでとうございます。
『海の器』拝読させていただきました。
女性だからこそ表現できるものですね。
随所に雪香さんらしさが溢れていました。
綺麗な言葉たち。
色はあるけれども、実はどの色も透明で、根底に流れているのは無垢。そんな感じを受けました。
今年は試験勉強もあって大変そうだけど、頑張ってくださいね。
もう、ずいぶん前のものです。
感慨がありますね。まだネットもpcもそれほど普及していなかったころのお話です。
書いているときは、楽しかったです。ものがたりのなかに、すっかりひたっていたから。
わたしは……汚れないエロティシズムを書いてみたかったのです。性愛というと、ひとくくりに卑しめられてしまいがちでしょ?
そうではなく、もっとおおらかで、ナチュラルな自然の、時間の、めぐりの一部分、のびやかで幸福な、まじらひ、という憧れを。
禁欲ではなく。
さりとて、淫蕩でもなく、ふしだら、という道徳律にも束縛されない。
誰でもいい、というものではないので。愛を交わす相手は。
少女小説、少女趣味といえばそれまでのこと。
性はだいじなものです。
心を潤し、人生をゆたかにしてくれる。
ある特定のひととの深いかかわりによって、それまでの自分にはまったく存在しなかった、別な人生、自己自身がひらけてきたりすることも。
そんな不可思議な思いがあります。
……試験勉強は目下
最後までやりぬきます。あきらめません。
イマノトコロ劣等生
沙羅さまもますます多忙ですね。ご活躍を!