雪香の星月夜日記

山口雪香の歌がたり、ささやき、ひとりごと

菊の露かりそめ触れて目覚めくる慈童のごとく指を添へなむ

2008-09-09 08:34:42 | Weblog
 重陽に。


 紫式部日記に、この日、藤原道長の正室倫子から、菊の着せ綿……菊を前夜から真綿で覆ってひと晩置き、九日の朝、夜露に濡れて菊の香りを移したもの……がおくられてきた。

 「いとよう老いのごひたまへ」

 ……よくよく老いをおふき取りなさい、と伝言があった。

 当時、菊の着せ綿で顔を拭くと、老いを除くという信仰があった。

 菊の香り、現代では弔事を連想させて、あまり好きではないのだけれど、死者に菊を手向けるのは、もしかしたら、死から再生(若返り)への希求がこめられているのかもしれない。


 それと……


 お能の「菊慈童」、好きな曲のひとつ。

 別名は「枕慈童」

 秦の始皇帝、かな? 寵愛この上なかった美少年が、主君の機嫌を損じて山中に捨てられたが、そこに咲いていた菊の露を飲んだため、不老不死となり、永遠に少年のまま深山に隠れ住むことになった。美少年は、皇帝よりたまわった枕をたいせつに持っていて、皇帝との契りを忘れず……という。

 能面の「慈童」はうつくしい。

 

 二十年ほど前なくなられた花郁悠紀子さんという漫画家が「菊慈童」という端正な作品を残している


 そのなかで、心に残っている台詞。

 「捨てられた慈童も悲しかったろうが、捨てた皇帝もつらかったろう」と。


 
 秋は早足でやってくる。
 
 まばゆい夏を過ぎて、いろいろなことが見えるようになってくるかもしれない季節。



 ……。
 

 うたいなおし。

 古典調で詠いとおすよりも、すこし自分の感じをまじえたほうがいいかもしれない。

 説明しきるよりも。


 あいまいさのほうがいいかも。


 


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2 コメント

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菊慈童 (salamanca)
2008-09-10 00:41:47
お茶の先生宅に「菊慈童」という銘のお茶尺があります。
お茶尺の銘は、結構能から取ったものがあります。
懐かしくなっちゃった。
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お茶とお能 (雪香)
2008-09-10 07:56:24
茶道と能楽 (雪香)
2008-09-10 07:51:17

おはようございます。お能をたしなむ方は、やはりお茶もなさるようですね。

居住まいのただしい所作、和の姿。

どちらも日本の伝統芸ですから、相互に交流しあって、芸域を深めて。

能はすばらしいです。

いろいろな古典文化が錦織のように織り込まれている。

三島由紀夫さんかな? そんなふうにお言いでした。

将来、いろんなことが一段落したら、能にはまってしまうかもしれないな、なんてときどき思ったりします。

もちろん、趣味としてですけれど
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